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里山エッセイ



文学の中のすまい   草庵の自由―『方丈記』 2

『方丈の庵』         

今年の初詣では、京都の下鴨神社を訪れた。
京都らしく着物を着た参拝者が多い。
着飾ったというより、粋に着こなした若者のカップルが目を引く。
下鴨神社のある糺(ただす)の森の一隅に
河合の社がひっそりと木に埋もれるように建っている。
『方丈記』の作者、鴨長明の父が神職だった所で、
境内に長明が晩年に結んだ「方丈の庵」が復元されている。
初詣でのお目当てはその庵であった。

思っていたより広い、というのが第一印象。
蔀戸や軒の出が庵を大きく見せていることもある。
四帖半の中で読み書きをし、楽器を奏で、
あとは寝るだけのスペースである。
台所も厠も、当然浴室もない。
極限の住居といえるであろう。
隠者のすまいで、むしろ「栖(すみか)」という字がふさわしい。

ところで、どういう縁か「方丈の庵」のような家を設計して欲しい、
という方がたて続けに二人あらわれた。
一人は母屋の離れに趣味室を、という依頼。
グランドピアノを置いて誰にも気兼ねなく弾き、
何かの時にはドアを開いて屋外コンサートができるように、
という趣向である。
 
もう一人は、家族にはもう充分尽くしたので、
今度は一人になれる隠れ家をという依頼である。
これぞ長明の弟子とも言える方で、
こちらも一緒になって面白がって設計しているところである。

二帖台目の中に小宇宙を見た利休の茶室とも異なり、
方丈の中に自由を見い出し、廻りの森や自然と響きあう、
伸びやかでゆったりとした栖のあり方というものがあるのではないだろうか。
長明の時代と同じように大震災や戦争に向かい合う現代の私たちに、
800年前の春に書かれた『方丈記』から考えさせられることは多い。

「・・・・・よどみに浮かぶ うたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(たとえ)なし。
世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。」


                     里山の風景をつくる会 理事・建築家
                           野口 政司


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