里山エッセイ
« 2007年02月|里山エッセイ:トップ|2007年04月 »
春の散歩は。
やわらかな陽射しを浴びて散歩する。

散歩の途中、ラズベリーの新芽を眺める。

クリスマスローズに埋もれてみたりする。

吉野川で春のおしごと
こんばんは fumicaです。
堤防が、すぎのこの緑で覆われると、
河川敷の畑もあっという間にちいさな芽でいっぱいに。
ひとやすみひとやすみ。
春の野原で・・・。

石垣の上でも・・・。

吉野川のシンクロナイズドスイミング
こんばんは fumicaです。
吉野川のクラゲは、女神デデュー?
豆の畑。
えんどう豆はこんなに育っています。

そら豆の畑も視察。

美しき日本の残像
「日本の一番美しい山の祖谷、伝統芸能200年の天才玉三郎・・・僕は幸せだったと思います。美しい日本の最後の光を見ることができました」
アレックス・カーさんは、東祖谷の築300年のかやぶきの民家をセカンドハウスにした、徳島にもなじみの深いアメリカ人の東洋文化研究家だ。
新潮学芸賞を受賞した『美しき日本の残像』の中で、日本建築や歌舞伎、山水画、書などの日本の伝統文化の素晴らしさをたたえている。そしてその本の最後に、彼は先ほどの言葉をつづった。
失われていく日本の美しさ。その黄昏の時に身をおくことの喜びと、そして深い悲しみが伝わってくる。
1993年に、この本を出してからほぼ10年後に、アレックスさんは『犬と鬼ー知られざる日本の肖像』を書く。
前者がやわらかな日本語でつづられたのに対し、この本は外国向けに英語で出版されたのを日本語に訳したものだ。
本の題名は、アレックスさんが白洲正子さんの家で見た書「犬馬難、鬼魅易」からきている。空想の鬼を描くのはやさしいが、そこら辺にいる犬や馬を描くのは難しい、という意味だ。日本人は、目の前にある日本の本当の姿が見えていない、ということのようだ。
『犬と鬼』は、美しい日本の最後を見届けたアレックスさんが、なぜそうなったのかを、目の前の犬を必死に見つめて書いた日本論だ。
土建国家、官僚制、バブル、吉野川可動堰・・・前者とは異なる厳しい言葉、激しい怒り。彼は日本が嫌いになってしまったのだろうか。
本の最後は、次の言葉で終わっている。
「日本は日本でなくなった。家路を探し求めるーこれが今世紀の課題だ」
アレックスさんが買い求めた祖谷の民家は「ちいおり」と名づけられ、この春、2回目のかやぶき屋根のふき替えをする。世界各国から若者たちが集まり、材料のススキ刈りをしているそうだ。
共同所有者の写真家、メイソン・フローレンスさんは、汗をぬぐいながら、こう話している。
「ここは日本の原風景。私たちの手で守っていきたい」。
建築家 野口政司 徳島新聞夕刊3月17日付け ぞめきより
里山のふしぎ
こんばんは fumicaです。
美しい幾何学模様を見つけました。
どこかに、伸びていきたいのでしょうね。
吉野川は穏やか
こんばんは fumicaです。
水がひいて、舟が一休み。
吉野川は寒し
こんばんは fumicaです。
先日は、吉野川の干潟のあちらこちらから 「パチッパチッ」と、音がきこえてきたのに、今日はまったくなく、さみしいものでした。
寒いと、カニたちも、巣穴でじっとしてるのでしょうか。
吉野川河川整備計画と流域住民
国交省は昨年5月から河川整備計画の策定作業を進めています。
私たちは第十堰を保存する運動を通して、吉野川への市民参加の大切さを学びました。
そしてこの策定は住民合意をもって進めるべきと考えています。
しかし、国交省は流域委員会を設置せず、住民・学識経験者・首長それぞれからの意見聴集の会をこれまで2サイクル開くにとどまりました。
しかも住民の意見聴集は、国交省が選んだコンサルタントが運営し聴き置くだけという設定で、納得のいく説明や議論のない実に空虚な会でした。
第十堰の可動堰化が浮上してこないか、どうして森林整備に重きをおいた治水対策をしないのか、等々住民の疑問に明確な答えを返そうとしない国交省の姿勢に、流域に住む人々を締め出して策定を押し切ろうとしている意図を感じてしまいます。
4日、住民の立場からこの策定を考える車座会議(吉野川みんなの会主催)が開かれ、東工大の原科幸彦教授から「学識者・市町村長・住民の3者が意見交換する場が必要」と提起がありました。
また、上流からの参加者が「下流の人たちは川に対する問題意識がなさすぎる。上流はもっと一生懸命だ」と発言されました。
徳島市民にとっても吉野川はあまりに大きい存在のはず。
子どもたちのために30年後どのような吉野川を残したいのか、選択するのは国交省ではなく、私たち流域住民です。
おがたま下のお家の生活。
木陰になってる屋根の上で、歌をうたう。

また机と椅子を外に出して、豆福と玉福はひなたぼっこ。

そんな穏やかな日々。
引越し先は・・・。
おがたまの木の下が、ちょうどいいようで・・・。

桃の節句に。
3月3日は桃の節句。
桃の花がこんなに咲いています。

三つの宝

芥川龍之介の残した本の中で、最も美しいと思うのは、改造社版の童話集『三つの宝』だ。
龍之介の死の翌年、昭和3年の発行である。「白」や「蜘蛛の糸」、「魔術」、「杜子春」など6つの短編童話からなっている。
小穴隆一の挿絵も素敵で、この本自体が美しい宝物のように思える。
表題となった「三つの宝」は、一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマント、鉄でもまっ二つに切れる剣、の三つの宝をめぐるお話だ。
盗人にだまされたのも知らず、三つの宝を手に入れたと思い込んだ王子は、それらのガラクタを身に付けて王女を救いに向かう。
本物の三つの宝を持っている王が、美しい王女を自分のものにしようとしていたのだ。
王と王子の戦いは、当然のように王の勝利に終わる。しかし、王女の心が王子に向いているのを知った王は、二人を祝福し、いさぎよく三つの宝を王子にゆずる。
無敵の三つの宝をもっていても、人の心を奪うことはできなかったのだ。
この童話を読んでいると、圧倒的な兵力でイラクに攻めこみ、自分たちの主義主張に変えることができると過信したアメリカの姿が浮かんでくる。
また、金で買えないものはないと言ったホリエモンのことが思い出される。
自家用ジェットとコンピューター、巨万の富という三つの宝を手にした現代の王であったが、いともたやすくつまずいてしまった。
武力と金をもってしても人の心をそう簡単に変えたり、買うことはできないのだ。
王女と王子を祝福した王のいさぎよさから学ぶことは多いのではないだろうか。
「杜子春」の中で、仙人になろうとした杜子春は、ムチ打たれる母親の健気な心にふれ、自ら戒めを破ってしまう。
胸を打たれる印象的な結末だ。
桃の花が一面に咲きそろう季節。あたりまえのように巡ってくる自然の循環。
その中にささやかな幸いを見つけ出すことの大切さを感じさせてくれる。
建築家 野口政司 徳島新聞夕刊 3月2日付より
豆一家は移動を決意する。
木蓮下のお家にて。

豆一家は、やっぱり、お引越しです。

春の豆福。
木蓮のつぼみがいっぱいです。

そして、3月から、もうひとり紹介します。

今、豆福ハウスは、木蓮の下の壺の上。
