ヘッダーをスキップ

ヘッダーエリア


コンテンツエリア

里山エッセイ



 いつまでも

ジャスミンのつるがどこまでも伸び、
高い木のてっぺんからも
淡いピンクの花がこぼれています。
その可憐さは、
数ある5月の麗しい花々に
引けを取りません。
黄金色に光るカナブンがやってきて
花から花へと飛び廻り、
密を吸い続けています。


五月。
空は晴れ、
燃え出る若葉の芳香に
むせ返る季節です。
体の芯を真っすぐに
立ち昇っていく生気、
いつまでもと祈ります。


スズメの姿がめっきり少なくなり、
6割減と新聞に報じられていました。

「雀雀 お宿はどこだ 
チチチ チチチこちらでござる」
そんな情緒はどこへやら、
昔の話になりました。

「我と来て 遊べや 親のない雀」
「雀の子 そこのけ そこのけお馬が通る」
一茶も俳句を作れません。


ツバメは巣作りする家も見当たらず、
どこに幸せを運んでいいかわかりません。
早苗の田を飛ぶ姿もなく、
電線に音符さながら並んでいた光景も
見られなくなりました。
草叢から一直線に舞い上がる
ひばりの姿も幻となりました。
何気ない風景がなくなっていきます。


今目立つのはキジバトとカラスです。
真っ黒のカラスは意外に大きく、
私が通るとしわがれ声で、
何しよん? 何しよん?
と問いかけるようです。
余りに世の中、
心配な事ばかりが続くから、
どうにかしたいと心を痛め、
毎日がんばっているのよ、
と答えてみます。


豊かな風景は豊かな情緒と、
情緒を語る美しい言葉を
生み出します。
歳時記はその代表でした。
コンクリ-トの橋や道や護岸は
何も語らず寂しい限りです。


書きとどめていくことの大切さと、
楽しさと、期待感を持ち続けたこの3年間に、
何とたくさんの事があったことでしょう。
悔やみきれない原発の事故からは、
自分たちの生き方そのものに
メスを入れられました。
生きている限り
この責任を問い続けたいと思います。


お読み頂いた方々に
心よりお礼を申し上げます。

 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
          地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 5月23日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


原発事故と母子疎開

大空襲の頃、東京のおばたちが子どもを連れて、
私たちが住む長野の田舎に疎開してきた。
狭い借家住まいで、家中に人がひしめいていた。
当時どこの家でも庭先にニワトリを飼っていた。
ココ ココ コケッ、餌やりは子どもの仕事、
毎日つつかれてドキドキした。
食糧難だったからサツマイモのつる、はこべ、
ナズナ、スカンポ、糠団子何でも食べた。
ニワトリといっしょだった。

ふさふさ白い毛のアンゴラウサギもいた。
ある日因幡の白ウサギに。
白い毛は毛糸に変身、
母が編んでくれた白いセ-タ-になったと信じていたのだが。
 

昨年の3.11原発事故は、
終息するどころかますます放射能汚染の渦を広げ、
「疎開」という新しい課題を生み出している。
今年3月11日「とくしま母子疎開の会」が出来た。
はるか65年も前に経験した「疎開」に直面している。


先日来、震災がれきを受け入れるのか、受け入れないのか、
全国各自治体は国の度重なる情報操作の下に判断を迫られた。
徳島県は受け入れないと返事をした。


本当の支援とはどんな事なのか、私たちは考えた。
がれきではなくて、人を受け入れよう、
放射能に汚染されていない安全な土地を守って、
食べものや住まいを提供しよう、
この呼びかけは大きな反響を呼んだ。


全国から、特に関東地域から自主疎開したいと、
問い合わせが殺到、
連日疎開希望者が下見に訪れている。
命からがら、着の身着のまま一日も早く、
とにかく子どもを守りたいと逃げて来る家族。
安全な食べものが並ぶ店先で涙をぽろぽろこぼしながら、
すぐにでも引っ越せるように契約したいと申し出る。
事態は切迫している。まず住まいがいる。
学校も、保育所も、お店も要るけれどまずは住まい。


「とくしま母子疎開の会」は徳島になじみの少ない人たち。
私たちは、「母子疎開の会支援プロジェクト」を立ち上げ
市民レベル情報センタ-の役目を果たそうとしている。


未来を生きる子どもたちはわが子わが孫。
人は人により人となる、そんな箴言があった。
新しい国づくりが、この子たちから始まるかもしれないと信じている。


 
 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
          地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 5月8日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


鬼のかく乱

満開の桜に春の嵐、
花びらのじゅうたんは薄桃色、
花吹雪もまた風情。

それにしても寒いな、花冷えだと嘆いていたら、
途端に風邪をひいた。
10年ぶりのこと、鬼がかく乱にやって来たらしい。

風邪など引く間もなく走っていたといえば聞こえが良いが、
ここ10年、毎年毎年事は起こり、
世の中の遷り変りに物申したい事ばかりだった。
普通の市民としてできる事は、
真面目に立ち向かうことしか出来なかった。
走る事が支えだった。


ところが熱を出してみると、
あったはずの大義名分はどこへやら、
会合は全てキャンセルとなった。
何より、自分がいなくてはなどという杞憂は
ひとかけらもない事に気づき、
青菜に塩の如く萎れてしまった。


いつもの体温36度がたった1度5分ほど上がっただけなのに、
体中がうなりをあげて反抗して苦しい。
筋肉が痛い、だるい、胃まで痛み、偏頭痛も。
体をエビのように曲げても、整体さながら反り返り伸ばしても治まらず、
体の持って行き場がない。
夜中転々また転々。


人間の体温は何故37度(直腸)か。体温の不思議。
苦し紛れにこの際極めようと体温の事をたずねたら、
家人がすぐに何冊かの本を持ってきた。

その一冊に、人が地球上で快適に暮らせる温度帯は
21度から25度までの間と書いてある。
この条件を元に、私には何やら分からぬのだが
数式(カナダのバ-トン)に当てはめると、
37度という数字が計算されるという。

長い適応と進化の歴史の中で、
それから体温は37度を保ち続けていると。
生命体の不可思議さを思い知らされる。


ともあれ、鬼のかく乱もおつなもの、
走り続けた10年のこの年月に
何者にも代え難い伴走者のいた事に祝杯。
夜中に頭にそっと載せられた氷枕の冷たさも忘れまい。
タオルに氷が包まれただけだから、
実際にはすぐにぽたぽたと溶けて始末に困ったのだけれど・・・。

これからは、天なる声に耳傾けて、
静に歩く事になるかもしれないが、
私たちみんなの上に希望輝く日々。
そのゴ-ルを目指し進みたい。


 
 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
          地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 4月18日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


写真家荒井賢治さん

レンギョウにミモザ、エニシダ。
黄水仙に菜の花、みつまたの花。
春の黄色あふれる佐那河内、
昨年11月に亡くなられた
荒井賢治さんの写真展を見た。


誰をも惹きつけてやまない、
まこと不思議な写真の数々であった。


どうしたらこんなにやさしい写真が撮れるのだろう。
写真の中のおじいちゃん、おばあちゃん、子どもたち、孫たちが、
そして犬たちもみんな笑って話しかけてくる、
見る人の魂に話しかけてくる。
写真の中のどの人たちとも、
目と目が合って思わず笑顔、心が触れ合う。
荒井さんの真摯な生きざまが見え、
故郷山河への深い祈りがある。
「ふる里に抱かれて」の意を誰もが素直に受け止めた。


会場を訪れた去る3月24日写真展のその日、
荒井さんの妻・荒井由子さんの講演があって、
会場を埋めた人たちの心に響いた。
会場の人々は涙した。
「最後まであきらめない人でした。
生前けんかばかりしていたのにと笑われますが、
伴侶であると同時に、一人の人間として
私は荒井を心の底から尊敬していました。」
「命の最期にふるさと佐那河内のことを
何度も何度も口にしました。
桜の花咲く4月8日生家に戻ります。
どうぞ皆さん、そんな荒井を迎えてやって下さい。」
4月8日は花祭り、釈迦誕生の潅仏会の日である。
その日に荒井さんを迎える事は、
写真家荒井賢治さんへの最高の餞となるだろう。


胃がんと闘いながら県内の農山漁村の隅々にまで足を運び、
撮りためた作品は数万点を数えるという。
「私の想像は見事に外れ、山での暮らしの素晴らしさを
笑顔で語ってくれた---」とあるが、
その中から137点を選んだ写真集
「限界集落 ふる里に抱かれて」をぜひ手にしたい。


私たちの心象の奥深く形成された内なる自然・ふるさと、
自然との一体感、永劫回帰、いのちあるものとの対話・・・。
荒井さんの写真から誰もが、
自分を育くんでくれたふる里と共にあることに、
はたと気づいたのではないだろうか。


 
 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
          地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 4月4日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


鶯の鳴かない遍路道

 「キョキョ キョキョ ホケキョ」。
この辺のウグイスの初鳴きは2月28日だよ、
と友人の鳥先生が教えてくれた。
今年は、例年より4日遅れ3月3日に雑木林に帰ってきた。
高く伸びた榛の木、栗の木、合歓の木、
どの木を見上げても姿は見えないが、
あの声は去年のウグイスにちがいない。
早春のウグイスの声だ。


春がすみたつ園瀬川。
春の気満ちるのどかな田園。
今日は月一回の環境作業日。
竹やぶにウグイスが鳴いている。
3年前の春には、放置され荒れた竹薮に
山ほどのごみが捨てられていて、
ぼうぜんと立ちすくんだ。
そこは、車の通行激しい道の端。


どうしようかと考え、まず黙々とゴミを撤去、
竹やぶと道路の間のわずかな土地を耕した。
竹の葉が扶養土となり意外にふかふかした土ざわり。
ひまわり、キバナコスモス、なでしこ、四季折々の花を植え、
昨年の晩秋には200株のパンジ-を植えた。
園瀬花壇の誕生。


散歩しながら花壇を楽しみ
はながらをていねいに摘んでくれる人がいる。
立ち止まり話に花を咲かせている人たちもいる。
誰だろうか、竹やぶから竹を切り出し、
何本かの支柱に竹を編みこんで、
花壇の後ろに柵をつくり始めていた。
続きは組まねばなるまい。
なたとのこぎりとしゅろ縄とを用意して
上に上にと組みあげた。
ただ見とれているうちに見事に完成した。
桂離宮ならぬ「園瀬離宮だ」と歓声をあげた。


ある年の朝には、
佐那河内村から神山町へと抜けて行くこの道を、
白装束のお遍路さんが通って行った。
歩き遍路は、春遍路。
鈴の音が今も耳に残る。


数日前ゴミ遍路道の清掃に参加した。
一の宮から入田、神山へ。
かれんな緋桃の花咲く里。
そこを抜けてひとたび遍路道にかかると・・・・
昨年にもましての大量のごみだ。
四国一不法投棄が多いといわれる徳島県、
不名誉極まりない。
15トンのごみを拾った。
ウグイスは鳴かなかった。
ウグイスの鳴かない遍路道。

 
 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
          地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 3月19日(月) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


原発と向き合う

今年は寒気が続いて
梅の開花が遅いと心配していた。
道すがら見かける小梅の花が
今日一輪明日二輪、そして数輪。
弥生に入り春を数える。


東日本大震災と福島原発事故から丸1年がたとうとしている。
先日、小出裕章助教(京都大学・原子炉実験所)の講演
「原子力の専門家が原発に反対するわけ」を聞いた。
2時間があっという間に過ぎ、質問も沸騰した。
聞きながら、四国に住む私たち一人一人の上にも、
それぞれに深く考えた1年が過ぎたことを感じた。


