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里山エッセイ



風景はなみだにゆすれ-井上ひさし逝く

column135 「風景はなみだにゆすれ-井上ひさし逝く」.jpg
 
 
 
作家の井上ひさしさんが亡くなった。75歳であった。
 
代表作の「四千万歩の男」は、
「大日本沿海実測全図」を完成させた伊能忠敬の伝記小説である。
忠敬は50歳で家督を子に譲り天文学の勉強を始め、
56歳から73歳で亡くなる前年まで日本全国を実測して回った。
その距離3万5千キロ、歩数にして四千万歩であった。
人生50年といわれた時代に、隠居後の56歳から始めたというところに、
私はうちのめされたり、又元気づけられたりもするのである。

 
 
「遅筆堂」という名のとうり、井上ひさしさんは自他ともに認める遅筆で、
〆切に遅れ、劇の開幕に間に合わなかったりという逸話も多い。
しかし、その作品のどれもが質の高さで知られ、
書き出した時には全てがほとんど頭の中で出来上がっていたとも言われている。
 
忠敬が一歩一歩歩いていったように、
井上さんは一作一作をていねいに仕上げ、
生涯を通じてどの作品も代表作と言えるほどの出来ばえであった。
一生トップランナー、いやトップウォーカーであったと言えるであろうか。
 
東北地方のある村が中央国家からの独立を宣言する「吉里吉里人」、
そして広島の原爆投下の後、生き続ける父娘を描いた戯曲「父と暮らせば」など、
国のあり方や戦争への批判を庶民の立場から表現した名作も多い。
 
 
 
又、井上ひさしさんはエッセーの名手でもあった。
「風景はなみだにゆすれ」は井上さんの宮沢賢治へのオマージュである。
 
釜石の国立療養所のスタッフとして、
花巻であった野球大会に参加していた井上さんは、町を散策する。
試合までまだ2時間以上あったのだ。
 
「賢治が毎日のように眺め暮した花巻市下根子の風景を、いまおれが眺めている。
この風景のどこかに羅須地人協会があるはずだ。
・・・しきりに口のなかで、
 (いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)し 
  はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ)
と、『春と修羅』の一節を呟いていた。
十九歳のにきびの青年はそのときとても涙もろくなっていたので、
<風景はなみだにゆすれ>て、歪んで見えていた。」
 
グランドに戻ったとき、試合はすでに終っていた。
主戦投手の井上さんがいないのにチームは勝っていた。
すっかり野球熱の冷めた井上さんは、休学していた上智大学に戻り、
文学の道を歩み出すことになる。
 
「ひょっこりひょうたん島」で
子どもたちの心をとりこにするようになる10年も前のことであった。
 
 
 
 
建築家 野口政司   2010年 4月 27日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


信濃の国

 
 
 
4月の始め久しぶりに故郷に帰り温泉行(こう)となった。
訪れた赤倉温泉はまだ班(はだら)の雪景色、
聳え立つ黒姫山も妙高山も雪化粧だった。
 
実家は、俳人小林一茶がよく往き来したといわれる北国街道筋にある。
山路にかかると遠く千曲川も眺められて旅情豊かな往来が偲ばれる。
更に北へ北へとたどれば一茶の古里柏原に至り、
ナウマン象の遺跡が出た野尻湖を経てその先はもう新潟に近い。
赤倉温泉はそこにある。

 
 
思えば、故郷を出でて半世紀、名古屋~長野間を幾度行き来したことか。
中央線が電化される前、汽車は黒い煙をもくもく吐いて走った。
急勾配をあえぎあえぎ上り、スイッチバックしながら長い冠着トンネルを出て姨捨駅へ。
出口の明かりにほっとした。
 
日本3大車窓と言われる「田毎の月」の千枚田に見とれつつ、
千曲川が広げた善光寺平を過ぎて終点の長野に。
 
 
 
スイッチバックは汽車に留まらない。
中央線に乗った途端に関西圏から関東圏へと私の中でスイッチが切り換わる。
山の形が象徴する二つの文化圏とでも言えようか。
木曽福島を過ぎ、塩尻から松本にかかると、
日本アルプスの鋭い稜線が雲間に連なって見える。
シュウ曲作用という造山活動によってできた山脈である。
背筋がきりりと伸びる
 
一方、盛り上がった地面が徐々に削られていった四国の山地は
春の日和のようになだらかで心ものどか。どちらを故郷に選ぶ?
 
