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里山エッセイ



原発事故と母子疎開

大空襲の頃、東京のおばたちが子どもを連れて、
私たちが住む長野の田舎に疎開してきた。
狭い借家住まいで、家中に人がひしめいていた。
当時どこの家でも庭先にニワトリを飼っていた。
ココ ココ コケッ、餌やりは子どもの仕事、
毎日つつかれてドキドキした。
食糧難だったからサツマイモのつる、はこべ、
ナズナ、スカンポ、糠団子何でも食べた。
ニワトリといっしょだった。

ふさふさ白い毛のアンゴラウサギもいた。
ある日因幡の白ウサギに。
白い毛は毛糸に変身、
母が編んでくれた白いセ-タ-になったと信じていたのだが。
 

昨年の3.11原発事故は、
終息するどころかますます放射能汚染の渦を広げ、
「疎開」という新しい課題を生み出している。
今年3月11日「とくしま母子疎開の会」が出来た。
はるか65年も前に経験した「疎開」に直面している。


先日来、震災がれきを受け入れるのか、受け入れないのか、
全国各自治体は国の度重なる情報操作の下に判断を迫られた。
徳島県は受け入れないと返事をした。


本当の支援とはどんな事なのか、私たちは考えた。
がれきではなくて、人を受け入れよう、
放射能に汚染されていない安全な土地を守って、
食べものや住まいを提供しよう、
この呼びかけは大きな反響を呼んだ。


全国から、特に関東地域から自主疎開したいと、
問い合わせが殺到、
連日疎開希望者が下見に訪れている。
命からがら、着の身着のまま一日も早く、
とにかく子どもを守りたいと逃げて来る家族。
安全な食べものが並ぶ店先で涙をぽろぽろこぼしながら、
すぐにでも引っ越せるように契約したいと申し出る。
事態は切迫している。まず住まいがいる。
学校も、保育所も、お店も要るけれどまずは住まい。


「とくしま母子疎開の会」は徳島になじみの少ない人たち。
私たちは、「母子疎開の会支援プロジェクト」を立ち上げ
市民レベル情報センタ-の役目を果たそうとしている。


未来を生きる子どもたちはわが子わが孫。
人は人により人となる、そんな箴言があった。
新しい国づくりが、この子たちから始まるかもしれないと信じている。


 
 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
          地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 5月8日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


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