小出さんによると、原子力発電は広島の原子爆弾と本質的に同じであり、
広島原発で燃えたウランの重量を1とするなら、
原子力発電所1基ではその1250 倍(100万kW/1年)だそうだ。
その生成され続ける放射性物質である「死の灰」は
広島原発の80万発分で膨大であるという。

また環境中に出る放射性物質は全地球を汚染すること、
原発は人の力では絶対に制御できないこと、
何よりも大きな問題は、汚染の実態をはじめ、
知るべき情報が隠されていることなどを話された。

繰り返された言葉「変わってしまった世界」は重く、
「自分に加えられる危害を容認できるか、あるいは、
罪のない人々に謂われのない危害を加えることを見過ごすかは、
誰かに決めてもらうのではなく、一人ひとりが決めるべきこと。」と結ばれた。
その最後の言葉を強く受け止めた。


原発事故の余りの深刻さに打ちのめされながら、
今日まで自分がなすべきことを見つけようとしてきた。
これならできると動いてみた。
何が、どれだけ前に進められたのか心もとない。
それでも私は、できることを進めていきたい。


私たち人間が、自分で「お終い」を付けられずに、
気の遠くなるような100万年先までの汚染を地球に課してしまった。
全ての負債をはるか未来の子孫に押し付けてはならない。
「過ぎてしまった過去は変えられないが、未来は変えられる」。
すべての人々と原発ゼロへの道を歩み続けたい。

 
 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
          地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 3月2日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


おいしいごはん

おいしいごはんはどこにある、と聞かれたら即座に答える。
おいしいごはんは家にある。
毎日毎日食べているごはんがおいしいごはん、と。
 
家族が二人になってもう長い月日が経ち、
出掛ける事も多くて駆け込みで準備することもあるけれど、
朝に昼に夕にいつの日の食卓も
「おいしかったね」で終わることができてありがたい。
 
 
おいしいごはんの条件って何だろう。
 
おいしいごはんは簡単明瞭。
野菜、魚、肉、豆腐、乾物、これらの素材をゴチャゴチャまぜない。
まぜてもそれぞれの素材が自分を主張しないでお互い引き立て役になり、
素材の味も姿も生かされていることといえようか。
 
おいしいごはんはとてもきれい。
料理は目で食べると言う、
一枚の葉っぱや一切れの添えものが美しい世界をつくる。
 
 
何よりおいしいごはんは温かい。
野菜も米も、肉も魚も、調味料だって、
食卓に届くまでの道筋を知っているから、
それらの人たちが食卓の向こうに見えるから、
苦労がぬくもりとなって伝わり温かい。
 
こんなこともある。
娘が小学生だった頃、毎日どんなごはんにも、
明るく大きく「お母さん、美味しそう」と言った、
あの言葉があって今のおいしいごはんがある。
 
 
そして又、おいしいごはんは器を選ぶ。
何の変哲もなく、どこにでもある雑器なのに、
盛り入れればぴたりと映る器がある。
どの器に盛りつけよう、料理人の醍醐味。
 
「用の美」とか器芸術の世界では言うけれど、
大好きな白州正子さんの本などを広げれば、
うんちくを傾ける事がいっぱい書いてあるけれど、
毎日の食卓にはあまり関係なくて、
「おいしかった」の一語に満足している。
 
 
おいしいごはんは、食と農との関わりそのもの、奥が深い。
 
深さを垣間見られるイベントが開かれる。
「オ-ガニック・フェスタ 2012 in 四国」で、
19日(日)午前 10時から小松島ミリカホールで開かれる。
有機野菜の産直市オ-ガニックマルシェが開かれ、野菜ソムリエも登場、
有機野菜のおいしさコンテストもある。
 
問い合わせは
NPO法人・とくしま有機農業サポートセンター内の実行委電 (0885-37-2038)。
 
 
 
 
                                      八木正江
 
                            里山の風景をつくる会 理事 
           地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

             2012年 2月17日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


きさらぎ

今日から如月。
生更ぎの意で、草木の更生することだと言う。
山が笑う季節にはまだまだ遠く、
身を切る冷たい風に霜柱が立ち、
山はうっすらと雪化粧。
それでも、かすかにむらさき色に煙りはじめた山々。
雑木の林に黄緑色の葉が浮かんで見えるのはアオモジ。
小さく淡い黄色の花が可憐だと友人が教えてくれた。


沈丁花がほころびはじめ、
匂いつばきは明日にも開き、
紅梅も深紅のつぼみを膨らませている。
蕗のとうも顔を出し、もうすぐ春が立つ。


春の先がけを思い浮かべていると、
言葉の連想からか「春と修羅」を思い出す。
心象風景をスケッチした宮沢賢治の詩集。
ぱらぱらとぺ-ジを繰ると、こんなフレ-ズがある。

すべてがわたくしと明滅し 
みんなが同時に感ずるもの  
すべてがわたくしの中のみんなであるように 
みんなのおのおののなかのすべてですから
 

森羅万象生きとし生けるものすべてに
心があるということなのか、
深く語る事はできないけれど、
詩集のどこを開いても
作者の思いが伝わって響いてくる。
そして、春と修羅とは、
今年という年の今の季節にふさわしい言葉だと思う。


小説「ポラ-ノの広場」にも、こんなことが書かれている。
賢治の心の中の理想郷イ-ハト-ヴの野原には、
みんなが祭りを楽しんだポラ-ノの広場があって、
オ-ケストラでもお酒でも何でもあって、
小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花に、
一つずつあかりが灯るのだった。
故郷にはいずこにも、
思い出深い数々のならわしや祭りがあり、
あかりの灯るイ-ハト-ブがあった。


けれど、今現実に立ち返れば、
銀河のかなたにともにわらい 
はえある世界をともにつくらん、
と詠ったその地には、
こんこんと冷たい雪が降り積もる。
春の息吹を形づくる月、
今日から明日への息吹を整える月、
如月。
弥生3月11日のその日が来る。
誰の心にも、白いつめくさの灯が
ほのぼのほのぼのともるように、
如月に込めた先人の意に学びたい。


                                 八木正江

                        里山の風景をつくる会 理事 
       地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

         2012年2月1日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


初音

初音の笛の音が聞こえる。
あれは竹笛だった。
雪が深々と降る大晦日、
元日に日付が変わると初音売りが、
リヤカーを引いてやってきた。
はつねぇ はつねぇ・・・
新しい年の響きだった。
その声を聞くや、
家々から子どもたちが飛び出して
おめでとう、おめでとう。
「初音」と聞けば思い出す。


年賀状を書かなかった。
深い理由はなかったのかもしれないが、
旧年中にどうしても「おめでとう」と書けなかった。
寒中見舞いを出す事にして年が明けた。
元日の朝、日の出は拝めなかったが
東の空の燭光に希望を見た。
昼から晴れて新年を寿ぐように
暖かく初詣に出かけた。
例年初詣は地元の神社と決めている。


上八万町西地に勢山天王神社がある。
佐那河内の山々に向かって右手に小道を行くと、
こんもりと鎮守の森に囲まれてある。
辺り一体はのどかな田園地帯。
古めいた幟がはためいて、
昔から地元田中、西地、一ノ瀬の氏神だと言う。
こま犬や石灯篭に「文化」「弘化」の文字も見え、
神社を囲む大木も歴史の古さを語っている。
日露戦争直前に奉納された石の鳥居、
鳥居をくぐれば小暗い境内、
57段の石段を登る。
本堂には新しい注連縄が飾られ、
掃き清められた境内は静かである。
と、大木の木末(こずれ)に高く鳥の声、
初音だ。


道を左に手折ると、
園瀬川にかかる西地橋のたもとに、
馬頭観世音と記された碑がある。
道行く人と道行く馬の無事を祈った馬頭観音、
自然石の石碑を背に6体の小さな観音像。
賽銭が上げられ、しきびや花の切れる事がない。


橋の下を流れる園瀬川は、
きらきらと冬の空を映して光り、
川原に降り立つしらさぎの白さがまぶしい。
遠近に鳥の声、
ふつふつと水の子どもが沸き立つ
園瀬川の源流旭丸。
森から初音が聞こえてくる。
私たちが忘れかけている
大切な何かがあるのではないか。


「天地のしじまに初音 園瀬川」。
復興元年が始まる。
  
  
  


                                  八木正江

                        里山の風景をつくる会 理事 
       地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表  

         2012年1月18日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


飛行機雲が真っすぐに延びていく冬の空。
冷たい木枯らしも吹いて2011年が暮れていく。
明けていく年につながる一字を探す。
起、希、生、喜、建・・・止めどない。
瞬という字を思いつく。
一瞬の瞬きの間に全世界が変わったとは、
誰の小説だったか、いや小説ではない、
2011年3月11日の東北大震災、続く原発事故がそれだ。
東北のあの津波は1000年に一度の天災、
天災に原発事故の人災が追い討ちをかけた。
私たちは時の重なりの中で生きていることを思い知らされ、
この世は、氷薄の危うきに立つことを誰もが実感した。
哲学者の内山 節はそれを「生と死の共時性」と表現した。


冬の徳島中央公園を歩く。
大きく広げた枝に春待つ蕾を
びっしりとつけた桜並木の向こう。
貝塚遺跡が見つかったという洞窟、
巨石を背負い、ひっそりと暗い洞窟、
案内の標識には
「城山の貝塚は約4000~2300年前の
縄文後期~晩期を中心とする岩陰・洞窟遺跡であり・・・
1922年(大正11年) 鳥居龍三らによって発掘調査が行われ・・・
土器片や、ほぼ完全な屈葬人骨1体を含む
3体分の人骨が出土した。」とある。
やや離れて「城山の海蝕痕」の標識もあり、これには
「前面の岩肌に残る大小の円形のくぼみは、
海の波に浸蝕された跡である。・・・
大きな海進があった6000年~5000年頃、
縄文時代早~前期には
このあたりが海であったことがわかる。」とある。


私が今立つこの地は、海だったのだ。
はるかなる昔、
波打ち寄せる海辺に暮らす人々の姿を思い浮かべ、
長い時の刻みに感慨一入。


今ひるがえって、豊かな時に甘んじて暮らした自分たちを思う。
時の流れに迎合する人たち、
逆に正論を持ちながら物が言えなかったことを悔やむ人たち、
失った肉親への悲しみから健気に立つ少年たち、
何かが変わろうとしている。


ひとときひとときが重い。
先人の暮らしの痕跡にたたずむ私に聞こえた。
「老いも若きも男も女も
その何かを問い直す時が今だ」と。


                                   八木正江

                         里山の風景をつくる会 理事 
       地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

        2011年12月27日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


園瀬川の鳥たち

「有漏路より無漏路へ帰る一休み
雨ふらば降れ風ふかば吹け」 

探鳥会を翌日に控えて、
天気は如何?と友人にメ-ルをしたら、
すぐに一休禅師のこの短歌が帰ってきた。
そして当日、雨上がりの空が広がった。


「園瀬川流域環境保全の会」が発足して6年になる。
産廃だ、水質調査だ、公害調停だ、裁判だ、
普段の生活とはまるで縁遠い事態に直面して
一生懸命の日月が過ぎて行きつつある。
そんな中で、もっと園瀬川を知りたいと企画した。

