ヘッダーをスキップ

ヘッダーエリア


コンテンツエリア

里山エッセイ



ほろりほろほろ

colum125 ほろりほろほろ.jpg
 
 
歌人の斎藤祥郎さんが亡くなられた。

  青年のこころつかめぬ日の多し 
  板書のチョーク音たてて折る
 
長らく教師として務められ、私も高校で国語を教えていただいた。
歌詠む人であることは、当時全く知らなかった。
バンカラな校風であったので、
いつも冷静で紳士然とした斎藤先生には
肌が合わなかったのではないかと思う。
 

 
  石に来て蜻蛉平たくとまりたり
  八月六日灼(や)けたる石に
 
原爆の落とされた直後の広島に入り、その光景を目の当たりにしている。
 
  ぽろぽろと死体をこぼしトラックは
  去りゆきしなり術なかりけり
 
  扇風機つばさ反らせてとまるとき
  ぬめぬめと汗わが原爆忌
 
そのあまりの悲惨さに、歌に詠むことができるようになるのには、
何十年もの年月が必要であったと聞く。
 
 
 
歌集「海境」(うなさか)は、
学園紛争が起こった昭和44年から、
先生が高校を定年退職する昭和63年までの作品を収めている。
 
昭和44年といえば、安田講堂が占拠され、東大の入試が中止となり、
翌年三島由紀夫が割腹自殺した頃である。
その高校もちょうど紛争のまっただ中であった。
冒頭の歌はその頃のものであろう。
 
  青年の思想ほぐさむとするわれは
  遠き輪よりぞみつめられゐむ
 
「海境」は別れの歌で終わっている。
昭和という時代、そして緑あって出会った人との別れを。
 
  人と逢ひ人と別れて春寒し
  短き酔ひを楽しみにけり
 
  花束を抱へ校門出でむとす
  銃執り学徒兵たりしこの手に
 
歌誌『徳島歌人』11月号は、斎藤先生が代表として出す最後の号となった。
巻頭はいつも斎藤代表の歌論が出ているのであるが、
この号には7首の歌が「ありがとう」と題され飾られている。
 
  ありがとう誰にともなく呟やきて
  あな羞(やさ)しやななみださしぐみ
 
  自恃(じじ)孤高かつて聳(そび)えし詩精神
  ほろりほろほろくづほれて候ふ
 
斎藤先生、最後までオシャレでしたね。
青年のこころはつかめなかったやも知れませんが、
40年たって、今の私には先生の歌がこころに響いてきますよ。
 
 
 
 
 
建築家 野口政司   2009年 11月 19日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


時を動かす 八ッ場ダム

八ッ場大橋。吾妻渓谷の入り口、八ッ場ダム湖に水没する予定だった。.jpg
 
 
 
どこまでも続く梅の花が満開だった。
 
奈良県月ケ瀬村の梅林、はるか昔の記憶の底にその美しい風景が蘇る。
高山ダム建設のためにやがてダムに沈む村と聞き訪ねたのであった。
昭和35年、全国的にダム建設が上昇気流に乗り始めた頃のことである。
八ッ場ダム計画もそんな古い時代からの遺物なのだと改めて思う。

 
 
「八ッ場ダムをストップさせる埼玉の会代表」藤永知子さんの講演会があった。
政権交替と共に宣言された八ッ場と川辺川ダム中止の報に
私たちは快哉を叫んだのだが、
どうしてどうしてその後の波紋は大きく、解決への道筋は見えていない。
埼玉で中心メンバ-として活動を続けて来られた藤永さん、
八ッ場の厳しい現実を切々と語ってくれた。
 
 
八ッ場ダムは、6都県にわたる首都圏最後の巨大ダム計画と言われ、
時の政権に翻弄され続けた。
半世紀に及ぶ歳月を経て未だ右往左往の混迷。
いちばんの被害者は誰なのか? 誰が責任を取ればいいのか?
そもそも責任を取るとはいかなることなのか?
 
