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里山エッセイ



ナズナ、シロイヌナズナなど

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"a sand county almanac " Aldo Leopold 著 に出てくる ”draba "を
調べていたら面白いことがでてきた。
これはおなじみのナズナです。drabaはイヌナズナで畦みちで見かける
黄色の花をつけるもの。実はシロイヌナズナは染色体数が少ないことから
遺伝子解析がなされ、植物では初めて全塩基配列が解明され、
植物の不思議な世界の解明に重要な役割をはたしているそうです。

また20数年前、通学路に小さな小さな小川が流れ、春にはピンクのレンゲと
一緒にナズナによく似た白い小花をつけた大株の植物が水面に垂れており、
自分ではナズナと思い込んでいたが、実は タネツケバナであることが解りました。
ももさんも幼稚園の送迎に通ったところです。今は車道に。。  Goko


1月23日のワークショップ

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ワークショップは、参加した人たちの思いが重なりあい、
るつぼの中で解けたあとに結晶のようなものができ上がる。
参加した者全員がそのことを実感できるのが、
何にも替えがたいワークショップの魅力だと思う。
 
9年前の今日、2000年1月23日、
吉野川第十堰の可動堰化の是非を問う住民投票が徳島市で行われた。
それは、投票率が50%を超えなければ、
開票せず焼却処分にしてしまうという条項が付いたものであった。
 
住民の意思を問うべきであると主張した市民たちは、
どうすれば50%以上の人が投票に行くか、ということをテーマに
ワークショップを開いた。いろいろなアイデアが出され、そして全てが実行に移された。

 
・ヒューマンチェーン(人の鎖) 
 ― 長さ800mの第十堰を北岸から南岸までの人の鎖でつなぐ(500人参加)。
・セイクレッドラン 
 ― 第十堰から市役所まで市内約30kmを
    「住民投票イチニッサン」と投票を呼びかけながら走る(若者を中心に100人参加)。
・プラカード立ち 
 ― 県庁前のかちどき橋で「住民投票一二三」や
    「吉野川に一票を!」などのプラカードをかかげて立つ。
    雪の中で立ちつくす姿は市民の感動を呼び、
    やがて市内全域の辻々に広がっていった(参加者無数)。
・新聞全面意見広告 
 ― 2000人近い個人と150グループによる賛同カンパで「吉野川へ一票を!」の
    全面広告を出す(徳島新聞1月22日朝刊)。
・ピンポンローラー 
 ― 市内9万戸全戸を回り、投票を呼びかける。(参加者無数)。
・送迎ボランティア 
 ― 市民ボランティアによる老人、体の不自由な人への投票所への送迎。
 
 
 
他にも様々なプランが出されたが、
こんなの本当にできるのと思われたもののきわめつけは「50%キャンペーン」。
 
徳島市内のお店が、投票率が50%を超えた場合は商品を
50%引きにするというもので、ラーメン屋さんからお豆腐屋さんに始まり、
生協にまでそのキャンペーンは広がっていった。
 
その結果、投票率55%、投票した人の90%が可動堰に反対であった。
 
吉野川への思いをこめた、市民の祈るような活動のうち、
どれか一つ欠けても50%は超えられなかったのではないだろうか。
そして、あの時自分が動いたからこそ住民投票が成立したのだ、と
参加したどの人もが思えるような、
そんな運動ができたからこそ成功したのではないかと今でも思っている。
 
熱い思いを形にするための優れたるつぼとしてのワークショップ。
そしてその過程を共有しあうことで、目的と手段が混然一体となる・・・。
ワークショップには無限の可能性が秘められていると思う。
 
 
 
建築家 野口政司   2009年 1月 23日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
 
 


ターシャ・テューダー展のご案内

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ターシャ・テューダー展の後期が始まります。
 1月20日~2月8日
 徳島県立文学書道館

前期はおもに雑貨でしたが、後期では原画・写真がみられます。
いろんな年齢層の女性が多く来館していました。

素足すがたのターシャさんと、庭仕事を一緒にしている気分を
あじわってください。         Goko


からさお(カリサオ、カルサオ)

