里山エッセイ
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吉野川の水辺
こんばんは fumicaです。
暑い日は、ピチャっ。ピチャっ。という音が心地いいです。
みんなの顔輝きました!
絵本の中に遊ぼう、住みたい家、すみたいまち見つけよう!はじめての人もいつもの人も童心にかえって楽しい第5回里山セミナ-「こんな家に住みたいナ」でしたよ。
作者の延藤安弘さんの建築における専攻は、生活空間計画学だそうですが、要するにそれって、今問題になっているものとこころの分裂をのりこえて「人工と自然、環境と人間が絶妙に溶け合う」空間、すなわち人と人とをむすび合わせるコミュニティ-をつくっていこうということだと思います。
「家族を容れるハコ(上野千鶴子)をどのようにして家族を超えるハコにしていくか?」という意味にも当てはめて考え、生活空間を計画することの大切さを思いました。
ドイツ・フランス・アメリカ・イタリア・スイス・イギリスと次々に紹介されていく絵本、私たちの想像力はどんどんふくらんでいったのですが、ごくごく小さい時から、豊かな空間への夢を育む絵本を子供たちに紹介したいものですね。
「ちいさいおうち」「おふろばをそらいろにぬりたいな」「バ-バパパのいえさがし」「変わりゆく風景」「あおくんときいろちゃん」「おやすみなさい」「ちょうちょが迎えられるおうち」「しあわせ通りのカナリヤ」・・・・
いっぱいの絵本に出会えて、ほんとに幸せでした。
吉野川の梅雨明け
こんばんは fumicaです。
グランドも巨大なみずたまりとなる今年の梅雨は長かった。
今日、やっと梅雨明けです。
吉野川の雨上がり
こんばんは fumicaです。
雨があがると、あおい山がぐぐっと見えてきます。
吉野川の桃色
こんばんは fumicaです。
徳島の明日の朝も雨のようです。
建築家
”この世の生きものでいちばん危険なのは、建築家だよ。やつらは戦争以上に荒廃に手をかすぜ”
ルノワールに会った日のブレヒトの日記には、ルノワールがこう言ったと記されている。
日本では建築家という概念は必ずしも確立されていないので、ルノワールの言った建築家を建築士、あるいは建築設計者と読み替えてみたい。
確かに日本においても、全国の町の風景を荒廃させている元凶は建築設計者と言えるだろう。どの建物も、小屋などの小さなものを除いて、建築士の資格のない者には設計できないのであるから。責任は重大である。
景観悪化の原因の中には、見苦しい看板や電柱、電線、そして徳島の夜空を汚しているサーチライト光害など、建築設計者以外の要因もあることはある。
しかしそれらは、建築にお似合いとも言えるのである。
建築が真っ当なものであれば、あれほど品のない看板を掛けようとは思わないであろうから。
さて、建築士法を1950年に提出したのは、建築業出身の代議士田中角栄であった。しかも一級建築士のライセンスナンバーの第一号は田中角栄に与えられたという。
その田中角栄が1972年に総理大臣になり、”日本列島改造論”をかかげ、日本国中をコンクリート漬けにしていった。
同時に土建国家のシステムを日本全国津々浦々に蔓延させ、政治資金のルートと選挙の集票マシーンを大小ゼネコンに請け負わせ、政官財学を支配し、キングメーカーとして権力を握り続けたのだ。
建築士はもともと文化や町づくりを担うものとしては想定されていなかったのである。後世、日本の20世紀後半は、田中角栄という怪物的(悪魔的)政治家によって建築家が支配され、利用された時代と呼ばれるであろう。
姉歯建築士の事件も、その暗部が瞬間的に口を開いたと見るべきであろう。建築士(あるいはその妻)の自殺という悲劇を個人的なものとして風化させたり、建築士法の罰則強化で乗り切れるような、そんな単純なものではないと思えるのだ。
どのようにすれば日本の町が美しくなるのか。国民的な議論の中から建築家法といったものを新たに創出し、出直さなければならない時期が来ているのではないだろうか。
建築家 野口政司(徳島新聞夕刊 7月18日付け)
吉野川の先客
こんばんは fumicaです。
降りだした雨を楽しみながら、川べりへ。先客があしあとを残していました。
せみとウグイスとねむの木と
コロボックルです。
里山って何だろう?
今回は、会報に「里山が壊れる!」と題して投稿したし、
書きながら、壊れたのではなく、壊したんだと強く思ったり、
改めて私たちNPOの役割りを確かめ合う時のようです。
旅の景色で、昨日は、ところどころで見かけたねむの木がきれいでしたよ。
淡淡としたピンクの花が緑に映えていました。山の中というより人里近く咲いています。
あんなに大きくなるにはどの位? 葉っぱにふれるとすっと閉じるからねんねんねむの木。
急ぎ足で帰宅、近くの雑木林で、はやヒグラシ!
