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里山エッセイ



“里山”の発見

column125 里山の発見.jpg
 
 
言葉が与えられることにより、それまで気に留めなかったものが輝き始める。
 
「里山」という言葉に、私はそんな不思議な力を感じる。
子どものころから見なれていた風景が、この言葉を得たことにより普遍性をもち、
魅力あるものとして輝き出したのである。

 
この言葉の生みの親で、日本の森林生態学の草分けであった
四手井綱英(しでいつなひで)さんが亡くなった。97歳であった。
 
四手井さんは、母校京大の農学部で教えるようになった1954年、
それまで「造林学」といっていた講座を「森林生態学」に改めた。
人間が主体となり森を管理することから、
木々や多様な生物が共生する森へ、とのイメージの転換であった。
 
1960年代に「里山」という概念を提案する。農山村の人たちが
薪を採取するなど生活を支える近くの山を「里山」と名付けたのだ。
「奥山」や「山里」という言葉はそれまでもあったが、
「里山」は四手井さんの造語である。
今では広辞苑にも載っていて、
「人里近くにあって、
その土地に住んでいる人のくらしと密接に結びついている山・森林」
と説明されている。
 
四手井さんは、人と植物、動物との共生ワールドであり、
日本の原風景ともいえる「里山」の豊かさ、大切さに一早く気付いた。
そして、その保全に向けての取組みを提案している。
地球規模での環境悪化や生物多様性の危機が叫ばれている今、
もう一度四手井さんの思想を見直し、「里山」という言葉に込められた、
人と自然が共生していく知恵を学ぶべきであろう。
 
 
さて、私ごとであるが、
京都の知人から、数年間探していた土地が見つかったので、
建築家として意見を聞かして欲しいと連絡があった。
早速、滋賀県の琵琶湖の西にあるその土地を見せてもらった。
 
ゆるやかな東斜面の下の方に琵琶湖が見渡せ、
北西側には比良山系が広がる。
そしてなんと斜め隣は、陶芸家清水卯一(ういち)さんの工房「蓬莱窯」であった。
人間国宝の清水さんが、
自然の中で陶芸にひたるために探し求めた土地がここだったのだ。
感慨にふけりながらその話をすると、
知人は大喜びでその土地に住むことを決めたのであった。
 
私には、琵琶湖や比良山の眺めも良かったのであるが、
その辺りのたたずまいがとても気に入った。
古い民家や畑や林が点在し、
のどかな里山の風景が目の前に広がっているのであった。
 
 
 
 
 
建築家 野口政司   2009年 12月 05日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


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