上八万町花房、園瀬川にかかる鶴熊橋から
1キロほど上流の色面橋を渡りぐるっと2時間、
田んぼと森と竹やぶに囲まれた
のどかな里地を歩いた。


「今年は暖かいから冬鳥が少ないようだが、
10種類から15種類は見られるはず」
と案内人の曾良寛武さん。
はて、どこにも鳥の姿は見えないが・・・
耳を澄まし目を凝らすと、聞こえる、見える。
鳥の気持になって探すと
鳥の居場所は自然と目に入ると曾良さん、
はずれることのない勘に感嘆。


アオジ アオサギ キジバト キセキレイ 
ウグイス ヤマガラ カルガモ ヒドリガモ 
モズ カワセミ ハシブトガラス ハシホソガラス 
セグロセキレイ ヒヨドリ  トンビ。
冬鳥と留鳥合わせて15種類に会うことできた。
コバルトブル-の羽が光るカワセミにも会えた。
ハシブトガラスとハシボソガラスの鳴き声の違いも、
鳥たちの地鳴きとさえずりの使い分けも知った。


園瀬川は大河原高原の旭ヶ丸を源流とし
佐那河内村、徳島市を流れる典型的な里川。
多くの希少動植物を残し自然の生態系を保っている。
それを証するように用水路に群れ成すメダカ、
鶴熊橋の下に姿を表すクサガメ、
ニホンヒキガエルも道端に登場、
その奇怪で愉快な姿を楽しんだ。
一方で外来種のミシシッピアカミミガメやブラックバスが
どんどん増えていると言うから
在来種との攻めぎ合いが起きているに違いない。


名にしおはば 逢坂山のさねかづら 
          人に知られでくるよしもがな
                       三条右大臣  後選集

一名美男葛と名のつく紅い実に、
こんな歌も思い起こされ、
風の音に乗るさえずりが
時を忘れさせた探鳥会だった。


                                   八木正江

                         里山の風景をつくる会 理事 
       地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

        2011年12月9日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


森に生きる田岡秀昭さん


 

落ち葉がくるくると風に舞い、
秋が終わろうとしている。
7月に急死された林業家田岡秀昭さんが
命をかけて守ろうとした嶺北の森にも、
落ち葉は降り積もっているだろう。
森に明かりをともしたい。
そのために重荷を一身に背負いきること。
田岡さんのその信念を分かち合い
支え合うことができなかったことを悔やむ。
私たちが森の伝道士と呼んだ田岡秀昭さんは
森の守り人としてかけがえのない人だった。
どんなときにも絶やすことのなかった笑顔がそこにある。

続きを読む "森に生きる田岡秀昭さん" »


「雲の上の町」に

DSC_0218-2.jpg

晩秋の雨が落ちていた。
薄い霧のべ-ルが紅葉し始めた森を包んでいた。
新荘川を上流へ上流へとたどり、
峠を越え津野山神楽の里を過ぎ、
四万十川源流域の梼原町に着いた。
町の91%を森林が占め、
森林組合が元気で林業が盛んと聞く。
重なる森がご神体のようで、
森の精気が町に満ちていた。


町の中心部に立てられた梼原町総合庁舎は
音楽ホ-ルにもなり、
町の人々が毎日集まる広場となっている。
建築家隅 研吾の作であるが、
もちろん地元の木をふんだんに使った木造の建物である。
他に、まちの駅、雲の上のホテル、雲の上のギャラリーもあり、
これらの建物は、森の自然に溶け込ませるように建てられ、
梼原の町に人を惹きつける大きな要因となっている。


3年前であったか、
梼原町の中越武義前町長に
お会いした時のことを思い出す。
「わが梼原町の森を、
誰もがあっと驚くように生かしたい!」。
実際にそのように言われたのかどうか定かではないが、
いくつものアイデアを実現させようと、
実に楽しそうに語られた。
その後「循環型社会を目指したモデル地域の考え方」に基づいて
「森林エネルギ-地域循環利用プロジェクト」が
着々と進んでいることを知った。


原発事故が起き、
脱原発は今や社会全体の要請である。
自然エネルギ-へと舵を切り始めなければならない。
梼原町で実現している様々の施策、
木材の認証制度FSC、
環境税の収入による木造住宅への補助。
森林セラピ-基地やセラピ-ロ-ドの整備、
風力、小水力、バイオマスによる発電、
太陽光パネルの設置・・・。
今年は国連が定めた国際森林年でもあり、
先達である梼原にぜひ学びたい。


梼原町の元気の源は何か。
地元の宝を見つけ出し、
それらを生かす総合的なグランドデザインを
描いたのは誰か。
担い手はどこに?
雲の上の町梼原町、
地域が元気に再生して行くために、
中越さんの話に関心は尽きない。


国際森林年記念シンポジウム
「森との共生-ゆすはらの実践~自然エネルギ-で町づくり~」は、
11月13日(日) 午後1時30分
アスティ徳島第6会議室で開く。


 

      八木正江

                        里山の風景をつくる会 理事 
       地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

        2011年11月10日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


語り部のような柿の木

白い秋明菊が楚々と咲き、
空き地にギシギシの花が色づくと
日増しに秋が深くなる。
「ばあちゃんがお嫁に来た時植えた柿の木が、
今年もたわわに実をつけた」と知人。
桃、栗3年柿8年、
子どもに孫にお腹いっぱいに食べさせたいと
祈りの気持を込めて植えた柿の木。
豊作に家族が笑顔し隣近所にもおすそ分け。
つながりの安心感。
自然は未来からの預かり物、
笑顔の中で学んでいた。


自然の恵みは子々孫々に残していかねばならぬ。
どうしたらいいのか、と
その課題を探す生物多様性タウンミ-ティングは
9月初旬、汗だくの季節に始まり、
明日23日の牟岐会場(川部会)で最後となる。
一人でも多くの人たちから意見や提言を集めようと、
東から西へ、北から南へ県下9ヶ所を駆け抜け、
緊張しつつも充実した2ヶ月だった。


生物多様性とくしま会議のスタッフ一同、
始めはどのようにして
会場をいっぱいにしたら良いものか途方に暮れたが、
人が自然に行きたくなるように、
人が人を呼ぶ機運を作り出していった。


「川・海・汽水域」「奥山・里山」「まち・里」
3部会のどことも多くの人が集まり、
参加者は驚くほどに熱くなった。
主催者としてうれしい限りだ。


小さなグル-プに分かれ、自由に思うことを手繰って行く
「ワ-クショップ」という手法には不思議な力があった。
その地に暮らし、その地を良く知った人だから、
一人一人が語り部になれた。
紡ぎ出された智恵や思いを書いたポストイットカ-ドが
満開の花と咲いた。


総勢何人の人たちから、
いくつの意見が語られたのか。
驚くほどの数字になろう。


肝心なのはこれから、その生かし方である。
来年度制定の「生物多様性とくしま地域戦略」の中に
有機的に組み込んで、
コミュニティの共同財産として
使えるものにしていこうとしている。

 
明日は最後、
「食べて、遊んで、子どもに継がせられる川・海」を
テ-マとして開かれる。
牟岐の青い海を見ながら楽しく語り合いたい。

会場は牟岐町海の総合文化センタ-で午後1時半から。

       
      
       
       八木正江

                        里山の風景をつくる会 理事 
       地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

        2011年10月22日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


故郷の言葉に

朽葉色の秋が足早に忍び寄る10月、
キンモクセイが香り
ピラカンサスの実が薄紅に色づく。


この半年の間、NHKの連続テレビ小説「おひさま」を見ながら、
懐かしい故郷を楽しんだ。
定年で長野に帰る約束もいつしかほごとなり、
今や故郷は遠きにありて思うものになっている。


言葉の一つ一つが懐かしかった。
長野県は南北に長く、
ドラマの舞台、松本や安曇野は中信、
私は北信育ち。
微妙に言い回しが違うが、
ああ信州の言葉だとうなづけた。


友人に聞かれた。
「ほんとに」ではなく「ふんとに」と言うのかと。
ふんとにそう言う。
ほとふの区別がつかない微妙な言い回し、
家人で話し合って試した。
「たまげる、してくれや、どうしただい、おっかねぇ、
いっといで、おけぇり、うんまい・・・・」。
「おいでなさんし」の
優しい言い回しは中信のものなのだろう、
北信では「おいでなして」と言う。


信州の峰を連ねる山々も実りの里も、
ススキの原もせせらぐ小川も懐かしく、
広かる風景に癒された。
こぼれるばかりのソバ畑の白い花は、
過ぎし昔の遠足の記憶につながる。
北信五山の飯綱山や
戸隠高原に遊んだ日の記憶にも。
善光寺平の向こう、
菅平の長いスロ-プを染めた
真っ赤なあかね色の夕焼け空も思い出す。


人の感性はどのようにして育まれるのだろうか。
私が今あるのは、しっかりと故郷があるから。
私の人間形成の深層には
内なる故郷があることをしみじみと思う。


翻って、徳島に生まれ育ち、
徳島を離れた子どもたちは、
ここ故郷にどんな思いを寄せているのだろうか。
満開のレンゲ畑を走り、さわがにを捕り、
ミカン山を探検した。
その頃は、川も田畠も豊な緑と
すがすがしい水に包まれていて幸せであった。
しかし今、子どもたちにとって
かけがえのない自然が失われ、
故郷が遠くなっている。


啄木の詩

   故郷の山に向かひて言ふことなし 
   故郷の山はありがたきかな


すべての人の願いである。
 
 

 

  

       八木正江

                        里山の風景をつくる会 理事 
       地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

        2011年10月6日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


街路樹

彼岸花があぜ道を赤く彩り始めている。
今年は落葉の季節が早い。
先の台風12号で葉っぱが痛んでいる。
文化の森の入り口、橋と続く欅の並木も、
校庭の桜並木もすでに枯れ葉を見せている。
わが家の近くの雑木林も庭の木々も。


間もなく団地や公園のあちこちで、
ごつごつの幹だけ残されて木々が裸に変身する。
”裸になってしまいましたよ。恥ずかしいです”。
街路樹のつぶやきである。
植物の生態を良く知る友人が言った。
「剪定された木々の姿、あれはもはや生き物の姿ではない。」
鋭い的確な指摘である。


確かに強制剪定は自然の姿とは程遠い。
しかし、役所は今の方針
「いや迷惑の種は事前に積み取って、快適な暮らしのお手伝い。」
「コンクリ-ト道路に舞う落葉を誰が掃除する?
街路樹の近くに住む人は、毎日掃ききれない落ち葉に悲鳴」
「町中では張り巡らされた電線につかえてしまう。
狭い道にまではみ出せば視界を遮り交通障害。」
「何より丸裸の方が新芽のためになるのです。」と。

 
常々、徳島は街路樹が余りにも少ないと感じていたが、
その比率が全国ワ-スト10に入ると言う。
数十年前、徳島駅で見上げた空近く、
細くて長い棒のような木の頂に、わずかに広がる葉っぱ、
ヤシの木の不釣合いは今も変わらない。