ほんとに「かな・かな・かな」と鳴いていました。
今年はせみが遅いとの報もあり、一瞬耳を疑いました。
ひぐらしの声は、こうして毎年早くなっています。
そして、今朝はウグイス、耳をすませばジ-ジ-とあれはせみでしょうね。
そういえば初夏に鳴くほととぎすの声はあまり聞かなかった、人も、鳥も、
み-んな季節を忘れてしまったのかもしれない、忘れる遺伝子ができていったら
こわいと思いました。
可動堰も困るけれど、もっと大きな深刻なこと、ひそかに進行しているかも・・・・と
この暑い中、嘆いています。そういえば今夜はせみの観察会がありますね。
生命の神秘にふれる一瞬味わってね、と案内にありました。
吉野川でおおきな貝み~つけた
こんばんは fumicaです。
はまぐりよりもちょっとおおきめの貝。名前は?
わかるといいのですけど・・・
外に出たいカニが迷惑そうでした。
嶺北の竹のリサイクル
こんばんは fumicaです。6月24日、土佐の住まいと文化を訪ねる家族ふれあいツアーでの昼食。
挨拶されているのが、木と人出会い館の塩田館長。早浦ダムが見える湖畔で。
竹の器のおべんとう。ごちそうをたいらげたあとは、器をお持ち帰りしました。
竹の器には土佐ジローが入ったお汁。
我が家で、おそうめんの器になりました。
吉野川の草花
こんばんは fumicaです。
吉野川の堤防では季節ごとに、たくましい花をみつけることができます。
吉野川に可動堰?もうヤメテ~
こんばんは fumicaです。
吉野川の河川整備計画(30年後の河川をどうするかという計画)が動きだしたというので、現状を知りたくコープ自然派徳島、流域チームの会に参加してきました。講師は姫野雅義さん。驚愕!こんな事態になってたの!というのが感想です。
たとえば、淀川では”淀川流域委員会”が設置され地域住民の意見が十分に反映されるシステムをつくっています。なのに、吉野川では、流域委員会は採用されなかった。つまり、ここ徳島では住民参加行政のものすごーい後退が起ころうとしているのです。河川法には環境と住民参加が示されているというのに・・・
国土交通省にこころのふるさと吉野川がいいようにされてしまいそうでこわい。
みなさんは、吉野川のどこを守りたいですか?吉野川のどこを大切にしたいですか?
ぜひ、ご意見を聞かせてください。
Q 流域委員会とは?
多様な意見に基づいて議論し、それを整備計画に反映させることを目的とする機関のこと。淀川など1級河川の多くで流域委員会が設置されています。
(朝日新聞7月11日朝刊 私の視点dai-siten@asahi.com 武田真一郎成蹊大学法科大学院教授より引用)
吉野川南岸のみずたまり
こんばんは fumicaです。
散歩にはアスファルトで覆われた道よりも、土ぼこりのする道がおすすめです。雨あがり、大好きなみずたまりができていました。
里山セミナ-「こんな家に住みたいな」へのお誘い
コロボックルです。
23日(日)は里山セミナ-ですね。まえがきにかえて、の章に、
私も大好きな武井武雄の絵本のことばが引用されています。
ウサギハ メガネヲ コブタニ カシマシタ。
コブタガ ノゾクト キレイナ ゲンゲバタケガウツリマシタ。
コロコロ コヒガッテ ミタイトオモッテ イタ ゲンゲバタケデアリマシタ。
これを読んだだけでも、どんなことが書いてある本だろう?と興味深々になりませんか?
作者延藤安弘さんの紹介される絵本に、住みたい家のイメ-ジが実にわかり易く
投影されていて、ゆめもふくらみ、皆さんきっと新鮮な感想をお持ちになれると思います。
それから、お手持ちの絵本で、お勧めのものがありましたら、ぜひお持ち下さい。
お待ちしております。
レンコン畑
こんばんは。つい、ここにきてしまうコロボックルです。
汽車に乗ると、私は本も読まず話もせず、ただじっと窓の外を見ています。
でも、新幹線は早くて、折角の風景も情緒のないのが寂しいです。
故あってここ半年、何回か九州との間を行き来していますが、
車窓から美しい風景を見つけることが上手くなりました。
今回は高徳線、池ノ谷と板野にかけて広がるレンコン畑に感激。
見渡す限りのみどりの畑、花も数輪咲き始めて、とりわけ白いはすの花が高貴です。
蓮は泥沼に生えて、その高貴な花を咲かせる、ということわざがありましたっけね。
徳島に来て、レンコンがこんなにおいしいのを知りました。
鮮度が抜群の「田村さんのレンコン」、いちど花ひらくポン!という音を聞きに行きましょう。
そういえば田村さんが、「花は朝方に開くから、夜通し音楽会をして待つことにしよう」と、
昔誘ってくれました。でも、そのまま、楽しみは先送りです。
これからしばらく、はすの花の季節ですね。
雨のあいだの吉野川
こんにちは fumicaです。
曇りと雨ばかりのこのごろ。川の上流で大雨がふると、下流では流木が流れてきて居座ります。今日は七夕。子どもたちは夜空を見上げるかな・・・
吉野川でW杯?