 
 信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
 松本 伊那 佐久 善光寺 4つの平らは肥沃の地
 海こそなけれ 物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき  
 
 
温泉の湯煙りに浸りながら、思わず口ずさむ長野県歌「信濃の国」のメロディ。
山を描き、川を描き、平を描き、人を描いて信州一望。
やはり住みたいまちの筆頭、故郷とはそういうものであるらしい。
 
 
 
 
 
里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年 4月 21日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


羊と樅(もみ)の木の歌 ― ルーマニアの音楽家

みやこうせい.jpg
      みやこうせい「ルーマニア民俗写真展」より
 
 
 
  
45年前、シベリア鉄道でモスクワに行き、
それからパリに向けて旅立ったみやこうせいさんは、
その途中、ルーマニアの国境の駅に降り立った。
そしてラテン系の血の騒ぐ、
あるいは奔流しざわめくルーマニアの人々に心から魅せられてしまった。
 
「住民の、そう、神がかりめいた親切さ、あたたかさに感じ入った。
人々の情に何度も涙した。
右も左も、一・二・三も分からない、極東からの旅人を人々は手あつくもてなし、
・・・別れる時にあの人たちははじめじんわり、やがてぽろぽろ涙するのである。」
(みやこうせい「人呼んで、世界の中心・・・」)

 
 
それからみやさんは、150回近くルーマニアを訪れ、
彼らの生活を写真に撮り、本につづり続けてきた。
 
二年前の夏、県立文学書道館で開かれた
「羊と樅(もみ)の木の歌 ― ルーマニア民俗写真展」を覚えておられる方もあろう。
エッセイストでフォトアーティストのみやこうせいさんの
ルーマニアへの思いを語る公演と写真展が開催された。
 
 
私は村の風景と人々の生活の姿に目を奪われた。
特にマラムレシュ地方の写真は、みやさんの言う「原ヨーロッパ」、
「最後の楽園」の姿を見事に写し撮っていたのであった。
 
 
昨年11月、ルーマニアの文化勲章を受けたみやこうせいさん。
お祝いのメッセージと
ルーマニアの音楽家を徳島に招いてコンサートを開くことを伝えたところ、
徳島の友人たちにも聴いて欲しいと頼まれたのであった。
 
 
ルーマニア出身のヴァイオリニストのユリウ・ベルトークさん、
そしてピアニストのミハイ・ウングレアヌさんら5人の音楽家たちのコンサートである。
ベルトークさんの奏でるルーマニアの秘曲「望郷のバラーデ」は、
みやさんが心を奪われたルーマニアの人々の魂を伝えてくれる。
 
他にも、生誕200年となるシューマンの「ピアノ五重奏曲」や
ベルトークさん作曲の「ヒロシマ」など、あまり聴くことのできない曲も演奏される。
徳島からは若手ピアニストの川内麻紀さんも参加してのコンサートである。
 
「ウルマー・カンマー・ソリステン2010」
4月18日(日)県教育会館大ホール、午後2時開演。
 
 
ベルトークさんの魂に響くヴァイオリンの音色。
そして交響曲のように豊かで色彩感あふれるウングレアヌさんのピアノ。
 
それは忘れることのできない出会いとなるかも知れません。
みやこうせいさんがふと足をおろしたルーマニアの大地との出会いのような・・・。
 
 
 
 
建築家 野口政司   2010年 4月 12日(月) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


思いの至りて

 
 
再び忘れ得ぬ日が来た。
 
2010年3月23日、大地を潤す春の雨がお堰の上にも降っていた。
「可動堰はあり得ない。」
「現堰はどうすれば保存できるか調査にかかる。」
と断言した前原大臣の声をお堰はどんな思いで聞いたろう。
 
「えっへん、どうだ。258年経っても無事に働いているぞ」。
魚道を走る水音と、さわさわ透過水の音も聞こえて、
堂々と横たわる斜め堰の声が聞こえた。

 
 
 
3月26日間髪を入れず前原大臣は明言した。
「可動堰は作らず、現在ある第十堰を残すことを前提で
吉野川の治水対策を検討して欲しいと河川局に指示した」と。
住民の意見が反映される委員会の設置にも言及している。
すでに策定された河川整備計画に果たして楔は打ちこまれるのだろうか。   
 
 
長かった。長かったと思う。
反対の意思を示した10年前のあの日のように、思い切り万歳!と叫べなくて、
こんなに嬉しい知らせはないのに涙がこぼれた。
果てしない絶望ともしやの期待と、住民の吉野川への思いは翻弄され続けた。
澱みに浮かぶうたかたのようにかつ消えかつ結びて留まることのなかった10年。
けれど決して譲れない意思が私たちを支え続けた。
思いは必ず実る、大事な堰は壊せない、コンクリ-トのお化けはいらない、
未来に貸しは作れない。
 
ひたすらに歩き続けた10年が過ぎて、この日が来た。
 
 
この10年間の活動をあらためて思う。
森と川をつなぎ、川上と川下の人たちをつなぐ活動が生まれた。
緑のダム構想を作った、干潟の生きものを観察し続けた。
ラムサール湿地条約の登録リストに入るかもしれないと嬉しい期待もある。
野鳥の四季を追い続ける人たちやシカの食害に取り組む人たちがいる。
吉野川の恵みを育てる農業の活動も広がっている。
 
「これから これから これからこそが本番!」堰がつぶやく。
川が戻ってくる本番の日々が始まる。
「これでやっと川といっしょに暮らしていけるんや!」
思わず叫んだ知人の、満面の笑みが嬉しい。
 
愛しい吉野川よ。
10年の思い至りてなお、思いは尽きない。      
 
 
 
追記 4月11日(日) 夜7時半より前原大臣会見報告会が開かれる。
文化センタ- 2号室にて。
 
私たちの声が国に届いた瞬間が再現されるだろう。
 
 
 
 
 
里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年 4月 6日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


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