《こんな街に住みたい》
厳しい夏の暑い日々に、道行く人が木陰に憩い、
風の揺らぎに癒され、緑滴る涼しい街に。


狭くとも、植木枡はたくさんの生き物のすみかとなり、
コンクリ-ト下の地下に長く延びた根は地下水を貯え、
蒸散作用で涼風となる。
街路樹の効用は計り知れない。


感性をおきざりにした剪定を見直して欲しい。
剪定だけではなく、徳島のまちにふさわしい樹種も選びたい。
めんどうなことはしたくないと役所は苦情から逃れるのではなく、
市民は個人の迷惑だけを言い立てるのではなく、
まずは私たち市民が智恵と工夫を凝らし、
景観生態学や植物学などの専門家と、さらに行政が力を合わせて
共同の作業を進めるように話し合いたい。
街路樹から私たちの自然観を問い直し
住みたい街づくりにつながるきっかけにしたい。





八木正江

                       里山の風景をつくる会 理事 
      地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年9月21日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


知らない間に

最近姿を見せなくなったコオロギにスズムシ。
それでも秋近く、夜はにぎやかに虫の声。
秋の終わりには、ちちよちちよとはかなげになく虫たちも
今はわが世を謳歌する。


夏の終わりに毎年開いている大学の県人同窓会。
卒業者は、最近では企業等へも就職するようになったが、
つい先頃まで殆どの人たちが郷里に帰り、
徳島県の教育会に座を占めた。
毎回卒業後各人が歩いた、また歩きつつある体験を語り合うことにしているが、
それぞれ生きた時代の歴史を語っていて、
お互いにとって十分の刺激となり、背筋が伸びるよすがとなっている。
かくしゃくの先輩たちから肝に銘じて教えられる事も多い。


昭和20年女学校を卒業して大学に入学、
その夏に敗戦を迎えた先輩がかみしめるように語ってくれた。
8月の終わり頃だったか、親しい友人と、
奈良公園の馬酔木の木陰に休んでいた。
2人はやっと平和で穏やかな日々が訪れたことを喜んだ。
とその時、通りがかった一人の中年の女性が鋭く問いかけてきた。
「戦争は終っていない、夢を新天地に求めた満蒙開拓団の少年たちは
ちょうどあなたたちと同年齢、彼らの今を知っているか、
未だ彼の地に過酷な戦いを続けている現実を知っているか」と。


学びやの中で平和を待っているだけではいけない、
知らなければならない事実があることにはたと気づいた瞬間だった。
それからは自分を取り巻く社会の真実を
知りぬくことに努めて今日に至っているという。


敗戦の年、ひもじい思いの他は
戦争について何も知らなかった自分に振り替えて思う。
戦後の復興、再軍備、安保条約、憲法改定への動き・・・
知らない間に憂えるべき今になってしまった。
国の根幹を揺るがす重大な事態の情報は、
一つ一つ進んで知ろうとしなければ
時代の大勢につながってしまうのではないか。


知るは識るに通じ、自らが知り自らが判断することでもある。
知らぬは地獄とならぬよう心せねばならない。

                  
                          
                         

八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年9月13日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


身近な生物多様性

今年は蝉の羽化が遅かった。
それでも猛暑に合わせて蝉時雨。
ふと気がつくともう涼しげなカナカナ蝉が、
まだ明けやらぬ早暁に、日の高い夕暮れに鳴く。
立秋が過ぎて、四季折々の生物の不思議な姿に心打たれる。


このたび県の環境審議会に知事が諮問し、
「生物多様性とくしま戦略」が2012年度内に策定されようとしている。
1年間、県に提案する市民案作りに関わった。
長くて短くて楽しくて難しくて、そんな起伏を感じながら、
環境活動を続けるNPOや専門の先生が協力してまとめた。
多様な人が関わり、多くの時間を費し、議論を有機的に組み立てていった冊子の、
質量ともの重さに襟をただす。
遍路の州(くに)徳島にふさわしいメインフレ-ズは、
「もてなし もてなされる いのちのつながり。」と決めた。


生物多様性とは、いろいろのタイプの生態系に、いろいろの種(類)があり、
それぞれ違う個性(遺伝子)を持っていることである。
それらのバランスとつながりがいのちのにぎわいとなる。


あなたの住んでいる地域にはどんな生き物がいますか、
昔と今とで変わってしまったことはありませんか、
保全や活用していくための方法を、それぞれ地域を愛する人たちから聞くために、
タウンミ-ティングが行なわれる。
8月末から10月にかけて県下くまなく回り、意見を聞き、先の案に加えて行く。


奥山・里山部会は上勝町、東祖谷町、相生町で
「森の恵みと里山のくらし今昔in上勝」「剣山・三峰の自然と恵み」のテ-マで、
「食べて、遊んで、子どもに継がせられる川・海」をうたう川・海・汽水域部会は、
牟岐町、山川町、徳島市で、また、
「まちに自然を取りもどそう。生きものたちをよびもどそう。」を呼びかけるまち、里部会
は徳島市、阿南市、美馬市で開催される。


聞かせてください、あなたが大切にしている身近な環境のことを。
タウンミ-ティングについての問い合せは
「生物多様性とくしま会議」事務局の藤永知子さん<電090-7268-9448>へ。

     
     


八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年8月19 日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より



ある晴れた日に

毎年夏には戦争に関する本を読もう、
半世紀近く続けている私たち読書会の約束事である。
加藤周一の長編小説「ある晴れた日に」。
今年はこれを読む。


「・・・・太郎は、浅間を見つめながら、
いつか頭のなかで同じことばを繰り返している自分自身に気がついた
―ある晴れた日に戦争は来り、ある晴れた日に戦争は去った。」

小説はこう結ばれ、あとがきには
「私は、この小説を戦争で傷ついた若い日本国民のすべてに捧げたいと思う・・・」
                                         (岩波現代文庫)
と書かれている。
戦争に非協力を貫く、苦悩する医学生が主人公、
1945年8月敗戦の意味を深く問う作品である。


振り返れば私は、日本が太平洋戦争へと突き進んでいく日々に幼少期を送り、
小学校に入学した夏に敗戦を迎えた。
その日をどんな思いで迎えたのか、それから価値観が転換していく中で、
どのような小学校生活があり、暮らし方があったのだろうか。
故郷の長野では直接に爆撃などの被害は受けなかったが、
戦地に行ったまま長く帰らなかった父と、
その間松山や仙台、長野を点々としながら父を待ち続けた母の苦労があり、
食うや食わずの食糧難に耐えた記憶も決して消えず、
8月には思いをはせることが多い。


本を読むことの醍醐味は、
主人公を始め、登場人物たちの生き方をたどることである。
死ぬことも、死なないことも偶然という極限の中で、極限に生きる。
戦争という最も過酷な状況の中で、
人が人として生きたいとの願いをうたいあげたこの小説は、
一篇の叙事詩のようだ。
瑞々しい感性、それは、どんな状況にあっても、決して圧殺などされはしない。
作者知の巨人は、情の巨人でもあったと思う。
この本から受け取るメッセ-ジは多い。

「平和になったのね」
「そうだ、平和はぼくらにとっては未来だ」

8月の空は今日も青く高い。
悲惨な戦争を繰り返してはならない。
決して、時代を逆戻りさせるように事があってはならない。


八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年8月4 日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より



がれきの行方

東日本大震災被災地の災害廃棄物は、その量も質も想像を絶する。
地震と津波による量だけならともかく、有害化学物質や農薬類も流れ出し、
塩水もかぶっている。
放射能に汚染されていれば、何十年どころか何百年の単位で
その処理方法を考えねばならない。


がれきの仮置場も満杯、雨に流された放射能は下水道処理場に流れ込み、
下水汚泥に濃縮されここも満杯。
一刻も早い処理をと急ぐ余り、めんどうなものは
「埋めてしまえ、燃やしてしまえ、水に流してしまえ」と、
昔からある物事の処理の仕方がまかり通ろうとしている。


そんな懸念を一緒に考えるため
「第16回廃棄物処分場問題全国交流集会in徳島」が開催された。
この交流集会は、各地で起こっている問題を共有し、
智恵を出し合い解決策を探っていこうとするものだが、
今回は3、11大震災が引き起こした放射性廃棄物の処理問題が取り上げられた。


環境省通達は「燃やして良い、埋め立てて良い、リサイクルして良い、
廃棄物業者間で委託して良い」。
たしかに「各市町村の性能のよい焼却炉で燃やせば問題ない。」
「周辺住民の受ける線量が年間1ミリシ-ベルトを越えないこと」
などと条件がつけられているが。


そもそも放射能は、焼却することで消えるのだろうか。
高い煙突から排ガスになって飛散しないのだろうか。
燃えカスの主灰やバグフィルタ-で集塵した飛灰は
埋めたら土地を汚染するのではないか。
通達はまた、汚泥をセメント材料、路盤材などの土木資材にリサイクルして使えるというが、
これでは汚染を閉じ込めるどころか全国に拡散してしまうではないか。


最後に集会参加者一同により「まずは、安全性を確認すること、それまでは焼却も、
埋立ても、リサイクルも行うべきではなく、当面保管することを最優先にするべき」
との決議文を採択した。
そのためには全国自治体、住民、事業者の代表、研究者が入った公開で審議できる場を作り、
実行への道筋が示されなければならない。


八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年7月21日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


半夏生

半夏生の季節になった。
半夏生という響きも美しく、
舟形の緑の葉っぱに半分だけおしろいを刷いたようで、
庭一面に増えるのを楽しんだ。
と、いつの間にかユリの仲間に席巻されて
今年は数本になってしまった。


ひともと植えた白雪ゲシも、数年経つと庭いっぱいに広がり、
毎年白い4弁の花を愛でた。
愁明菊がわれこそは王者とばかりにとって代わったが、
今年はホタルブクロに席を譲った。
無数の白い花が梅雨の雨に濡れて夕闇に浮かんだ。
愁海棠は毎年変わらず、びっくりする位の大きな葉っばの陰に、
夏遅くちらほらと淡いピンクの花を咲かせる。


「日本の家居は夏を旨とすべし」の習いに従って北側の地に家を建てたから、
日のあたりが少なく、どの花も背丈が高く、葉っぱが勢い良く育っている。


近くの山野からわが庭にやってきたアケビにスイカズラにムカゴ、
木戸や塀に、庭木に驚くべき速さでつるがまきつく。
あけびの花は不思議なかたち、
楚々としたスイカズラの花は甘く香り、密を蓄える。


夏の終わりが近づくとスイフヨウ。
朝咲き始めは白色、午後にほろ酔い加減のうすもも色、
夜にかけて猩々の紅色にうつる一日花。
酒の酔いになぞらえ酔芙蓉と記す。
花はふっくらと優しい。
気候の動きや、土壌の組成が関係して刻々変わる庭の表情、
庭にまつわる話は尽きない。


詩人ゲ-テが不惑、40歳のときに著した「植物メタモルフォーゼ」。
メタモルフォ-ゼは変身。
ゲ-テの心眼に映し出された植物の自然-それは紛れもない生物本来の姿であった。
一年生草木の生に引き寄せられたゲ-テにとって、
葉のこころと花のこころは、植物の生を支える見事な対極であった。
ある一つのものが、ときに(葉)のかたちをとり、ときに(花)の姿となる。
自然の意(こころ)のままに・・・。


葉の緑の底に花の紅がただよい、
またはなびらのかたちに葉っぱの面影か映し出される・・・
変身の意は深い。

八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年7月4日(月) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


雨土と蛍

水無月と聞くや、
咲き始めていたクリの花が満開になっている。
穂状に垂れる白い房々が、
秋にはイガグリ頭のクリの実になるとは摩訶不思議。
ゲ-テ形態学論集・植物篇という本があって、
そこには花から実への秘密が書かれている。
クリの花が実へと大変身するように、
ぜひとも良き結果に変身せよとの願いを込めてこれを書く。


