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    <title>NPO法人 里山の風景をつくる会｜里山エッセイ</title>
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    <title>つげ義春の青春</title>
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    <published>2010-03-12T06:00:00Z</published>
    <updated>2010-03-12T06:01:14Z</updated>
    
    <summary> 　 つげ義春さんのマンガで忘れられないシーンがある。 その最後のシーンだけが記...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="つげ義春.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5.jpg" width="400" height="349" />
　
つげ義春さんのマンガで忘れられないシーンがある。
その最後のシーンだけが記憶に残っているのだ。
途中は忘れてしまっている。どんなストーリーだったっけ。
　
少年が一人で仕事をしている。
町工場の片すみで。
子供のころ、普通に目にしたバラックのような板張りの工場の中で・・・。
　
書庫の一番奥の棚にあったつげ義春全集を引っぱり出した。
その第７巻に出ている「大場電気鍍金工業所」がそれであった。
　
メッキ工場の社長が肺炎で死んでしまい、
残された奥さんとメッキ工の少年が工場で研磨の賃仕事をしている。
「メッキの職人は必ず肺をやられる」と、出だしから暗い話ではある。
]]>
        　
　
このマンガは、つげ義春さんの自伝的作品で、メッキ工の少年は作者の分身である。
元工場長の金子さんとその家族の描写は、これ以上ないのではという程悲惨であるが、
読んでいるとなぜか懐かしい気分になってくる。
確かにこんな風だったよな、あのころは、と思えてくるのである。
　
つげ義春さんは1937年生まれだから、私より14歳上だ。
小学校を卒業してメッキ工になった。
メッキ工場に行きながらマンガを書き始めた。
しかしなかなか芽が出ず、東京錦糸町の下宿の支払いを2年分も留めたため、
便所を改造した一畳の部屋に幽閉されている。
そこで8年間過ごすことになる。そのころのことを描いたのが「義男の青春」である。
　
やがて白土三平さんに認められ、『ガロ』で作品が掲載されるようになる。
「紅い花」や「李さん一家」「ねじ式」など、
つげさんの代表作が生み出されていくのである。
　
　
私はつげさんのほとんどの作品を読んでいて、どれも大好きなのだが、
自伝的作品には特に心引かれる。
そこにはあの時代の貧乏で孤独な青年と、
無名の職人たちや生活者の姿が描き込まれているのである。
みんな同じように貧乏だったけど、心は貧しくなかったあのころ。
　
「大場電気鍍金工業所」の中で、奥さんが男とともに夜逃げしてしまい、
人手に渡ってしまった工場で、ひとり研磨機に向かう少年。
その印象的な最後のシーンが心から離れないのである。
　
　
　
　
建築家　野口政司　　　2010年 3月 12日（金）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>あるじなしとて春な忘れそ</title>
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    <published>2010-03-06T06:00:00Z</published>
    <updated>2010-03-08T05:16:54Z</updated>
    
    <summary>　 　 　梅の思い出リレー。 　学校帰りに近道を 　通ってみればどこからか 　ほ...</summary>
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　梅の思い出リレー。
　学校帰りに近道を
　通ってみればどこからか
　ほんのり匂う梅の花
　
　
田んぼのあぜ道をとんとん走った近道、
横丁を曲がってひなびた家並に出くわした近道。
思い切り走ったお墓のある近道。
背中のランドセルがカタカタ鳴って、オカッパ頭は神出鬼没。
辻々に梅が香っていた。
　
奈良県月が瀬村、ダムに沈んでいった白い白い一面の梅。
白い幻は今も夢に立ち現われる。
木頭村の切り立つ谷に立った日。
「ダム底に沈まなくて良かった！」ダムを止めた村民の苦労がしのばれた。
あれも梅の季節だったか。

        　
　
徳島に来てすぐの春、
手を組んで二人で訪れた鳴門市大谷町の梅林、ふくいくと香っていた。
数年後手をつなぐ相手は子どもとなり、家族で出かけた明谷梅林。
　
入田の里山に今を盛りと咲いていた紅梅。
人待ち顔に辺り一面香りを放つ。
ていねいに組まれた山田の石垣、ついこの間、といっても７～８年にもなろうか、
清らかな沢水を引いてうまい米を作っていたという。
わずかに残る果樹園に、はっさくの黄色い実がたわわ。
竹の子ももう食わんよ！きのこも生えんよ！かぐや姫ももう住まん！だぁれーも来ん。
案内してくれた友人の、抜けるように明るい声は寂しさの裏返し。
　
　
そして昨日梅の里美郷を訪れた。
段々畑に点在する梅が満開だった。ひと雨落ちれば散り初めそう。
重なり合う山あいに数軒ずつの民家が見えて静かなたたずまい。
標高４００メ－トルの急峻な地形だから、
農地を拓き家を構えるために石積みの技術が発達したという。
高開の石積みは芸術品のように見事だった。
天高いこの地を「ソラ」と呼ぶのもうなづける。
石を積んで５０年という高開さんの語る石積みのコツは
「一　グリ、二　石、三に積み」。それが秘訣であるという。
梅干に梅酒に梅エキス、まだまだ梅製品の数々、
花より団子と買い物も楽しめて満足。地域の人たちの心意気が伝わった。　　
　
　
同じく春に咲くならばあるじある里に咲きたい！
梅の花のそんな声が聞こえてくるようだ。
　
　
　
　
　
里山の風景をつくる会 理事　
地球温暖化を考える－市民アクション2010－徳島代表　　八木正江
2010年 3月 6日（土）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>『葬送』　―　ショパン生誕200年</title>
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    <published>2010-02-25T06:00:00Z</published>
    <updated>2010-02-25T06:37:29Z</updated>
    
