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里山エッセイ



はたと眉山に

NEC_2622.JPG
photo by 朝波 史香 
 
眉山はなるほど眉の山である。
 
   “眉のごと雲居に見ゆる阿波の山
    かけて漕ぐ舟泊まり知らずも”   (万葉集 船王)
 
命名の由来によく引き合いに出される歌である。
 
 
この度思いがけず入院という憂き目に遭ってま近に眉山と対面することになった。
眉山の南側が日常のテリトリ-なので、北側の眉山は珍しく、
朝も昼も夜も眠りに落ちた真夜中にも、山の気をまともに感じることができた。

かくも長々と横たわっていようとは!
切れ長の目ならぬ何と長い太い眉ではないか。
なだらかに落ちていく東の山の端から日が昇り朝焼けの雲をなし、
これまたゆるやかに落ちていく西の山の端につるべ落としに秋の日が沈んだ。
 
  “秋は夕暮れ
   夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、
   烏の寝どころへ行くとて、
   三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさえあはれなり”

清少納言さん、その通りですよ。
微かに色づき始めた木々は何々?
主たる植生はアカ松の二次林で所々に広葉常緑の暖帯林があるというが
然るべく教えを請いたいもの。
 
 
山ふもとの地名から
佐古山、富田山、八万山、名東山、中津山、福万山、柿谷山、長谷山、
東麓に広がる寺社との関係から、大滝山、勢見山、万年山との別名もある眉山。
 
そういえば「四日の悪日(しがのあくにち)」ということばの解説(広辞苑一日一語)にも、
「三月四日のこと。仕事をしては悪い物忌み日として花見遊山をする。
特に徳島の大滝山遊山は著名」とあった。

水源の森、眉山は庶民に晴れと卦と信仰を供する山であったのだ。
鮎喰川と園瀬川に挟まれ、名東遺跡、最近見つかった川西遺跡にもあるように
山ふところ広く、古代から今に続いて人が住み、文化が生まれ、
徳島の歴史を作り続けてきたに違いない。
 
 
この10月、
仲間はみんな名古屋でのCOP10に行ってしまって寂しい思いもしたのだが、
眉山に添え寝としゃれ込んで、日がな一日眉山と語り合い、
人の暮らしと生物の豊かさに思いを致すことができたのは嬉しいことであった。                  
 

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年11月2日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 



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