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里山エッセイ



新しい人へⅡ ― 長屋が生んだ建築家

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住吉の長屋 『GA ARCHITECT8 TADAO ANDO』より



社会に出たばかりのあなたに、ひとりの建築家の話をしよう。
おそらく、その人は、この世に生きる全ての人に勇気を与えてくれるのではないだろうか。


大阪の下町の長屋で育ったA少年は、うでっぷしの強いガキ大将であった。

「ケンカでお金がもらえるのなら」と高校2年の時に近所のボクシングジムに入った。
四回戦ボーイとしてリングに立ち、今の金額にして5万円程のファイトマネーをもらっていた。

しかし、そのジムにファイティング原田が練習に来た。
間近にそのボクシングを見て、「これはかなわない」とショックを受けた。

どんなに努力しても、この人には追いつけないと。


ボクシングに見切りをつけ、自分の内側を見つめた時、残っていたのが、“建築”だったという。



中学2年のとき、自分の住んでいた長屋の改造をしにきた大工さんの仕事を見、雑用を手伝った。
「これは面白い」と思った。その感動が忘れられなかったのだ。
しかし、大学の建築学科を受けるだけの学力と資力が無かった。


そこで思いついたのが、一年間で、大学教育で課せられる四年間分の本を読みつくすというやり方だ。
朝から夜中まで、この一年は外に出ないと決意した。


それをやり切って、全ての内容が理解できた訳ではないが、
不思議に自信のようなものがわいてきたという。


結局、大学に行かないまま、建築事務所の手伝いをしながら実務経験を積み、28才の時に独立する。


木造の古い三軒長屋のうちのまん中の1戸を改築した「住吉の長屋」で日本建築学会賞を受賞する。
建築家、安藤忠雄の誕生である。38才であった。文字どおり長屋が生んだ建築家といえるだろうか。

その後の活躍は目を見張るもので、世界中の賞を総なめにし、やがて東京大学の教授に迎えられるのである。


安藤さんは、若い時を振り返り、大阪商人の気質と祖母の励ましが、自分を支えてくれたという。

「諦めたら終わり。精一杯生きれば、その精一杯の分だけは生きられる」という心の強さ。
そして祖母のひと言、「お前、金貯めてもあかんで。頭の中に、自分の身体に金を貯めるんや」。


安藤さんは、20代のころ、建築の設計でためたお金をポケットに、シベリア鉄道に乗り、ヨーロッパ建築行脚の旅に出て行ったのであった。


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