こんばんは fumicaです。
一瞬、どこの国の応援かと・・・
ココハ、ヨシノガワカリュウ デス。
大和安堵村
忘れられない風景がある。その風景が見たくなって旅に出る。
30年前、初めて見たその風景はこの地上のものではなくて、ひとつの焼き物の上に描かれた風景であった。その焼き物、染付の陶箱が見たくなって、私は思い出したように大和安堵村に出かけていく。
斑鳩の里、法隆寺からバスに乗って20分ほど、奈良盆地のちょうど真ん中辺りに、ぽつんと取り残されたような村がある。
ここ安堵村は、陶芸家富本憲吉の生まれた所である。
富本憲吉は、東京美術学校で建築や室内装飾を学んだ後、イギリスに留学し、ウィリアム・モリスのアーツアンドクラフト運動に出合っている。帰国後、バーナード・リーチや柳宗悦らと交流し、朝鮮半島の焼き物を知り陶芸の道を志した。
富本憲吉が故郷の安堵村に陶房を構えたのは1913年、憲吉27歳の時であった。
憲吉は安堵村で見つけた土蔵や稲穂かけ、樹木や道などの素朴な風景を陶器に描き出した。青の濃淡だけで表現される染付は、そののどかな風景によく合っている。
日本の原風景ともいえるそれらは、詩人の目をもつ陶工によって、見事に染付けられ、永遠の命を与えられたのだ。
富本憲吉は、後に羊歯や定家葛の写生から生み出した独特の金銀彩の色絵連続模様を完成させ、1955年、日本で最初の人間国宝に認定されている。
しかし私は、東京・京都時代の都会的できらびやかな金銀彩も素晴らしいと思うが、むしろ大和時代、憲吉の初期の染付や無地の白磁壺の方が好きである。
1963年に憲吉が亡くなった後、安堵村の生家とアトリエは富本憲吉記念館として保存され、作品も初期のものを中心に展示されている。
訪れる人もまばらな、その記念館の辺りには、染付に描かれた素朴な風景がわずかに残されている。羊歯に覆われた堀を渡ると、草花が咲きそろう庭に出る。憲吉が好きだった定家葛も小さな白い花を咲かせている。
そこだけ時間が止まってしまったような盆地の真ん中で、私はひとり立ち続けていた。
建築家 野口政司 2006/7.1(土)徳新夕刊より
これぞ吉野川ブランド!
こんばんは fumicaです。
自然の住まい協議会 第1号 里山の家 S邸の見学会に参加しました。

外観です。

塗り壁と吉野川源流の木がいい感じ。やさし~い空気がながれていました。
半夏生
ころぼっくる (かたかなにならない!!どうして?)です。
今日友人が、半化粧の葉っぱが好き、と便りをくれました。私の庭には、毎年この季節になると
半化粧が涼やかにたくさん茂ります。一株をもらったのに、いつの間にか増えました。
葉っぱの半分がちょうどお化粧をしたように白くなるのです。この時期の呼び名を半夏生という、と
その人は教えてくれました。夏至から11日目、ちょうど7月2日の今日の頃です。
夏らしいきれいな呼び名で、杉の木戸に良く似合う植物、そしてまた、かすかに香ります。
やがて白い穂のような花をつけ、花をつけると葉っぱはお化粧を落とし・・・・
なにやら身につまされる移ろいですね。
植物も動物も、じっと目をこらしてみれば、不思議の一語に尽きます。便りをくれた友人は、
いつもその不思議を感じとる感性をお持ちですから、またいっぱい話して下さい。
吉野川 干潟でかくれんぼ

こんばんは fumicaです。
吉野川と鮎喰川が合流するあたり。
白色のツメのしおまねきがおいでおいでしています。
つられて干潟におりると、いっせいにみんなが穴の中に。
アレレッ、足元の一匹がおかしいぞ。
先客がいたようで、これ以上もぐれない。
隠れたいのに隠れない。
カニが汗をたらしてるようでした。