    <summary> 　 　 　「その美質は、奏でられる調べの一音々々から馥郁（ふくいく）と立ち昇っ...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="2010.02.25　No.131　「葬送」.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/2010.02.25%E3%80%80No.131%E3%80%80%E3%80%8C%E8%91%AC%E9%80%81%E3%80%8D.jpg" width="274" height="400" />
　
　
　「その美質は、奏でられる調べの一音々々から馥郁（ふくいく）と立ち昇って
　　客席のすべての人間を恍惚とさせた。
　　胸を締めつけるような憂鬱も、寂寥（せきりょう）も、悲哀も、
　　どの一つを取ってみてもそうした薫りを帯びていないものはなかった。
　　即ち気品であった。・・・何という香気。何という陰翳（いんえい）！」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 （平野啓一郎『葬送』）
]]>
        死を一年後にひかえた1848年2月16日、
フレデリック・ショパンは、パリで演奏会を開いた。
公の場でピアノを演奏するのは6年ぶりであった。
　
ジョルジュ・サンドとの9年間に渡る生活に終わりを告げ、
孤独と病に冒されてのコンサートであった。
しかし、会場には友人の画家ドラクロワも訪れ、
あたたかくショパンを見守っている。
300席余りのプレイエルのサロンコンサートホールは満席であった。
　
この演奏会の様子を描いたのが冒頭の文である。
平野啓一郎さんの大作『葬送』は、下巻の最初の60ページ以上をつかって、
この時のショパンの演奏を再現していて圧巻である。
リストのように、脱いだ手袋を観客の中でも一際目を引く若い女性に投げ、
すさまじい音量で有無を言わせず聴衆の心をわしづかみにしてしまう演奏とは
全く違っていた。ショパンのピアノは、むしろピアニッシモの美しさであった。
そして陰影にあふれた演奏は静かに人の心にしみ込んでいく・・・。
　
　
ショパンの生れたのは1810年3月1日。
今年はショパンの生誕200年に当たるショパンイヤーである。
10月には、5年に一度のショパンコンクールが
祖国ポーランドのワルシャワで開かれる。
　
ショパンのピアノの魅力を改めて感じさせてくれたのが、映画『戦場のピアニスト』。
ドイツ軍将校に見つかってしまったユダヤ人のシュピルマンは、
自分がピアニストであることを告げる。
彼の弾くショパンの音色に心を動かされた将校は捕まえることをためらい、
やがてひそかな友情が芽ばえていく。
この映画でショパンの遺作である夜想曲（ノクターン）第20番が演奏される。
初恋の人、グラドコフスカへの片想いの苦しさ、哀しさが
美しい旋律に表現され、胸を打つ。
　
　
1849年10月30日、パリでショパンの葬儀が行われた。
野辺送りの曲は、モーツァルトの『レクイエム』と、
ショパン自身のピアノソナタ第2番『葬送』であった。
　
　
　
　
建築家　野口政司　　　2010年 2月 25日（金）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>ハンミョウの道教え</title>
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    <published>2010-02-18T06:00:00Z</published>
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    <summary>　 風のそよぎや流れる雲に、水ぬるむ川面に、 くりくり目玉のメジロにと遠近春はや...</summary>
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風のそよぎや流れる雲に、水ぬるむ川面に、
くりくり目玉のメジロにと遠近春はやって来る。
自然の移りは正直、今日は明日へ、
明日はあさってへと寒暖取り混ぜ変身一途。
いのちみなぎり、いのち張る「春」。生物の多様性を語るには最適の季節である。
　
2010 年は生物多様性年。
これから徳島でも事前行事が展開される。
第一弾2月20日(土)に開く「生物多様性国内対話in徳島・香川」
（アスティ徳島 1時から）には、生物多様性の国家戦略なるものが登場する。
国家戦略とはこれいかに?
　
戦略ばやりの昨今だが
上から目線でない「自分たちの戦略」をぜひ立てたいと思う。

