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里山エッセイ



昭和のくらしがわかる事典?

『昭和のくらしがわかる事典』.jpg
 

里山の会員である河野真理さんお手製の
すてきなお重に入ったお節が、
PHP出版社の『昭和のくらしがわかる事典』に掲載されました!


おいしそうなお節料理・・・
毎年、お正月になると河野真理さんの家には、たくさんの人が
お節をいただきに集まるそうです。
(写真をクリックすると、拡大してみることが出来ます)
 
 


「日本の橋」

column129 「日本の橋」に出てくる熱田の裁断橋(大正初年頃).jpg
              「日本の橋」に出てくる熱田の裁断橋(大正初年頃)
 
 
  「十八になりたる子をたゝせてより、
   又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかける成、・・・」
 
 
保田興重郎の名作、「日本の橋」の終りのところに出てくる文である。
天正18年、小田原の戦に豊臣秀吉に従って出陣、
戦死した堀尾金助という若武者の33回忌の供養のために
母親が橋を架けたことを印した銘文が紹介されている。
 
この文は、名古屋市熱田の町を流れている精進川に架けられた
裁断橋の青銅擬宝珠に印されていて、
本邦金石文の中でも名文の第一であると保田興重郎は書いている。
日本の優れた橋の文学の唯一のものであるとも。

 
 
橋は“はし”であり、この世界の境である。
そして此岸から彼岸へと越えていくものである。
橋を架けることで、息子とつながることができるのではないか、
という母の思いが400年の歳月を越えて伝わってくる。
橋を架けるとは、そういうことであった。少なくともかつての日本では。
 
 
 
1月23日に行われた「10年目の123」。
1000人以上の参加者で大盛況であった。
基調講演をしてくださった五十嵐敬喜さんと、翌24日に吉野川を巡った。
第十堰から河口干潟までを見て回るエクスカーションである。
 
お天気にも恵まれ、静かな湖のように澄んだ吉野川の水面に、
眉山と空の青さが映り込む。
第十堰から河口までの14.5kmにはいくつもの橋が架かっている。
あらためて見てみると、それぞれに個性的である。
名田橋やJRの鉄橋、吉野川橋(旧古川橋)はまだしも、
吉野川大橋や東環状大橋などには、
かつての日本の橋に見られた精神性が感じられないのはどうしてだろう。
 
松茂空港や鳴門インターから徳島へと入ってくる人を先ず迎えるのが吉野川である。
川の雄大さに心を奪われ、城山、眉山の遠近感のある風景を見ながら
街の中心部へと誘われる。
この橋を渡ることで別の世界へと入っていく、という最高のシチュエーションである。
それなのに、即物的な造りの橋が、その邪魔をしているのがいかにも残念である。
 
 
  「まことに羅馬(ローマ)人は、むしろ築造橋の延長としての道をもってゐた。
  彼らは荒野の中に道を作った人々であったが、
  日本の旅人は山野の道を歩いた。
  道を自然の中のものとした。そして道の終りに橋を作った。
  はしは道の終りでもあった。
  しかしその終りははるかな彼方へつながる意味であった。」
                      (保田興重郎「日本の橋」) 
 
 
 
 
建築家 野口政司   2010年 1月 27日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


123から吉野川YEARへ

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10年目の1月23日は2度と来ない。
記念イベントを明日に控えてさまざまの感慨が経巡っていく。

 
 
このイベントを開催するに当たって、
10年前に住民投票のとりまとめ役であった友人と大議論になった。
昼に夜にチケツトとちらしを持って奔走する私に友人は冷ややかに言った。
「第十堰の問題はすでに終ったんよ、
”現政権下、予算つけず”って偉い人も宣言したんよ。」と。
 
世間では同じような意見もあるやに聞いているが、
10年間白紙のままおかれている状態から、自然に中止には移行しない。
自分たちに納得のいく「終わり」が無ければ次への「始まり」に進めない。
「123ちらしには吉野川の明日がひとつも書いてないよ」 とまたしても友人。
それは当然、吉野川の明日を創っていくのはあなた自身なのだから。
 
 
今回若い人たちがこんなにも輝いていることをぜひ伝えたい。
若者の息吹を伝えてそんな批判に応えつつ、
ふるさとの川に夢を持ちより語るために、元気に明日の会場に集いたい。
 
 
様々のプレイベントがいとも軽やかに提案され、
あれよあれよという間に実現した。
 
プラカード立ち、あの日を描いたドキュメンタリー上映会、トークショー。
寒中の新町川を黄色の旗をなびかせてカヌーも渡った。
「123! 吉野川・123! 吉野川」
川面を元気な呼び声が渡った。
水上部隊、陸上部隊相呼応して、道行く人たちも何ごとかと注目。
 
 
道行く人にちらしを手渡し、
「知っとるよ、10年が経ったんやねぇ」と以心伝心思いが通じた。
この10年はいたずらに過ぎたのではなかった。
10万人の人たちの心の奥深く、ほくほくと埋もれ火は燃え続けていたのだ。
 
それらを託せる若者が今ここにいる! 育ちつつある!
 