願いを語り合うために、
6月19日上八万コミニュティ・センタ-で
「園瀬川流域環境保全の会」第6回定期総会を開く。


上八万産廃問題に取り組み始めて5年、
公害調停制度を生かして解決への道筋を作って欲しいと
主張して来た裁判も、
毎回多くの傍聴者の応援を得て、先日審議を終えた。
今後処分場そのものを解決するためには
どんな活動の仕方があるのかを、総会の席で考えたい。


今年の総会の目玉は「宅宮神社の神踊り」のお話を
神踊り保存会会長から聞けること。
宅宮神社を始め、上八万町の郷土史にくわしい方々の資料によれば、
この神踊りは、平安時代の末頃から今に至るまで、
休むこと無く続けられている由緒ある祭事であるという。
五穀豊穣・悪病退散を祈願して、
毎年8月15日に11地区の氏子により輪番で奉納されている。
氏子は馬組という、とあるように
農と馬が大切にされていたことをうかがわせる。
境内中央にさかきに幣帛をつけたひもろぎ、
桜花八方乱の飾り物を立て、
これを取りまき大人も子どもも花笠をかぶり手に扇、
そろいの浴衣で舞う姿は、優雅で純朴、
その写真に思わず見入ってしまう。
今年の神踊りが待ち遠しい。


蛙鳴き早苗に風わたるこの季節、
園瀬川西光寺橋の近くでは、滝つぼからわき立つように蛍がとぶ。
上八万町を蛇行して流れる園瀬川は、
一帯に豊富な地下水を擁し、豊穣の雨土を成し、人々が住み、
古来から恵みの川であった。
伝承的な素朴な民俗文化はそこに育った。
人の心の豊かさは、豊かな自然のふところから生まれ出るのだから、
この豊な文化が長い長い先々までも続くようにと願わずにはいられない。
この地に産廃はいらない。

八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年6月18日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


復興住宅の提案

NPO里山の風景をつくる会は、震災後自分たちにできることを探してきた。
「まちに森をつくろう」と、吉野川源流域の木を使った家を建て続けて10年、
川上の森で林業を営む人たちと、川下のまちで木の家に住みたい人たちの願いをつなげてきた。


そして、お互いの願いをすり合わせて行くうちに、
木の家づくりに役立つモデルプランを生み出した。
そのひとつが「嶺北スケルトン」である。
もっと山とまちの距離を短くしたいという願いから、
すぐに組み上げられるようにプレカットした構造材を、
産地から建築現場の軒先へ直送することができるようにした。  

 
これをぜひ復興住宅に生かそう!
これまでの実績に、なお智恵と工夫と被災地復興への思いを加えて、
間取りも値段も考えに考え、
本当にいいものを・安価に・簡単にと実現させた。
果たしてこのモデルが現地の実情に合うかどうか、
実際に建築家が東北に飛んだ。


まち全体がない・・・
いまだ想像を絶する状況が続いていて、
とても住宅を建てるような状況ではなく、
現実は予想外に厳しいようだ。
しかし、仮設住宅にいつまでも住めるものではなく、
必ず生活の基本である「安心の住まい」が求められるはずである。
私たちNPOは復興住宅における安心の住まいを次のように考える。

1,土地の気候と風土に合わせ、風を入れ、光を入れて建てる、自然素材による健康住宅
2 仮設の役目がすめば、建て増しや移築もできる本格的な住宅
3 輸入木材ではなく、故郷の森の復活につながる住宅
4 低予算で狭い土地にも建てられる住宅 
5 予想される東南海地震の時には、自分たちが提供を受けたい住宅


地元の大工さんや職人さんが、地元の木で建てることができれば言うことなし、
それを手助けできる事を願う。


佐古一番町のビオスホ-ルで6月4日午後2時から開くNPO里山総会(参加自由)では、
現地報告に合わせて「復興スケルトン住宅」を発表、
私たちの役割は何か、を話し合いたい。


八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年6月3日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


夏は来ぬ

小さな丸いつぼみが膨らんで、
まっ白に卯の花が垣根にこぼれると、
かすかに甘い香りがして足を止める。
柔らかな緑の滴る雑木林には
日がな一日小鳥が囀っている。
 

「卯の花の匂う垣根に・・・」。
佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」は
美しい日本の5月を織り成す
初夏の風物詩。

早苗植え渡す夏は来ぬ。
田の面に映る里山の風景を愛でる楽しみもある。
カエルが鳴き、田んぼ一面に水草が生え、
イトミミズが繁殖している田んぼはトロトロ層の土をつくり、
早苗は見る見る分桔(ぶんけつ)してたわわの稲を実らせる。


おいしい米を食べられることの幸せ。
3回続けて東北震災のことに触れたから、
今回は美しい季節のことだけを書こうと思ったけれど、
早苗を見ると変わり果てた田んぼと、
そこに立ち尽くす人々の姿が見えてしまう。
この幸せを分かち合いたい。


原発事故はますます深刻さを増している。

NHKテレビ ETV特集「ネットワ-クでつくる放射能汚染地図
~福島原発事故から2ヶ月」を見た。
原発事故の直後から、
放射線が飛び交う半径10キロ圏内に突入して
「放射能を測定して記録する、
その汚染マップを歴史に残す」とした
研究者、科学者たちによる記録である。
放射能が人々の夢を奪い、
人間の暮らしを根こそぎ奪った。
この間まで豊かな実りの中で
命がつながってきた大地、
そこに残された放射能の爪痕は
余りに大きいことを思い知らされる。


「夜暗くても、電気がなくても、原発はいらない、
どこに怒りをぶつけたらいいのか」。声は続く。
3万羽の鶏を飼っていた養鶏家
「もし明日餌が来なければ、こいつらは・・・。」
餌は来なかった、鶏たちは一羽残らず餓死した。


突然変異を来した遺伝子構造のような、
ねじれて色濃く染め上げられた放射能汚染の地図、
真実は隠せない、そのことを痛いほどに訴える内容だった。
幸せな私たちもまた、
生きている限りこの現実から逃れられないことを思った。
美しい季節が巡るためにも、
この現実に向き合わなければならないことを思った。


八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表  

2011年5月19日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より



いのちはぐくむ

春を告げ春を寿ぐウグイス。
今年もなわばりの雑木林に帰ってきた。
ケッキョケッキョ、数日後にはもうホ-ホケキョ。
震災からすでに49日、
美声に聞きほれながら、2時46分に捧げる黙祷。

肝心の事は何だろう? 
考えて動く。動いてまた考える。
そんな繰り返しの中で、祈りと願いを同じくする人たちと
「脱・原発」への動きを作っていこうとしている。

原発事業者も、事業を国策とした国も、決して責任を取ろうとしない現実に、
それは違う!と前回書き、その後読んだ2冊の本が後押しをした。
一冊は、家人の親しい知人でもある柳澤桂子さん著「いのちと放射線」(ちくま文庫)。
25年前に起こったチェルノブイリ事故直後に書かれたこの本は、
徳島新聞の日曜コラムにも取り上げられていた。
「人間は原子力に手を出してはいけません。
原子力は禁断の木の実です!」と。
生命科学者であり、自らが長い難病に苦しみながら
いのちの重みにひたと向き合ってきた人であるから書けた本である。
40億年の生命の進化の中で、
突然遺伝子を傷つけ生命のつながりを断ち切る放射能、
だから「私たちは何をしようとしているのかということを
宇宙的な時間のスケ-ルでみなければならない。」と言う。

もう一冊は高木仁三郎著「市民の科学をめざして」(朝日選書)。
柳澤さんの言う禁断の木の実とはどういうことなのか?
著者は、巨大な破壊力を持ち、
人類に知られた最も危険な毒物と言われるプルトニウムの正体を解き明かす。
プルトニウムを材料とする原子力発電と原子爆弾は同じ、
あの悲惨な長崎の原爆もプルトニウム爆弾だった。
そして、なぜ日本が、国が支えるプルトニウム大国になっていったのか、
そこから抜け出す道はないのか。あるのだ、と言う。

今、脱・原発を進めるにためは、
エネルギ-のあり方を考えていかなければならない。
地域の中で賄える、自然の力を利用するエネルギ--。
すなわち地熱太陽光、風力、中小水力、バイオマスなどである。
一代前までの人たちが当たり前に使っていたその智恵を生かして、
更に新しい時代の智恵を加える事が出来る。

国が行くべき道がそこにある。
それが、いのちをはぐくむ。


八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  

2011年4月30日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


それは違う

原子力発電所の地にいつ春が来るのか心が痛む。
日本は北から南まで、点々と原子力発電所が並び
その数55基、計画中10基、まさに原発列島。
南から花開く桜列島に原発が重なって見える現実はつらい。


今から30年も前の愛媛県伊方原発建設時を思い出す。
原発を止めようと専用列車まで仕立てて徳島から伊方に向かった。
プルトニウムを燃料とする危険なプルサ-マル原発であることや、
出力調整実験の問題など原発について知らなければならないと議論し
反対運動を進めた。


しかしいつしか、エネルギ-問題は、
徳島では阿南の火力発電所問題に移っていった。
全国各地の原発、福島第1第2、美浜、浜岡、東海村、志賀、むつ、柏崎刈羽・・・
その事故の度に原発に対する不信と憤りの声を一市民として上げ続けてきた。
そして今日、取り返しのつかない現実を目の当たりにして、
どうしても言いたいことがある。

原発を推進する専門家に、その責務を強く問いたい。
このたびの福島の原発事故は、自然災害によるものではなく
明らかに「人災」ではなかったか、
人知を超えた想定外だと片付けていいのだろうか。
チェルノブイリにも匹敵するレベル7とは!
果て知らぬ子々孫々にまで及ぶその被害の甚大さを思うとき、
そのような言動で済まされるものだろうか。
それは違う! そうは思わない。


専門家を称する者が科学者であるならば、
国策を盾に権力に迎合し、姑息な言い回しで安全神話を振りまくのではなく、
起こっている正確な事実を市民に伝えて欲しい。
堂々と発言し議論し、全知を集め対処の責任を果たして欲しい。


私たちは市民のなすべきことを考える。
原発は危険、必ずいつか事故を起こす、
だから原発に手を出してはいけないと
言い続けている専門家がいることを知っているから、
誰が本当の専門家なのか見極める目を持ち、
その流れを支え、彼らの発言を、声なき声に終らせることなく
政治に反映させる役目を持たなければならないと思う。

原発事故のもたらした人類史的課題に真剣に向き合いたい。
一人一人の自覚の向こうに新生の春が必ず来ることを信じたい。          
 

八木正江

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  

2011年4月14日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


合意形成

合意形成という言葉がはやっている。
春が来ているのに粉雪が舞ったり、
日傘が欲しいような紫外線を感じたり、
三寒四温の春は気まぐれ。
季節の巡りに合意形成はあるのか、と妙なことを考える。
天空にいる白いガウンをまとった季節神がつえをひと振りふた振り、
誰とも合意形成はいらないよ、自然の摂理に従えばいいのだから、と
つぶやいている声が聞こえる。


久留米にいる娘から電話があり
「道路を作る時の合意形成って、お母さん何のこと? 大事なん? 」。
「・・・・」。
まちづくり、環境のこと、行政の施策に市民の意見を反映させたいと、
日頃、合意形成を強く唱えているのに一瞬言葉が出ない。
私の住む町では南環状線道路の工事が進み、
見慣れた田園風景が日々に姿を変えていきつつある。
でも、何も言わずに黙って見ていた現実もあるから、答えられない。