        　
　
今回は環境省が主催する。
全国何箇所かのうち、四国でもぜひと徳島開催が決まった。
中央の意向を地方が聞き、逆に地方の実情を知らせたい。
そのために国、県や市、市民、NGO、企業が同じ土俵に上がって考えよう！
というものである。
第3次国家戦略（平成19年3月閣議決定）からいよいよ地方に駒が進むと、
今度は地域戦略を作ることに相成るとか。
この徳島で誰が作る？どうやって作る？　その答えを探ろうとしている。
　
COP10では、国として短期、長期目標を決めて世界をリードせねばならず、
ホスト国である日本の責務は重い。
いやいや国ではなくて、日本国民みんながホストになるべきなんだよ、
と言われてなる程と納得、より具体的に市民(自分)の役割を探ろうとしている。 
　
　
生物多様性条約には
「保全・維持」と「持続的利用」の2つのテーマが盛り込まれている。
　
これだけは押さえておきたいね、と突然ハンミョウが登場。
生物多様性って、難しいことではないよ、でも今が大きな岐路だよ、
叡智を集めて、心配しないで生きていける術を今のうちにしっかりと手にしておこう！
と道教え。人の歩く足元をピョンピョン先行くから道教えの別名が付く。
小さな生きものの声にこそ耳傾ける謙虚な心、
そんな心の集約がCOP10を成功に導く。
　
　
環境省からはもちろん、
この条約を市民に広めるCBD市民ネットからも、ハンミョウ役の講師勢ぞろい、
参加者との対話の時間もたっぷり。どうぞご来場を !!
　
　
　
　
　
里山の風景をつくる会 理事　
地球温暖化を考える－市民アクション2010－徳島代表　　八木正江
2010年 2月 18日（木）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>萩焼そして髙橋和三郎展</title>
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    <published>2010-02-09T06:00:00Z</published>
    <updated>2010-02-09T08:34:10Z</updated>
    
    <summary> 　　　　　髙橋和三郎 作　「青藍天目釉流水鎬文壺」 　 　 “萩の七化け”とい...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="青藍天目釉流水鎬文壺.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E9%9D%92%E8%97%8D%E5%A4%A9%E7%9B%AE%E9%87%89%E6%B5%81%E6%B0%B4%E9%8E%AC%E6%96%87%E5%A3%BA.jpg" width="274" height="400" />
　　　　　髙橋和三郎 作　「青藍天目釉流水鎬文壺」
　
　
“萩の七化け”という。
　
お正月に山口県萩で求めた大振りの萩焼茶碗に、たっぷりと煎茶を入れて飲む。
うす雪を散らしたような白い釉薬に、貫入模様が表れ、それが日ごとに増していく。
　
萩焼の特徴である地土のあまさ、やわらかさが湯水の浸透を招くのである。
お茶を飲むたびに茶渋が浸み込み、貫入模様がふえていく。
“鬼萩”と呼ばれる砂の荒い土でつくられた茶碗は、
最初お茶が浸み出るほどである。
しかし、かまわずつかい続けるうちに漏れはおさまってくる。
茶の成分がすきまを埋めるのだそうだ。
]]>
        　
“一楽、二萩、三唐津”ともいう。
　
萩焼は古くから茶人に愛されてきたやきものである。
時間を味方にし、時を刻むことによって味わいを増していく。
磁器にはない、焼成温度の低い陶器ならではの深い魅力が感じられるのである。
　
この2月４日に百歳になられた人間国宝、
三輪壽雪（じゅせつ）さんの鬼萩茶碗は圧倒的な存在感であった。
又、壽雪さんの子息である三輪休雪さん、そして若手の作家まで、
萩焼に取組むすがすがしい熱気のようなものを感じた萩旅行であった。
　
さて陶芸といえば、徳島を代表する陶芸家である髙橋和三郎さんの作品展が、
本日よりあわぎんホール（県郷土文化会館）で開かれている。
　
人間国宝の清水卯一さんの内弟子として薫陶を受けた髙橋和三郎さん。
ろくろと釉薬のうでは前々から定評あるものであった。
それに加えて今回の文様である「流水鎬文」（りゅうすいしのぎもん）は、
繊細さの中に造型力と釉の味わいがみごとにとけあっている。
　
又、それぞれの陶器が日常の生活の中でつかわれることを想定していること、
つまり、やきものが本来もつべき“用の美”が意識されているのもうれしいことだ。
　
一回一回の個展に、その時その時分の造型や釉薬の工夫が見られる。
中でも今回は、和三郎陶芸の完成期に向けての
特筆すべき展覧会になるのではないだろうか。
　
その時その人だからこそ生み出される造型の美しさがある。
そして、時を友として、つかい用いることで
深みを増していく土の結晶である“やきもの”。
その魅力は、わたしの心をとらえてはなさない。
　
　
　
　
建築家　野口政司　　　2010年 2月 9日（火）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>節分を過ぎると</title>
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    <published>2010-02-05T11:00:00Z</published>
    <updated>2010-02-09T09:44:59Z</updated>
    
    <summary> 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　photo by　TAK...</summary>
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        <name>管理人</name>
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            <category term="ぞめき（徳島新聞　夕刊　コラム）" />
    
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        <![CDATA[<img alt="キビタキ.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E3%82%AD%E3%83%93%E3%82%BF%E3%82%AD.jpg" width="400" height="264" />