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博物館での阿波の脱穀用具”からさお”展をみてきました。
50年前にタイムスリップすると、大豆、小麦、大麦などの脱穀を
これを使って手伝った記憶がある。

長い柄を両手持ち、体をそらしながらモウソウチク(鉄、木の棒)でできた回転部を頭上で
回しその勢いで地面に広げた大豆に打ちつける。
根気よくこの動作を繰り返すと、豆が転げだす。

ヨコツチも展示されていた。小さな藁束を左手で持ち、台木の上に寝かせ右手に持った小さなツチで打つ時回転させる。藁をやわらかくしたり、細工するために不必要な部分を除くためにします。俵を編んで小銭を貯め孫の支援をしてくれた祖母の姿が思い出された。

農道具一つでさえ各家の季節感ある歴史を、人々の心に刻み込んでいる。 Goko



寒の音、寒の色

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ピーヨ、ピーヨという声が、寒の空気をつき切って日がな一日
聞こえる。隣と我が家の間の空間がえらくお気に入りです。

マユミ(檀)、マサキ(柾)のはじけた実をよくついばんでおり、
ジョウビタキを追っかける様子も見える。

朝早く収穫した野菜も、寒によく合う色で冴え冴えしている。
ブロッコリーに残った水が凍っている。   Goko


橋のない川

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            住井すゑ 『橋のない川』 新潮社
 
 
昭和時代が終わったのは、ちょうど20年前の今日である。
1989年1月7日、昭和天皇が亡くなった。在位64年、87歳と長寿であった。
 
その天皇よりも長生きするのだ、と作中の人物に言わせた作家の住井すゑさんは、
それより8年後の1997年に亡くなった。95歳であった。
 
代表作『橋のない川』で住井すゑさんは、いわれのない差別に苦しみながらも、
それを乗りこえていこうとする小森部落の人たちを描いた。

 
水平社設立までを書いた第1~6部を完成させた後、
20年後の1992年に第7部を書き下した。
大正天皇の亡くなるところまで書きたいというのが、第7部執筆の原動力であった。
 
そして、第2次世界大戦の沖縄戦まで、
神格天皇の終焉をラストに『橋のない川』全8巻を完結させるつもりであったが、
住井さん自身が言う「時間切れ」のため未完に終わっている。
 
 
 
第1~7部あわせて800万部を超えるベストセラーになった『橋のない川』。
被差別部落の解放と人間の尊厳、平等を訴えるこの小説が、
なぜこんなに読みつがれるのかについて、住井さんは次のように語っている。
 
  「人間の愚かさを遠慮なしに書いているからです。
   人間社会の中で、日本の部落差別ほど、ばかげたことはない。
   深刻でこっけいで、考えようによっては、これは笑い話ですよね」 と。
 
6歳のとき、奈良の住井さんの家の近くで陸軍大演習があり、天皇が来た。
その天皇のもらしたものを拾ってきて家宝にするんだ
という話を近所の農民がしているのを聞いた。
 
なんだ神といわれている天皇も自分と同じように排泄するんだ、
人間はみんな同じなんだと悟ったのが出発点であったという。
 
 
 
さて、このごろの日本は、人と人の関係が冷たい。
新たな差別構造をつくり出しているように思える。
 
『橋のない川』は、大地に根ざして働く農民と、
力を合わせて生きていく家族の姿が温かいまなざしと美しい文章で描かれている。
こんな時代だからこそ読んでみたい小説である。
今日、1月7日は住井すゑさんの生まれた日でもある。
 
 
 
建築家 野口政司   2009年 1月 7日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


寒桜

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神山森林公園の冬木立を見に、家族で出かけた。
新年の空気がみなぎっており心地よい。

森の管理人が ”寒桜が咲いていますよ。”
と教えてくれた。    Goko


初日の出

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2009年、あけましておめでとうございます。
厚い雲間からようやくかおを出してくれました。


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