聞けば、久留米柳川線といって、バイパスとバイパスをつなぐ道路が、
娘の住んでいる地域を通ることになって、
300軒ほどののどかな町は大揺れに揺れているらしい。
計画は18年も前に作られたが、今やっと地元説明会が開かれた。

ことの始めは、1月のみぞれ降る寒い日に、近所のおばあちゃんが
「こげな静かな田舎に、なんで道路ば造らんといかんとね? こんままでよかたい。」と
一軒一軒署名簿を持って回ったことにある。
娘は余りに真剣なその姿に打たれ、知らん顔はいかんと署名活動に協力、
勇気を出して説明会にも出かけた。

じいちゃんばあちゃんは強かった。
相談なしの道路はいらんの怒号と、しどろもどろの担当者の応答にびっくり仰天。
一人だけいた若い男性が合意形成、合意形成と迫っていて、
先の質問になったらしい。


質問に答えるべく、つい先日勉強したばかりの資料から、
合意形成の本質を表す言葉を探してみる。
信頼、協働、パ-トナ-シップ、公平、公正、科学性、第三者性、住民主権・・・
これらをシェ-カに入れて振って見ようと、また妙なことを考え、得た答えは、
合意形成とは、自然の摂理にかなう判断をすること、
唱えるより実践が第一であるということ。
果たして娘が理解できるかどうか。

 

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2011年3月11日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より            


鍋から見える

はかせ鍋、圧力鍋、土鍋、タジン鍋、ゆでもの鍋、
すき焼き鍋、ダッチオ-ブン、無水鍋、中華鍋、
雪平、ミルクパン、蒸し器・・・・あるある。

狭い台所に並ぶのは土鍋と雪平だけ。
食卓に上るのは豆腐におひたし、煮物に焼き魚と
シンプル料理だから2種類の鍋で事足りる。

引き出しの奥であろうと、手の届かぬ棚であろうと、
とにかく鍋さえ持っていれば
いつだって腕を振るえると満足しているが、
消費文化を地で行くような鍋の数に恐れ入っている。


反省しきりと見回していたら、
飛びきり好きな鍋がある事に気がついた。

ドイツ製の重いホ-ロ-鍋、
真っ赤で台所に王女の風格。
もう40年も昔だが、家人がドイツに行った時使っていて持ち帰った。
鍋のお土産なんてと失望。

ところがこれが役に立ち、以来ずっと働きづめ。
特に灯油スト-ブとの相性抜群で、
根菜類、豆類、乾物、あっという間に煮えて美味。
おせち料理のこぶまき、黒まめ、しいたけ、きんとん、高野豆腐すべて。
目が回るよ!と鍋の声。


声と同時にこの赤い鍋の向こうにドイツが見える。

家具だって、家だって同じく長持ち、
お爺さんが使い、お父さんが使い、息子が使う、
家族何代もが愛着を込めて使い続ける机の話などを聞くと、
彼ら家族の歴史が偲ばれて、
孤立の無縁社会と嘆かれる日本の今が頭をよぎる。


市民バンク代表の田中優さんらが、
300年はもつ長寿命の天然住宅運動を始めたとの話を聞く。

住まい手の立場から木の家の良さを伝えたいと、
国産材で家を建てる活動を続けている私としては、
いいなぁ、その運動を国中に広めたいなぁと羨ましいが、
ドイツではすでにそれが当り前になっている。


「環境破壊をしない持続可能な社会のために
私は活動しているのだ」と大言壮語して、
来る日も来る日も会合やイベントに出かけて行くにしては
なんともちぐはぐな日常。

鍋鍋底抜け底が抜けたらかえりましょ。

底が抜けるまで使えるこの鍋のようにならなくては、
人も物も価値がない、と言い聞かせている。


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2011年2月24日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


森の精の住む病院

大安のその日、冬の空は真っ青で、
少し遠いがなだらかな山の稜線に囲まれた地に
掛矢の音が響いていた。

太い棟木や登り梁が次々とクレ-ンで下ろされる。
手慣れた大工さんたちがえいっ、やっと受け取り、
切り組みをぴったりと合わせて掛矢を打つ。
力に満ちたかけやの音にこだまが応えて、
木の命が蘇るよう。

最後の棟板が上って、
いつもながら、木造建築の上棟式には感動してしまう。
建て主の思いを込めた棟札は、どこに収めるのかな。


もともと神道の祭祀であるこの行事、
木の霊を鎮め、家が無事に建ち上がるようにと願って行なわれる。
曳き綱の儀、槌打ちの儀、散餅銭の儀と古式ゆかしく・・・とはいかないが、
古式の神が乗り移ったようにおごそかに、
いやてきぱきと取り仕切る頭領以下大工さんたちの動きには
ほれぼれとしてしまう。


土台に梁に柱にとふんだんに使われている木、
これらの木はどこから来た?
山で伐採に立ち会ったあの日、
80年生の杉の大木が空を切って運ばれていく光景に、
「キリンさんだ、空飛ぶキリンさんだ!」とこどもたちが歓声をあげた。
そう、川上の森から川下の町へとキリンはやってきて、
こんどは家として再びの命の日々が始まる。


ここは透析専門の病院と聞く。
透析に命を託す友人が何人かいて、
その大変さをかねがね聞いている。
週3~4日、一回の透析にかかる時間は約4時間というから、
その間木の香りと精気に包まれ、
心身共に安らぎつつの治療が受けられるならば
どんなにかほっとするだろう。

中央に並ぶ4本の柱は、森をイメ-ジして設計された由、
枝を広げるように太い梁を支えている。
この木を見上げて、患者さんたちは
さやさやと葉ずれの音を聞き、
暖かい木漏れ陽を受け、
森に流れた悠久の時を感じるだろう。

細い透析の管よ、
森の精を運べ、緑の管に置き換われ!


日本の山は今、とてつもない苦しい経営を迫られている。
その現実を知っているから、
木を使い、木の家を建てることが、
山の人たちにとってこの上ない透析なのだと、
掛矢の音に祈りを込めた。


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2011年2月9日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


凍てつく朝に

凍てつく朝に
正月じじいが来ぃました、
なんと言って来ぃました、
寒いと言って来ぃました。


お正月にやってきた正月爺が居座って、
この冬一番に冷え込んだ朝、
私たちは「若水」を汲もうとさてどこへ?


名づけて水見張り隊の面々、
家にあるものを全部着込んでだるまさながら、
でも被った帽子の中から、おめでとうと笑顔。
暑かろうが寒かろうが、降ろうが晴れようが
出動する水見張り隊。
「年寄りばかりが山へ行って大丈夫か?」と、家族の心配をよそに、
お正月早々、いそいそと検査の場所にやってきた。


気温氷点下1度。
足の先が凍るように冷たく痛い。
冬の空は晴れて青く、産廃処分場のある山への坂道はまっ白に霜、
さくさくと霜柱を踏んで、霜に萎えた大きなぎしぎしを踏みつけて歩く。
遠く白い雪を冠した佐那河内の山、近く眉山の山並み、
ここの過去を知らなければ格好の散歩道だ。


やあやあ、お変わりないかい?
私たちが宝とする一本のボ-リング孔。
多くの人たちの浄財で処分場にやっと掘れた一本。
寒風吹きすさぶ4年前の2月初め、
処分場には何が埋まっているだろうと自主調査した。


続けている水質検査は簡単。
計量目盛りをつけたビニ-ルひもをするすると下ろして、
ひもにくくり付けた細いガラス管で水を汲み引き上げる。
容器を洗う、又洗う、 そして測定する。
地下深くの様子、一体どないなっとんや? 
ついそうつぶやいてしまう。
地下深くまで開けて調べ、不安を除き、
安心安心と子孫に手渡せたらどれだけ寿命が延びるだろう。


廃棄物の問題に頭の天辺から足の先まで捕まえられて、
電気伝導度計を操るやら、水紋分析という言葉を覚えるやら、
赤い水の正体は?と論議をしてみるやら、
新しい知識と実践が続いている。


若狭井から神聖な水を運ぶ東大寺2月堂の、
春待つお水取りなら嬉しいが、
若狭の井戸の水ならぬ、ボ-リング孔の若水では・・・・。
いつもと同じ数字の羅列を見ながら、
「まだ静かなんだねぇ」と誰かがぽつり。
そう先は長い。


振舞われたしょうが湯に笑顔が戻って、
凍てつく朝の恒例行事はお終い。
 


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2011年1月25日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 
             


11年目の123

大晦日に降った雪が斑(はだら)に残り
寒気に明けた新年。
幸多かれと一年の先行きを祈る。

年の初めにまたまた書きたいことがある。


平成23年1月23日午後1時から、教育会館大ホ-ルで
「11年目の123」が開かれる。
百万言を費やしても語りきれない、
悔やんでも悔やみきれない冷厳な事実を
直視しながら準備が進んでいる。


「永遠に123 吉野川とともに」とうたわれたチラシに至るまで、
幾度議論が繰り返されただろうか、
「123は所詮勝者の論理、いつまでこだわる!」
「 いやこだわるのではない、飛躍への踏み台! 」と
右往左往のジグザグ問答が続いた。


けれど、吉野川の歴史にとって、
いや徳島に今を生きる私たちにとって、
住民投票が実現した2000年のあの日も、
前原大臣が可動堰中止を宣言した2010年3月のあの日も、
賛否の立場を超えて、
誰もが心から吉野川を愛したことに変りはない。
毎年巡り来る「1月23日」は
一人一人の心に永遠に生き続けるのだと信じたい。


若い人たちが言う。
こんどは自分たちが中心になって動いていくために、
あの時を、あの時からつながる今を知りたいと。
世代の移りを心強く感じながら、
1月23日教育会館に1000人の人たちが集えるよう
最大限努力しようと思う。


忘れもしない昨秋10月4日の出来事。
加藤登紀子さんおめでとうコンサ-トの感動はいまだ覚めやらぬが、
加藤さんには今回また駆けつけてて下さる。
深く感謝の意を込めてその日を待つ。

基調講演は、滋賀県の嘉田知事だ。
大熊孝先生(新潟大名誉教授・河川工学)、
宮本博司さん(淀川水系流域委員会委員長)には
何回もお出でいただく。


徳島において
市民が参加する「流域委員会」の設置ができるのだろうか。
吉野川の河川整備計画に、
第十堰を保存しつつ、
吉野川流域ビジョン21委員会が提示した
緑のダム構想を生かす治水戦略を入れ込まねばならない。

それはどのようにして?
先生方にお聞きしたい事は山とある。


カヌーイスト野田知佑さんと子どもたちの出番もある。
飄々と語る野田さんの語り口が聞こえる。
子どもたちの目が輝き、声がこだまして、
「11年目の123」は未来への扉を開くだろう。

チケット1000円(高校生以下500円)は各プレイガイドにて販売している。
問い合せ トエック(626-3436 )


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2011年1月7日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 
             


ぞめき

忘れ得ぬ人がいて、
忘れ得ぬ言葉がある。


32年間続けてきた「城の内読書会」が
15日、355回をもって幕を閉じた。
さまざまの思いが交錯する。


知人、親戚誰もいない徳島に来てまだ日が浅かったあの頃、
私と周囲をつなぐのは本だけだった。
だから市立図書館の貸し出し文庫「いずみ号」の巡回が、
どんなに嬉しかったか。