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　photo by　TAKESHI MIYAKE
　
　
　
ある朝、夜半の雨が止んで、空気が柔らに感じられて窓をあけると、
霞を刷いた山々が墨絵のようだった。
手前の雑木林は枝々に春の芽吹きを貯えている。
節分を過ぎると足早に春の足音。
春待つ今の、この湿り気とかすかな匂いは格別である。
　
　
この季節必ず思い出す一冊の本、海洋生物学者レーチェル・カーソン「沈黙の春」。
いきなり第1章明日のための寓話で語られる地球の現実は衝撃的である。
　
　　「自然は沈黙した。鳥たちはどこへ行ってしまったのか。
　　　みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。
　　　春が来たが沈黙の春だった。
　　　農家では鶏が卵を生んだがひなは孵らず、
　　　りんごの木は溢れるばかり花をつけたが、
　　　耳をすましてもミツバチの羽音もせず・・・。」
　
そして　「すべては、人間がみずから招いた禍いだった。」　と結ばれる。
]]>
        　
　
　
私がこの本に出会ったのは今から半世紀近くも前1964年のことである。
右肩上がりの経済成長の時代で、
「使い捨て」などという言葉が平気で闊歩していた。
使って捨てて物を動かすことが経済貢献と本気で思っていた。
何と罰当たりのことだったろう。
読んで衝撃を受け、知らぬ存ぜぬは許されないと
あらゆる環境問題に関心を持つようになった。
　
　
この本は農薬や化学薬品の乱用が自然のバランスを崩し、
自然の機能を失わせていくことへの警鐘だったが、
この半世紀に地球は激変した。
気候変動を目の当たりにし、
地球温暖化を実感し「寓話」は「実話」になろうとしている。
そしてカーソンの予言は、生物多様性の喪失という現実につながっている。
　
持続可能な21世紀のキーワードは生物多様性の保全であると言われ、
今年10月の生物多様性条約締約国会議(COP10)に向けて
徳島でも市民が声を上げ始めた。私の周りで関連のことばが踊る。
　
生物多様性とは　「命の条約・いきもののにぎわい・
生きものたちの豊かな個性とつながり・種の保存・・・」とさまざまなことばの装いで。
私流には「地球上の森羅万象みなひとしなみ」と訳してみる。
　
　
　
徳島で生物多様性問題に取り組む人たちの輪を広げようとしている。
沈黙の春ならぬ花咲き鳥歌うにぎわいの春を願って。
　
　
　
　
　
里山の風景をつくる会 理事　
地球温暖化を考える－市民アクション2009－徳島代表　　八木正江
2010年 2月 5日（金）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>昭和のくらしがわかる事典？</title>
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    <published>2010-01-29T09:43:47Z</published>
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    <summary> 　 里山の会員である河野真理さんお手製の すてきなお重に入ったお節が、 PHP...</summary>
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            <category term="四季折々" />
    
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        <![CDATA[<img alt="『昭和のくらしがわかる事典』.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E3%80%8E%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%8C%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E4%BA%8B%E5%85%B8%E3%80%8F.jpg" width="305" height="400" />
　

里山の会員である河野真理さんお手製の
すてきなお重に入ったお節が、
PHP出版社の『昭和のくらしがわかる事典』に掲載されました！


おいしそうなお節料理・・・
毎年、お正月になると河野真理さんの家には、たくさんの人が
お節をいただきに集まるそうです。
（写真をクリックすると、拡大してみることが出来ます）
　
　
<a href="http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E3%80%8C%E3%81%8A%E6%AD%A3%E6%9C%88%E3%80%8D.html" onclick="window.open('http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E3%80%8C%E3%81%8A%E6%AD%A3%E6%9C%88%E3%80%8D.html','popup','width=1280,height=862,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E3%80%8C%E3%81%8A%E6%AD%A3%E6%9C%88%E3%80%8D-thumb.jpg" width="593" height="400" alt="" /></a>
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    <title>「日本の橋」</title>
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    <published>2010-01-27T09:34:58Z</published>
    <updated>2010-01-27T10:13:27Z</updated>
    
    <summary> 　　　　　　　　　　　　　 「日本の橋」に出てくる熱田の裁断橋（大正初年頃） ...</summary>
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　　　　　　　　　　　　　 「日本の橋」に出てくる熱田の裁断橋（大正初年頃）
　
　
　　「十八になりたる子をたゝせてより、
　　 又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかける成、・・・」
　
　
保田興重郎の名作、「日本の橋」の終りのところに出てくる文である。
天正18年、小田原の戦に豊臣秀吉に従って出陣、
戦死した堀尾金助という若武者の33回忌の供養のために
母親が橋を架けたことを印した銘文が紹介されている。
　
この文は、名古屋市熱田の町を流れている精進川に架けられた
裁断橋の青銅擬宝珠に印されていて、
本邦金石文の中でも名文の第一であると保田興重郎は書いている。
日本の優れた橋の文学の唯一のものであるとも。
]]>
        　
　
橋は“はし”であり、この世界の境である。
そして此岸から彼岸へと越えていくものである。
橋を架けることで、息子とつながることができるのではないか、
という母の思いが400年の歳月を越えて伝わってくる。
橋を架けるとは、そういうことであった。少なくともかつての日本では。
　
　
　
1月23日に行われた「10年目の１２３」。
1000人以上の参加者で大盛況であった。
基調講演をしてくださった五十嵐敬喜さんと、翌24日に吉野川を巡った。
第十堰から河口干潟までを見て回るエクスカーションである。
　
お天気にも恵まれ、静かな湖のように澄んだ吉野川の水面に、
眉山と空の青さが映り込む。
第十堰から河口までの14.5ｋｍにはいくつもの橋が架かっている。
あらためて見てみると、それぞれに個性的である。
名田橋やJRの鉄橋、吉野川橋（旧古川橋）はまだしも、
吉野川大橋や東環状大橋などには、
かつての日本の橋に見られた精神性が感じられないのはどうしてだろう。
　
松茂空港や鳴門インターから徳島へと入ってくる人を先ず迎えるのが吉野川である。
川の雄大さに心を奪われ、城山、眉山の遠近感のある風景を見ながら
街の中心部へと誘われる。
この橋を渡ることで別の世界へと入っていく、という最高のシチュエーションである。
それなのに、即物的な造りの橋が、その邪魔をしているのがいかにも残念である。
　
　
　　「まことに羅馬（ローマ）人は、むしろ築造橋の延長としての道をもってゐた。
　　彼らは荒野の中に道を作った人々であったが、
　　日本の旅人は山野の道を歩いた。
　　道を自然の中のものとした。そして道の終りに橋を作った。
　　はしは道の終りでもあった。
　　しかしその終りははるかな彼方へつながる意味であった。」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（保田興重郎「日本の橋」）　
　
　
　
　
建築家　野口政司　　　2010年 1月 27日（水）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>123から吉野川YEARへ</title>
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    <published>2010-01-22T06:00:00Z</published>
    <updated>2010-02-05T09:56:50Z</updated>
    