 
「10年目の123」は吉野川YEARへとバトンをつなぐ。
カヌー隊が阿波踊りのリズムに乗せて吉野川を讃えていたが、
そう、同じあほなら行かなきゃそんそん、終わりは始まり!
吉野川YEARの始まり始まり。
 
川を、地域を、みんなで作り上げていく吉野川YEARの始まり始まり。
 
 
 
 
里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2009-徳島代表  八木正江
2010年 1月 22日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


私の上に降る雪は

cap009.jpg
 
 
  これが私の故里だ
  さやかに風も吹いている
  心置なく泣かれよと
  年増婦(としま)の低い声もする
 
  あゝおまへはなにをして来たのだと・・・
  吹き来る風が私に云ふ

 
詩人中原中也の故郷、山口市の湯田温泉町を正月休みに訪れた。
生誕地には中原中也記念館が建てられている。
すぐ近くにある高田公園は、井上馨の旧居跡につくられた小さな公園で、
そこに中也の詩碑がある。
冒頭の詩、「山羊の歌」の中の「帰郷」の最終部が彫り込まれている。
この字は中也の最大の理解者であり、
又恋敵でもあった小林秀雄の筆である。
 
公園の片隅にわき出る足湯温泉には、
何人かの少女たちが足を温めて楽しそうに語らっている。
しかし、中也の詩碑を眺めるのは私の他にはなく、
近くの山頭火の句碑とともに冷たい風に吹かれていた。
 
中原中也の詩といえば、10年前の1月23日、
吉野川の住民投票を取材した四国放送のドキュメンタリーのことを思い出す。
 
『私の上に降る雪は』と題されたその番組は、
民放連のドキュメンタリー賞を受賞している。
 

 
  私の上に降る雪は
  霙(みぞれ)のようでありました
 

 
「123」と書かれた黄色いプラカードを掲げて立つ
住民投票の会のメンバーの上に雪が降りつもる。
徳島で一番寒く、気候が悪い頃に投票日は定められた。
それが1月23日であった。
そして投票率が50%を切れば、開票しないという前代未聞の50%条項。
 

 
  私の上に降る雪は
  ひどい吹雪とみえました
 

 
このような中、町の辻々に黄色いポスターをもつ人たちがあふれ、
通りかかった車から手が振られ、激励のクラクションが鳴らされた。
 
可動堰推進派による不戦勝を狙ったボイコット運動などにもかかわらず、
投票率は55%、そのうち90%が計画に反対だった。
102,759名の人たちが反対に○をしたのであった。
 
その結果、可動堰計画は白紙棚上げとなった。
しかし完全中止の決定までには至らず、
10年後の今日まで、住民の意思は宙に浮いたままとなっている。
 
この1月23日に「10年目の123」が開かれる。
今度こそ10万人の意思をかたちにする機会としたい。
吉野川の未来を共に語り合うためにも。
 
 
  これが私の故里だ・・・
  あゝおまへはなにをして来たのだと・・・
  吹き来る風が私に云ふ
 
 
 
 
 
建築家 野口政司   2010年 1月 13日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


東雲の空に

はつひので.jpg
 
 
 
大晦日日本列島は大雪と暴風に見舞われた。
嵐の中に2010年の新年は明けた。
明けた東雲の空を茜色に染めて太陽が上った。
 
「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている。」
司馬遼太郎「坂の上の雲」の冒頭の言葉が浮かんだ。
新年となり、日本という国は
開化期ならぬ改革期を迎えているのではないか、と思う。

 
 
そんな大それたことではなくても、
新年には一年の抱負を語ることになるのだが、抱負の第一は吉野川。
吉野川にとっての一大事は、どんな事でも黙っていられない。
中でも10年前の住民投票は何ものにも代え難く、
民主主義をわが身で体験した決定的な瞬間だった。
 
 
思えば私は民主主義の申し子、戦後すぐに小学生となり、
中学、高校と進んでいく中で民主主義という言葉が氾濫した。
それを聞く度に、何か変革がもたらされていくような明るい気持になった。
平等主義、個人の自由、少数意見の尊重、人権・・・
難しい定義は別として、言えば、
「自分が聞いて、自分が考えて、自分が発言して、それらを集めれば事は成る」
と理解していた。
 
どこかで聞いたような?
 
自分たちのことは自分たちで決めよう。
10年前の住民投票実現の合い言葉ではないか!
 
 
実は1月11日、 全国の住民投票にくわしく、
常に民主主義の最前線に立つジャ-ナリストの今井 一さんから、
「吉野川の住民投票がはじまりだった!」という話を聞こうとしている
(あわぎんホ-ル 1時半)。
自分たちで決めた”はじまり”を10年経った今、
どこにつなげていけばいいのかを、若い人たちを交えて語り合ってみようとしている。
語り合いの先に「10年目の1.23」-第十~流域~民主主義-の
本イベント(教育会館 1時)がある。
 
 
徳島を変えた熱き意思を次代の若い人たちに自分の言葉できっちりと伝えたい。
人生の先を行くものは誰でも、自分の過去と現在とを坩堝に入れて
新しい未来を錬金し伝達していかねばならないと思う。
 
この一年幸せ溢れる年であれ、虎の雄叫びのように強き年であれ、
東雲の空を仰いで願いは尽きない。                      
 
 
問い合わせ先 NPO里山の風景をつくる会
TEL 088-655-1616 FAX 088-655-1632
 
 
 
 
里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2009-徳島代表  八木正江
2010年 1月 6日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


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