読書振興に大いに力を入れていた徳島市立図書館は、
指導者を養成しようと読書グル-プの育成に力を入れていた。
「城の内読書会」もその一つで、
心地よい居場所を見つけたとばかり、
定年後のお偉方に恐いものしらず、
若気のいたり、けんけんごうごうと議論を吹きかけた。
相手はかくしゃくと政治経済を論じ、社会や平和を論じた。
何より郷土を論じた。


それらの忘れ得ぬ人々は皆既に鬼籍に入られたが、
その一人が当時モラエス館館長だった松本進さんだった。


太い眉にぎょろりの目、強面の優男、
とは矛盾した表現だがその通りだった。
どんな会話だったかは覚えていないが、
松本さんから初めて「ぞめき」という言葉の蘊蓄を聞いた。

「阿波踊りはぞめきのリズム、
そもそも阿波踊りの由来は精霊の盆踊りの流れを組み・・・・」。
今にも踊り出しそうな、相好を崩しての説明が目に浮かぶ。


ぞめき、動詞にしてぞめくは、
踊りを囃す急調子の三味線の音とか、
踊り全体の得も言われぬ雰囲気全体を指すともいう。
8月のぞめきは格別だが、
いつの時でも「ぞめき」と口に出せば、
ただに賑やかなだけでなく庶民感情のエッセンスが底流にあるような、
その魂の声を聞くような不思議な感覚が体の中を通り過ぎていく。


「松本さん、城の内読書会が終わりました。
私たちの心底にぞめき心を残して終わりました。
最後の課題本は「女たちの明治維新」(鈴木由紀子著 NHKブックス)。
明治という時代の変革に関わり、
時代を画した女たちの足跡をたどった本でした。
32年間この会を続けてきた私たちも、
またそれぞれに時代を画したと自負しています。
いつまでもぞめきの心意気を持ち続けます。」
そう報告したい。

忘れ得ぬ人に会い、
忘れ得ぬことばに出会えたことを
幸せに思う。

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年12月17日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 


落ち葉の季節に

はらはらと紅葉がこぼれている。
散り敷く落ち葉は色とりどりの豊穣。
コンクリ-トの道に舞い降りて
土に還らぬ落ち葉は寂しいが、
この季節に決まって思い出すのは
高村光太郎の詩
「落ち葉を浴びて立つ」


「どこかで伽羅のくゆっているやうな
日本の秋のなまめかしくも清浄な
一天晴れたお日和さまよ」

に始まる長詩は、

「棄ててかへり見ぬはよきかな、
あふれてとどめあへぬはよろしきかな」

と続き

「落ち葉よ、落ち葉よ、落ち葉よ」

と呼びかけ

「心に豊穣な麻酔を取らう。
ありあまるものの美に埋もれよう」

と結ばれる。
 

そんな落ち葉の季節に
50年ぶりの友に会った。
うら若き乙女も七十路を迎え、
あの日奈良公園に落ち葉を浴びて立ち、
また会おうね!と固く約束してから半世紀、
厳密に言えば、奇特にも毎年続けられている同級会だから
単に今まで私が出席しなかったに過ぎないのだが。


殆どが教職につき活躍した。
それぞれの人生は山あり谷あり大波ありと、
さながら小説のよう。
当時昭和30年代、
多くは地方から学を志して進学、
戦後の動乱期を経て
まだ新旧価値が入り乱れていたが、
折からの学園闘争なるものにも巻き込まれ、
世間知らずの純粋培養と冷やかされながら、
それでも真剣に議論を重ね
生きることの意義を考え続けた。


その時があって今がある、と皆が言う。
これからの世の中どのようにあって欲しいのか、
そのために老齢むち打ちできることがあるはずだ。
夜更けまで議論が続いた。
 

99対1の原則というのがある。
それだよ、世界に100人の人がいて、
世界がぜひに変わる必要があるとする。
変わって見せる一人は他人ではなく、
まず自分でなければならない、ということ。
七十路は賢くて元気と自らを褒め、
その一人になろうと誓う。
鳴門海峡の紺碧の海と、
眉山山頂からのきらめく夜景と、
藍がめの深遠な色合いとが、
集う皆にそんな素敵な思いを抱かせた。


最後はひょうたん島を廻って
川の町も垣間見て満足、
徳島に見所多々ありにも目覚めて
忘れ得ぬ落ち葉の季節となった。

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年12月2日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 


闇の奥

秋がなかった。
うららの春もなく、
暑かった夏から突然肌寒の季節になってしまった。

そのうち四季折々の季語も忘れられて、
歳時記をひも解く楽しみもなくなってしまうかもしれない。
地球全体が何だか訳がわからなくなっているような。


ジョセフ・コンラッドの小説に「闇の奥」というのがある。
コンゴにおける植民地支配を描いた辛い内容で
結局途中放棄したのだが、その表題ばかりが忘れられない。
最近のニュ-スには、
闇の奥から不気味に立ち表われてくるものが多いからである。


去る9月7日、
NHKクロ-ズアップ現代で放映された「日本の森林が買われていく」は
そのひとつで衝撃だった。
日本の森林が外国の投資マネ-の対象として買われているというこの現象、
すでに2002年の頃からという。

日本の森林率68%はフィンランドについで高く、
その数字だけから見れば豊かな森の国だと思う。
安い外材に頼らないで、近くの山の木を使って家を建てよう! 
とNPO活動を10年も続けていて、この動きをつゆ知らなかったとは。

日本人の勤勉性と従順性とを象徴しているといつも思うのだが、
戦後山という山に杉を植えた。
その人工林、今ちょうど伐り旬を迎えている。

けれど、右肩下がりに下落した杉の価格は法外に安く、
おまけに林業経営者の高齢化で木を切り出す労力がない。
どんなに安くてもいいから手放したいという
森林所有者の苦境に付け込まれての現象に違いない。


え、どこの県で?
例に出されていたのは北海道倶知安の山林だったが、
九州長崎の例も出ていて、
四国は? とどきどきして聞き耳を立てたが、
幸い「徳島」は出て来なかった。

学校や図書館や公民館など
公共の建物を木造にする動きが進んでいる愛媛県なのに、
やっぱり買占めの動きがあると言われていた。

こんなゆゆしき現実、
林野庁ではもちろんとっくに知っていて、
処置が取られていると信じたいが・・・

核をめぐる密約だって、軍需産業の存否だって、
やっと表面化しているTPP(環太平洋戦略連携協定)問題だって、
真実は深い闇の奥。

闇の奥に一筋の光を!これではまるで神頼みだと思いつつ、
やきもきと氣をもんでいる。


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年11月16日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 


はたと眉山に

NEC_2622.JPG
photo by 朝波 史香 
 
眉山はなるほど眉の山である。
 
   “眉のごと雲居に見ゆる阿波の山
    かけて漕ぐ舟泊まり知らずも”   (万葉集 船王)
 
命名の由来によく引き合いに出される歌である。
 
 
この度思いがけず入院という憂き目に遭ってま近に眉山と対面することになった。
眉山の南側が日常のテリトリ-なので、北側の眉山は珍しく、
朝も昼も夜も眠りに落ちた真夜中にも、山の気をまともに感じることができた。

かくも長々と横たわっていようとは!
切れ長の目ならぬ何と長い太い眉ではないか。
なだらかに落ちていく東の山の端から日が昇り朝焼けの雲をなし、
これまたゆるやかに落ちていく西の山の端につるべ落としに秋の日が沈んだ。
 
  “秋は夕暮れ
   夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、
   烏の寝どころへ行くとて、
   三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさえあはれなり”

清少納言さん、その通りですよ。
微かに色づき始めた木々は何々?
主たる植生はアカ松の二次林で所々に広葉常緑の暖帯林があるというが
然るべく教えを請いたいもの。
 
 
山ふもとの地名から
佐古山、富田山、八万山、名東山、中津山、福万山、柿谷山、長谷山、
東麓に広がる寺社との関係から、大滝山、勢見山、万年山との別名もある眉山。
 
そういえば「四日の悪日(しがのあくにち)」ということばの解説(広辞苑一日一語)にも、
「三月四日のこと。仕事をしては悪い物忌み日として花見遊山をする。
特に徳島の大滝山遊山は著名」とあった。

水源の森、眉山は庶民に晴れと卦と信仰を供する山であったのだ。
鮎喰川と園瀬川に挟まれ、名東遺跡、最近見つかった川西遺跡にもあるように
山ふところ広く、古代から今に続いて人が住み、文化が生まれ、
徳島の歴史を作り続けてきたに違いない。
 
 
この10月、
仲間はみんな名古屋でのCOP10に行ってしまって寂しい思いもしたのだが、
眉山に添え寝としゃれ込んで、日がな一日眉山と語り合い、
人の暮らしと生物の豊かさに思いを致すことができたのは嬉しいことであった。                  
 

里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年11月2日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 



加藤登紀子さん歌う

誰にも手の届かない、そんな遠くに唐突に行ってしまうなんて、
それはないです姫野さん! 
そしてもうこの後にことばが続かないのですが、
でも、でも、私は今、どうしても自分に言い聞かせておかねばならない事があるのです。
それを周りの人たちにも伝え、生きる縁にしたいと思うのです。
いっぱい、いっぱいお世話になったのに、
お礼の一つも言えないうちに逝ってしまわれた姫野さんへの、
それをせめてもの餞にさせて下さい。


その日10月4日は待ちに待った加藤登紀子45周年おめでとうコンサ-トの日でしたね。
一本また一本と若者が投げ入れた深紅のバラが入り口を飾り、
登紀子さんが歌うステ-ジのバックにも100万本の真っ赤なバラが広がっていました。
どこにいるの? どこで聞いているの?

両手を広げ祈るがごとくに遠くを見つめ、また深々と頭を垂れ、
湧き上がりほとばしる感情を歌に込めた登紀子さんが、
歌いながらずっとそう問い掛けているように見えました。
「今までに何度も吉野川のシンポジウムに徳島を訪れ、
必ず歌った曲はレボリュ-ション.。
それを最後に歌います!」
それは姫野さんにささげられた最高の賛歌でした。
続いて川ガキが歌いました。
川は僕らの友だち、川は僕らの未来。
姫野さん、こんなにもたくさんの若い人たちが育っています。


志を同じくした登紀子さんの思いがひしと伝わる、感動のコンサ-トでした。
最後の実行委員会で、若い人たちがてきぱきと会を進めていくのを
姫野さんはじっと見守っておられましたね。
その真意を理解できます。
いつだって、国を動かすようなそんな難しい局面だって、
何が肝心のことなのか、何が欠けてはいけないのか、
何を譲ってはいけないのか、それを声高にではなく、
身をもって私たちに指し示し続けたのが姫野さんでした。


吉野川から次なるすべてに陣を敷き、
それらを統べるはるかな高みへと昇華した姫野さん、
10年前を今に、今を未来へ、
そんな姫野さんの「意思」を伝え続ける語り部にならなければと思います。  


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年10月14日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 
                                   



「生きもの遍路」展

PA0_0017.JPG


むむ?またまた生物多様性、知れば知るほどなるほどと納得できる事ばかり、
どうにかしてお伝えしたいと思うものの書けば書くほどややこしくなる。
そんな悩みを一挙に吹き払うようなイベントがあったのだが、
見ていただけただろうか。 