    <summary> 　 　 　 10年目の1月23日は2度と来ない。 記念イベントを明日に控えてさ...</summary>
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        <name>管理人</name>
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        <![CDATA[<img alt="CA3B0495.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/CA3B0495.jpg" width="400" height="240" />
　
　
　
10年目の1月23日は2度と来ない。
記念イベントを明日に控えてさまざまの感慨が経巡っていく。
]]>
        　
　
このイベントを開催するに当たって、
10年前に住民投票のとりまとめ役であった友人と大議論になった。
昼に夜にチケツトとちらしを持って奔走する私に友人は冷ややかに言った。
「第十堰の問題はすでに終ったんよ、
”現政権下、予算つけず”って偉い人も宣言したんよ。」と。
　
世間では同じような意見もあるやに聞いているが、
10年間白紙のままおかれている状態から、自然に中止には移行しない。
自分たちに納得のいく「終わり」が無ければ次への「始まり」に進めない。
「123ちらしには吉野川の明日がひとつも書いてないよ」 とまたしても友人。
それは当然、吉野川の明日を創っていくのはあなた自身なのだから。
　
　
今回若い人たちがこんなにも輝いていることをぜひ伝えたい。
若者の息吹を伝えてそんな批判に応えつつ、
ふるさとの川に夢を持ちより語るために、元気に明日の会場に集いたい。
　
　
様々のプレイベントがいとも軽やかに提案され、
あれよあれよという間に実現した。
　
プラカード立ち、あの日を描いたドキュメンタリー上映会、トークショー。
寒中の新町川を黄色の旗をなびかせてカヌーも渡った。
「123！　吉野川・123！　吉野川」
川面を元気な呼び声が渡った。
水上部隊、陸上部隊相呼応して、道行く人たちも何ごとかと注目。
　
　
道行く人にちらしを手渡し、
「知っとるよ、10年が経ったんやねぇ」と以心伝心思いが通じた。
この10年はいたずらに過ぎたのではなかった。
10万人の人たちの心の奥深く、ほくほくと埋もれ火は燃え続けていたのだ。
　
それらを託せる若者が今ここにいる！　育ちつつある！
　
　
「10年目の123」は吉野川YEARへとバトンをつなぐ。
カヌー隊が阿波踊りのリズムに乗せて吉野川を讃えていたが、
そう、同じあほなら行かなきゃそんそん、終わりは始まり！
吉野川YEARの始まり始まり。
　
川を、地域を、みんなで作り上げていく吉野川YEARの始まり始まり。
　
　
　
　
里山の風景をつくる会 理事　
地球温暖化を考える－市民アクション2009－徳島代表　　八木正江
2010年 1月 22日（金）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>私の上に降る雪は</title>
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    <published>2010-01-13T05:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-13T05:55:15Z</updated>
    
    <summary> 　 　 　　これが私の故里だ 　　さやかに風も吹いている 　　心置なく泣かれよ...</summary>
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        <name>管理人</name>
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        <![CDATA[<img alt="cap009.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/cap009.jpg" width="400" height="311" />
　
　
　　これが私の故里だ
　　さやかに風も吹いている
　　心置なく泣かれよと
　　年増婦（としま）の低い声もする
　
　　あゝおまへはなにをして来たのだと・・・
　　吹き来る風が私に云ふ
]]>
        　
詩人中原中也の故郷、山口市の湯田温泉町を正月休みに訪れた。
生誕地には中原中也記念館が建てられている。
すぐ近くにある高田公園は、井上馨の旧居跡につくられた小さな公園で、
そこに中也の詩碑がある。
冒頭の詩、「山羊の歌」の中の「帰郷」の最終部が彫り込まれている。
この字は中也の最大の理解者であり、
又恋敵でもあった小林秀雄の筆である。
　
公園の片隅にわき出る足湯温泉には、
何人かの少女たちが足を温めて楽しそうに語らっている。
しかし、中也の詩碑を眺めるのは私の他にはなく、
近くの山頭火の句碑とともに冷たい風に吹かれていた。
　
中原中也の詩といえば、10年前の1月23日、
吉野川の住民投票を取材した四国放送のドキュメンタリーのことを思い出す。
　
『私の上に降る雪は』と題されたその番組は、
民放連のドキュメンタリー賞を受賞している。
　