今何をおいても解決されるべきは、生活を破壊された地域の人たちに、
これからはここに代々住んでいていいのだという
生活権を保障することではないだろうか。
地域の振興と生活再建支援法が急がれる。
 
 
当初の利水、治水の目的は今も必要なのか、否。
水没地の代替地工事は進んだのか、否。
 
予算額は2000億から4600億 さらに9000億へと増え続けている。
完成予定の2000年はとうに過ぎた、もちろん本体工事にはかかっていない。
 
浅間山、白根山は私には故郷でもある。噴煙も温泉の湯煙も目に浮かび、
昔から名だたる地すべり地帯であることが思い起こされる。
ダムはだめなのだ。
 
 
 
 
徳島でもあちこちで進む公共事業、私の地域でも毎日目にする光景、
南環状線道路の工事によって日々変貌していく園瀬川の姿に心が痛む。
 
道路は要るのだ、いや要らないのだ、両論どちらを選ぶのか、
住民自身もその議論に参加し、考え、判断していく時代である。
藤永さんの講演からそれを学んだ。
 
ダム建設が中止になった暁に、
秘境吾妻渓谷をぜひ訪れてみたいものである。
 
 
tokyo20091022-1.jpg
 
tokyo20091022-2.jpg
 
 
里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2009-徳島代表  八木正江
2009年 11月 13日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


「村の写真集」― ダムに沈む村

村の写真集.jpg
 
 
美しい自然の風景につつまれた山あいの村、花谷村。
その村にはダムの計画が進んでいて、
やがて水の下に沈むことになる村の全ての家族を写真に残すことで
花谷村の美しさを伝えようとする一徹な写真屋。
旧式のカメラをかついで山道を行き、
一戸一戸訪ねて歩く村の写真館の主人の姿を描いたのが、
映画「村の写真集」である。

 
本県出身の立木義浩さんが写真監修をし、
映画の撮影も旧池田町、山城町、西祖谷山村などで行われたので、
ご覧になった方も多いのではないだろうか。
 
立木さんはこのとき撮った写真を後に写真集「里山の肖像」として発表している。
写真館の父と子の葛藤を中心に物語は進んでいくが、
この映画の本当の主人公は、その村に住み続けてきた住人たちであり、
そしてその周りに広がる美しい里山であることは、
写真集に付けられた名前からも分かる。
 
 
今、その里山が荒れ、背後の森林が荒廃しようとしている。
そのことに気付き、心を痛め、何とかしようと立ち上がった四国四県の人たちの集まり
「四国の森づくりフォーラム」が10月31日と11月1日、徳島で開かれた。
 
 
基調講演をお願いした立木義浩さんは、
世界中の美しい森や里、村、そして川や海の写真を見せてくれた。
 
「総(すべ)ては繋(つな)がっている。」と題して、
森のことを語れば川の話になり、川のことを語れば里、海の話となる。
すべては循環しつながっている、と話された。
何よりその美しい写真が、失われようとしているものの大切さを、
そして何にも替えがたいその魅力を私たちに語りかけてくるのであった。
 
 
さて、「コンクリートから人へ」を合言葉に
民主党政権は全国の100以上のダムの中止・見直しを打出している。
ダムに沈んでいく運命にあった、それぞれの村の人々の営みや美しい里山の風景。
写真集にではなく、実際の姿をこそ残すべきであろう。
 
森の保水力による緑のダム効果、
地球温暖化に対する二酸化炭素の吸収・固定機能、
さらには生物多様性を保つ働きなど、森の重要性はとても大きく、
数えあげればきりがないのである。
健全で美しい森を再生するための取組みは、
まちに住む私たちにとっても今や待ったなしとなっている。
 
 
「正義を振りかざすのではなく、楽しみながらやりませんか」。
 
立木義浩さんの講演は、会場に集まった300人近くの人たちの胸に響いた。
こんなに面白く意味のあることを、みんなでやらない手はないのである。
そう、みんなで楽しみながら。
 
 
 
 
 
建築家 野口政司   2009年 11月 4日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


▲ページのトップへ戻る


サイドナビゲーションエリア

SATOYAMA SNS 里山を語るコミュニティ

ログインe-mailアドレス、パスワードを入力

カテゴリー

バックナンバー

最近の記事

最近のトラックバック

RSS 2.0 ATOM 0.3

お問い合わせ

NPO法人 里山の風景をつくる会
〒770-8055
徳島市山城町東浜傍示28-53
TEL:088-655-1616
FAX:088-655-1632
E-mailinfo@enjoy-satoyama.jp

▲ページのトップに戻る


フッターエリア


Copyright©2006 Meeting that makes scenery of hometown mountain.All Rights reserved.