　
　　私の上に降る雪は
　　霙（みぞれ）のようでありました
　

　
「１２３」と書かれた黄色いプラカードを掲げて立つ
住民投票の会のメンバーの上に雪が降りつもる。
徳島で一番寒く、気候が悪い頃に投票日は定められた。
それが1月23日であった。
そして投票率が50％を切れば、開票しないという前代未聞の50％条項。
　

　
　　私の上に降る雪は
　　ひどい吹雪とみえました
　

　
このような中、町の辻々に黄色いポスターをもつ人たちがあふれ、
通りかかった車から手が振られ、激励のクラクションが鳴らされた。
　
可動堰推進派による不戦勝を狙ったボイコット運動などにもかかわらず、
投票率は55％、そのうち90％が計画に反対だった。
102,759名の人たちが反対に○をしたのであった。
　
その結果、可動堰計画は白紙棚上げとなった。
しかし完全中止の決定までには至らず、
10年後の今日まで、住民の意思は宙に浮いたままとなっている。
　
この1月23日に「10年目の１２３」が開かれる。
今度こそ10万人の意思をかたちにする機会としたい。
吉野川の未来を共に語り合うためにも。
　
　
　　これが私の故里だ・・・
　　あゝおまへはなにをして来たのだと・・・
　　吹き来る風が私に云ふ
　
　
　
　
　
建築家　野口政司　　　2010年 1月 13日（水）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>東雲の空に</title>
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    <published>2010-01-06T06:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-13T05:12:29Z</updated>
    
    <summary> 　 　 　 大晦日日本列島は大雪と暴風に見舞われた。 嵐の中に２０１０年の新年...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="はつひので.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%81%B2%E3%81%AE%E3%81%A7.jpg" width="400" height="184" />
　
　
　
大晦日日本列島は大雪と暴風に見舞われた。
嵐の中に２０１０年の新年は明けた。
明けた東雲の空を茜色に染めて太陽が上った。
　
「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている。」
司馬遼太郎「坂の上の雲」の冒頭の言葉が浮かんだ。
新年となり、日本という国は
開化期ならぬ改革期を迎えているのではないか、と思う。
]]>
        　
　
そんな大それたことではなくても、
新年には一年の抱負を語ることになるのだが、抱負の第一は吉野川。
吉野川にとっての一大事は、どんな事でも黙っていられない。
中でも１０年前の住民投票は何ものにも代え難く、
民主主義をわが身で体験した決定的な瞬間だった。
　
　
思えば私は民主主義の申し子、戦後すぐに小学生となり、
中学、高校と進んでいく中で民主主義という言葉が氾濫した。
それを聞く度に、何か変革がもたらされていくような明るい気持になった。
平等主義、個人の自由、少数意見の尊重、人権・・・
難しい定義は別として、言えば、
「自分が聞いて、自分が考えて、自分が発言して、それらを集めれば事は成る」
と理解していた。
　
どこかで聞いたような？
　
自分たちのことは自分たちで決めよう。
１０年前の住民投票実現の合い言葉ではないか！
　
　
実は1月11日、 全国の住民投票にくわしく、
常に民主主義の最前線に立つジャ-ナリストの今井　一さんから、
「吉野川の住民投票がはじまりだった！」という話を聞こうとしている
(あわぎんホ-ル　1時半)。
自分たちで決めた”はじまり”を10年経った今、
どこにつなげていけばいいのかを、若い人たちを交えて語り合ってみようとしている。
語り合いの先に「10年目の1.23」－第十～流域～民主主義－の
本イベント(教育会館　1時)がある。
　
　
徳島を変えた熱き意思を次代の若い人たちに自分の言葉できっちりと伝えたい。
人生の先を行くものは誰でも、自分の過去と現在とを坩堝に入れて
新しい未来を錬金し伝達していかねばならないと思う。
　
この一年幸せ溢れる年であれ、虎の雄叫びのように強き年であれ、
東雲の空を仰いで願いは尽きない。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　
　
問い合わせ先 NPO里山の風景をつくる会
TEL  088-655-1616  FAX   088-655-1632
　
　
　
　
里山の風景をつくる会 理事　
地球温暖化を考える－市民アクション2009－徳島代表　　八木正江
2010年 1月 6日（水）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>おせち</title>
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    <published>2009-12-21T06:00:00Z</published>
    <updated>2009-12-22T17:31:37Z</updated>
    
    <summary> 　 　 「○○出版社ですが・・・」 　 あっ、また本の営業の電話だなと思い、 ...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="IMG_3453.jpg" src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/IMG_3453.jpg" width="400" height="300" />
　
　
「○○出版社ですが・・・」
　
あっ、また本の営業の電話だなと思い、
もう本を置くスペースなど、これっぽっちも無いので
けっこうですと言いかけた。
　
すると、
「実はお願いがあるんです。
NPO法人里山の風景をつくる会のホームページに出ている
『おせち』の写真を使わせてくれないでしょうか」と言う。
]]>
        　
小中学生用の教材として昭和のくらしと文化についての本を出版するのだが、
おせち料理のいい写真がなくて困っていた。
たまたま見つけたのがその写真で、
年代もののうるし塗の重箱にいっぱいに盛られたおせち料理を見て感動した、
ぜひその写真を使わせて欲しいと言うのだ。
　
それは、私も印象に残っている写真で、
「里山エッセイ」という欄に２年前のお正月に投稿のあったものだ。
早速、そのおせち料理をつくった友人のMさんに連絡をとった。
　
　
　
Ｍさんのお宅には、幕末～明治くらいの重箱が残っていて、
どんなに貴重なものでも、道具は使ってこそ価値があるというMさんの考え方で、
どんどん利用しているとのことであった。
　
Ｍさんはお茶や百人一首、源氏物語などを学び楽しむサークルを主宰したり、
近江八幡や鞆の浦などの歴史文化都市を訪れる旅を続けている。
季節に合わせた着物姿で会合に出席したりする方で、
生き方そのものが日本文化ともいえる女性である。
　
そのおせち料理も、金や赤、黒に塗られたうるしの重箱に、
黒豆やごまめ、竹の子、こんぶ巻、えび、かまぼこなどが色とりどりに盛られた、
それはみごとなものであった。
　
　
　
おせちは、御節とも書かれ、節句につくられる料理である。
特にお正月に備えて用意されるお祝いの献立で、
手づくり料理の代名詞ともなっている。
　
そのおせちを入れる重箱に塗られるうるしは、
別名ジャパンとも呼ばれ、日本文化を象徴する工芸である。
酸やアルカリにも強く、最高級の塗料として、
蒔絵や家具、什器につかわれてきた。
今や、使い捨て時代のシンボルであるプラスチックに取ってかわられ、
漆器そのものにふれる機会も本当に少なくなった。
しかし漆黒の闇とも言われるように、
うるしの深い味わいは、何にも代えがたい魅力がある。
　
　
　
新しい年は、日本文化の魅力にふれることから始めたい。
うるし塗りのお重に入った、手づくりのおせち料理をいただきながら、
新年を祝いたいものである。
    </content>
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    <title>時は巡りて</title>
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    <published>2009-12-15T06:00:00Z</published>
    <updated>2009-12-18T10:01:35Z</updated>
    
    <summary>　 　 　 「10年目の123」というイベントが開かれようとしている。 　 20...</summary>
    <author>
        <name>管理人</name>
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    </author>
            <category term="ぞめき（徳島新聞　夕刊　コラム）" />
    
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        <![CDATA[　
<a href="http://enjoy-satoyama.jp/essay/123%28%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B%E7%94%A8%EF%BC%89.html" onclick="window.open('http://enjoy-satoyama.jp/essay/123%28%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B%E7%94%A8%EF%BC%89.html','popup','width=905,height=1280,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://enjoy-satoyama.jp/essay/123%28%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B%E7%94%A8%EF%BC%89-thumb.jpg" width="400" height="565" alt="" /></a>
　
　
「10年目の123」というイベントが開かれようとしている。
　
2000年1月23日、
それは吉野川第十堰を残しておきたい！という
強い思いを実現するために、住民投票が行なわれた日だった。
　
結果90％の市民が「残しておきたい意思」を高らかに示した。
あの日が未だ脳裏に鮮明な人にも、かすかに記憶している人にも、
聞き及んだことのない若い人にも、同じく時が流れて2010年1月23日が来る。
]]>
        　
　
吉野川を愛した人々の上に、この10年はいかに流れていったのか。
　
川上から川下につながるいくつかのNPOが生まれた。
「緑のダム」の提言、源流域の杉の木を使った家づくり、
植樹を続ける「千年の森」活動、流域の恵みを育てる有機農業、
河口干潟の貴重な価値を問い、
進む公共事業との迫めぎ合いに心痛める見守り隊もある。
吉野川で育った元気な川ガキは9期を数え、今や300人が全国に巣立った。
194キロの流域が元気に満ちつつある。
　
　
　
弁護士で法政大学教授の五十嵐敬喜さんに
イベント第一部の基調講演を快諾して頂いた。
　
五十嵐さんには格別に深い思い入れがある。
「美の条例－いきづく町をつくる」「美しい都市をつくる権利」
「美しい都市と祈り」の3冊を読み感動したからである。
これらはまちづくりのバイブルだと思う。
公共事業に限らず、常に新しい権利主体を唱え続ける五十嵐さんの
人間哲学が聞けるに違いないと期待が膨らんでいる。
　
第二部に出演の川ガキたちは全国から馳せ参ずるという。
加藤登紀子さんと歌うその歌声は人々の心に響き、
前回（2003年流域シンポ）生まれた絆が10年を経て今日に至り、
また新しいヒューマンチェーンを綾なすだろう。
　
　
　
「10年目の123－第十～流域～民主主義－」、
徳島に根付いたか民主主義、それが問われている。
奇しくも 政権交替という世紀の節目にも立ち会っている。
　
まずはこれから先の10年、
私たちの吉野川を未来へとつなげていくにはどうしたらいい？
それを楽しく考えよう！というイベントである。
　
2010年1月23日会場の教育会館いっぱいに人が溢れるだろう。
チケットは間もなく販売され徳島駅前の小山書店などで扱う。
　
（連絡問い合わせは
NPO法人吉野川みんなの会　電話088-621-9200）へ。
　
　
　
　
　
里山の風景をつくる会 理事　
地球温暖化を考える－市民アクション2009－徳島代表　　八木正江
2009年 12月 15日（火）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>“里山”の発見</title>
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    <published>2009-12-05T06:00:00Z</published>
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言葉が与えられることにより、それまで気に留めなかったものが輝き始める。
　
「里山」という言葉に、私はそんな不思議な力を感じる。
子どものころから見なれていた風景が、この言葉を得たことにより普遍性をもち、
魅力あるものとして輝き出したのである。
]]>
        　
この言葉の生みの親で、日本の森林生態学の草分けであった
四手井綱英（しでいつなひで）さんが亡くなった。97歳であった。
　
四手井さんは、母校京大の農学部で教えるようになった1954年、
それまで「造林学」といっていた講座を「森林生態学」に改めた。
人間が主体となり森を管理することから、
木々や多様な生物が共生する森へ、とのイメージの転換であった。
　
1960年代に「里山」という概念を提案する。農山村の人たちが
薪を採取するなど生活を支える近くの山を「里山」と名付けたのだ。
「奥山」や「山里」という言葉はそれまでもあったが、
「里山」は四手井さんの造語である。
今では広辞苑にも載っていて、
「人里近くにあって、
その土地に住んでいる人のくらしと密接に結びついている山・森林」
と説明されている。
　
四手井さんは、人と植物、動物との共生ワールドであり、
日本の原風景ともいえる「里山」の豊かさ、大切さに一早く気付いた。
そして、その保全に向けての取組みを提案している。
地球規模での環境悪化や生物多様性の危機が叫ばれている今、
もう一度四手井さんの思想を見直し、「里山」という言葉に込められた、
人と自然が共生していく知恵を学ぶべきであろう。
　
　
さて、私ごとであるが、
京都の知人から、数年間探していた土地が見つかったので、
建築家として意見を聞かして欲しいと連絡があった。
早速、滋賀県の琵琶湖の西にあるその土地を見せてもらった。
　
ゆるやかな東斜面の下の方に琵琶湖が見渡せ、
北西側には比良山系が広がる。
そしてなんと斜め隣は、陶芸家清水卯一（ういち）さんの工房「蓬莱窯」であった。
人間国宝の清水さんが、
自然の中で陶芸にひたるために探し求めた土地がここだったのだ。
感慨にふけりながらその話をすると、
知人は大喜びでその土地に住むことを決めたのであった。
　
私には、琵琶湖や比良山の眺めも良かったのであるが、
その辺りのたたずまいがとても気に入った。
古い民家や畑や林が点在し、
のどかな里山の風景が目の前に広がっているのであった。
　
　
　
　
　
建築家　野口政司　　　2009年 12月 05日（土）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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    <title>閑休小話　ことば</title>
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    <published>2009-12-01T06:00:00Z</published>
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　「ことばは意味であり社会的事実である。」
　「生きたことばはその折々に人々の精神を反映する。」
　
近代言語学者のガーベレンツやソシュールはそう言ったそうな。
　
11月28日の本欄でも阿波弁が取り上げられていたが、
私も書かせていただく。
　
　
松山出身だった父親、国語の時間に生徒に「古事記」を教えようとして、
こじきと発音した途端にどっと笑い転げた腕白男児、
　「先生乞食って何ぞな？ ここにはおらんぞなもし」。
坊ちゃん気取りでからかったとか。
　
家族相手に何度も何度も発音して練習していたが、
意味が通じなければ、やはり言葉学者としては失格だったかもしれない。

        　
　
私も徳島に住んで郷里・長野と反対のアクセントに悩まされた。
標準語に近いからどこでも通じるはずなのに けげんな顔で聞き返される。
おまけに言い方がきつくて怒られているようだと不評。
原因は語尾をはっきりさせる言い切りの形にあるらしい。
　
　
徳島に来てびっくり仰天の表現が幾つかあった。
今では自分流に阿波弁も使いこなせるが苦手なものもある。
　
　はめる、がい、せられん、もえる、まがる、あるでないで、
　往(い)んでくる、かってくる、こうてくる、してかーよ・・・　頭が混乱することも。
　
「あんたひどいでぇ」と言われた時には、すみませんごめんなさいと平謝り、
「お金はいらんけんかってきて」、買うのにお金いらない？
　
　
筆頭は、はめるだけれど馴れてしまえば合点。
　砂糖をはめる、茶碗にはめる、学校にはまる、役員にはまる、
絶妙な言い回しだと思う。
もっとも広辞苑を引いても徳島で使う意味合いは載っていないのだが。
　
　
グローバリゼーションの時勢にあって、
方言もまたその波間に消えつつあるという指摘もある。
しかし、忘れ去られていくものの中にこそ、
これから作り上げていきたい価値や物事の本質が含まれているのかもしれない。
　
　
愛すべき阿波のことばたち。
えっとぶり、ごめんなして、御寝なる、雑仕する など
美しい表現が消えてしまわないように大いに使ってみることにしよう。
そして、こんなに長く徳島に住んだのだから、
阿波の方言の由来やもっと広く徳島の文化全体を見渡してみたい。
　
　
　
　
　
里山の風景をつくる会 理事　
地球温暖化を考える－市民アクション2009－徳島代表　　八木正江
2009年 12月 1日（水）　徳島新聞夕刊　「ぞめき」より
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