25、26両日文化の森21世紀館で開かれた
「とくしまの自然と生きもの遍路」という展示会である。
生物多様性とくしま会議が主催、
市民アクション徳島などに属す23団体が出展した。
間近に迫っている名古屋での生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の
プレイベントでもあった。
真っ赤なカニのぬいぐるみが人目をひいて、生きものの折り紙おじさんも登場、
吉野川の恵み青のりの香りにも感動、楽しくてためになる展示会だった。


活動を始めて10年、20年、驚いたことに45年という所もあり、
どの展示にも、うまずたゆまずこつこつと活動を続けてきた熱意があふれていた。
展示は、森から吉野川河口まで、あたかも川が旅するように流れていて
(もっとも、実際には自由自在に行き来していたが)、
頑張っている人たちがいるんだとその多様性に驚いた。


入り口に掲げられた呼びかけ文
 「いのちの巡り、生きもの遍路。
 生きとし生けるものすべてが歌を奏でられるよう、
 いのちのハ-モニ-を奏でられるよう、
 循環と共生と持続可能をキ-ワ-ドに、
 徳島の自然と生きものをどのように未来にのこしていけるのか、
 ごいっしょに考えましょう。」


誰言うともなく言い出してイベント名が、いのちの巡り、生きもの遍路。
私は、当番をそっちのけにしてぐるぐると会場を回り、足を止め、熱心な説明を聞き、
頭も心もおなかいっぱいになることができた。


人も動物も植物も、大地も大地を潤す水も大気も共生の輪を成す。
共生という“結界”をこれ以上踏みにじってしまわないよう、
生物多様性を維持していくためにこれからもできる努力を続けたい。


COP10議長国として、「生態系10年で集中保存」との前原大臣の演説もあり、
ようやくCOP10へのうねりが見えるようになった。
今回のこの展示会がうねりの波につながることを願っている。


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年9月29日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より 

PA0_0016.JPG   


吉野川をラムサ-ルに!

露草色の明るい青地に白いくりぬきの文字。
真夏の太陽の下数本ののぼりがひらひらと風に揺れて、
遠くからでも「ラムサ-ル署名だ!」と一目瞭然。

市民団体「吉野川ラムサ-ルネットワ-ク」(7月27日設立)が
「吉野川河口域をラムサ-ル条約登録湿地にしよう」と呼びかけている署名の活動は、
今、県内外を問わず広がり始めている。

去る8月24日環境省で候補地検討会が開かれた。
ロビー活動が大事と毎回東京の会議にかけつけたメンバー、
かたずをのんで結果や如何?と情報を待ち受けた。
まだひとつも登録地のない四国だが、
その四国で今回7ヶ所、全国で192ヶ所が選定候補地に決定した。
吉野川ももちろんである。

ラムサ-ル条約は国際条約だから、登録にこぎ着けるには
国際基準1から基準8までの厳しいハ-ドルを越えねばならない。
今回吉野川にとってチャンスだったのは、
河口域が国際的にも重要な湿地だよ、と認められたことである。
自然度の高い河口域環境、動物植物魚類いずれも種や稀少種が多いこと等、
国際基準はすべてクリアした。
市民団体(学術団体や行政機関も)の人たちが何年も地道に観察し
積み重ねた記録が生きようとしている。

その上で登録決定を実現させるには何が足りない? 
それは吉野川を保全し、賢く利用し続けたいという市民の意思である。
駅前での署名にはいくつものエピソード、
高校生や中学生の若い人たちが気軽にペンを走らせる。
吉野川の雄大さに感動したと県外一家も、
全国行脚途中の函館の男性も、
はつらつとした女性の活動ぶりにハ-トが騒いだという信州の男性からは
励ましの手紙も届いた。
一筆一筆が吉野川への思いをつなぎ人をつなぐ。


里山の風景をつくる会 理事 
地球温暖化を考える-市民アクション2010-徳島代表  八木正江
2010年9月11日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より    


8月に読む

人間50年下天の内に比ぶれば夢幻の如くなり・・・
信長が舞った幸若舞「敦盛」の一節である。
下天とは天上界、この世の50年は、天上界では一夜に過ぎない、と。
ふと耳を傾けると、テレビニュ-スが、悲惨なクラスタ-爆弾禁止に
大国のアメリカも中国もロシアも同意しないと報じている。何という!
終戦から65年、戦争は今もまだそこにある。
下天の内に・・・なんて感慨にふけっているわけにはいかない。
今年もまた暑い8月が巡ってきて、考える事多々。

続きを読む "8月に読む" »


そして、吉野川YEARは

加藤登紀子さんのおめでとうコンサ-トが10月にあるって。
歌手生活45年を記念して。
暖かいピンク色のポスタ-に、
語りかけるように登紀子さんがいる。


「10年目の123」を開いてから早くも半年、
未来の吉野川を思い描いていろいろな構想を練ろうと約束したことが
こうして実現しつつある。

続きを読む "そして、吉野川YEARは" »


日常と非日常

「皆さん、もしあなたが、とても理不尽な事によって、
心に深い傷を追ってしまったとして、
その傷心の度合いを数字化することができますか?

私たちは今、直面している廃棄物問題のことで、
損害賠償(慰謝料)請求裁判を起こしています。
そろそろ大詰めです。

続きを読む "日常と非日常" »


伐り倒される!

 
屋敷林としてひときわ目立つカシの大木だった。
樹齢は定かでないが冬でもぎっしりと緑が詰まっていて地域の守り神だった。
その木に会いさえすれば、
どんなに辛いことがあった日でもほっとくつろぐことができた。
主木を取りまいて、やぶ椿やもち、アオキやシロダモなどの常緑広葉樹が茂り、
赤いやぶ椿が点々と咲いた。
最近では竹やぶに侵食されつつあったが、
昔からあるふるさとの森そのものだった。

続きを読む "伐り倒される!" »


園瀬橋のお地蔵さん

お地蔵さん.jpg
 
 
 
 
「銅の鳥居のお地蔵さんこちら→」土手の上に妙な看板が立っている。
文化の森近い土手上の道、車がびゅんびゅん通り、
パワーショベルやダンプが出入りする。

法花トンネルも山肌に風穴よろしく開通、
この辺りの余りの変りようには、つい固く目をつむってしまいたくなるのだが、
今日は看板につられて思わず知らず→の先をたどると・・・
いましたいました丸々坊主をお日さまに照らされて
コンクリ-トの台座の上にお地蔵さん2体。

続きを読む "園瀬橋のお地蔵さん" »


五月のそよ風を・・・

column137.jpg

 
 
詩人の立原道造の最後の言葉は、
「五月のそよ風をゼリーにしてもってきてください」であったという。
風の詩人、立原道造らしい逸話である。
 
 
五月の風をおねだりした道造であったが、
かなわず昭和14年3月29日、24歳の若さで亡くなっている。

続きを読む "五月のそよ風を・・・" »


ありがとう 吉野川みんなの会

 
 
NPO法人吉野川みんなの会の最後の総会に出席した。
白熱した議論が展開して様々の思いが交錯した。
解散と知った瞬間には余りの唐突さに愕然とし、
多くの市民活動を生んだ親がかわいいわが子を見捨てるような、無責任な・・・
と激しく抵抗したが、今は、これが最善の選択だったと思えるようになっている。

続きを読む "ありがとう 吉野川みんなの会" »


内ゲバの論理をこえて

内ゲバの論理.jpg
 
 
 
ゴールデンウィークが終わって、京大のキャンパスに戻った私の耳に、
痛々しい悲鳴にも似た言葉が飛びこんできた。
友人の女子学生のその言葉を、今でも私は覚えている。
 
「カズミさんが亡くなった・・・」
 
カズミさんとは、元京大文学部助教授で作家でもあった高橋和巳のことである。

続きを読む "内ゲバの論理をこえて" »


続・信濃の国

 
実は、である。前回の信州賛歌に反論が。
「故郷とはそういうものであるらしい」と書いたら、そういうものとはどういうもの?と。
良く見えている部分だけを心情的に書いても事実が伝わらない、と。
確かに。故郷には心痛む事柄もたくさんある。

続きを読む "続・信濃の国" »


風景はなみだにゆすれ-井上ひさし逝く

column135 「風景はなみだにゆすれ-井上ひさし逝く」.jpg
 
 
 
作家の井上ひさしさんが亡くなった。75歳であった。
 
代表作の「四千万歩の男」は、
「大日本沿海実測全図」を完成させた伊能忠敬の伝記小説である。
忠敬は50歳で家督を子に譲り天文学の勉強を始め、
56歳から73歳で亡くなる前年まで日本全国を実測して回った。
その距離3万5千キロ、歩数にして四千万歩であった。
人生50年といわれた時代に、隠居後の56歳から始めたというところに、
私はうちのめされたり、又元気づけられたりもするのである。

続きを読む "風景はなみだにゆすれ-井上ひさし逝く" »


信濃の国

 
 
 
4月の始め久しぶりに故郷に帰り温泉行(こう)となった。
訪れた赤倉温泉はまだ班(はだら)の雪景色、
聳え立つ黒姫山も妙高山も雪化粧だった。
 
実家は、俳人小林一茶がよく往き来したといわれる北国街道筋にある。
山路にかかると遠く千曲川も眺められて旅情豊かな往来が偲ばれる。
更に北へ北へとたどれば一茶の古里柏原に至り、
ナウマン象の遺跡が出た野尻湖を経てその先はもう新潟に近い。
赤倉温泉はそこにある。

続きを読む "信濃の国" »


羊と樅(もみ)の木の歌 ― ルーマニアの音楽家

みやこうせい.jpg
      みやこうせい「ルーマニア民俗写真展」より
 
 
 
  
45年前、シベリア鉄道でモスクワに行き、
それからパリに向けて旅立ったみやこうせいさんは、
その途中、ルーマニアの国境の駅に降り立った。
そしてラテン系の血の騒ぐ、
あるいは奔流しざわめくルーマニアの人々に心から魅せられてしまった。
 
「住民の、そう、神がかりめいた親切さ、あたたかさに感じ入った。
人々の情に何度も涙した。
右も左も、一・二・三も分からない、極東からの旅人を人々は手あつくもてなし、
・・・別れる時にあの人たちははじめじんわり、やがてぽろぽろ涙するのである。」
(みやこうせい「人呼んで、世界の中心・・・」)

続きを読む "羊と樅(もみ)の木の歌 ― ルーマニアの音楽家" »


思いの至りて

 
 
再び忘れ得ぬ日が来た。
 
2010年3月23日、大地を潤す春の雨がお堰の上にも降っていた。
「可動堰はあり得ない。」
「現堰はどうすれば保存できるか調査にかかる。」
と断言した前原大臣の声をお堰はどんな思いで聞いたろう。
 
「えっへん、どうだ。258年経っても無事に働いているぞ」。
魚道を走る水音と、さわさわ透過水の音も聞こえて、
堂々と横たわる斜め堰の声が聞こえた。

続きを読む "思いの至りて" »


吉野川の未来を開く ― 可動堰計画中止

第十堰.jpg
 
 
吉野川第十堰の可動堰計画が中止となった。
 
23日、前原国交大臣は、徳島の市民団体のメンバーらと会談し、
第十堰の可動堰化計画について、「可動堰は選択肢にない」と表明した。
 
2000年1月の徳島市の住民投票で、
9割以上の人が可動堰建設に反対の意思表示をし、
その結果可動堰計画は「白紙」となっていた。
その後10年の歳月を経て、やっと事実上の「中止」が決まったのである。

続きを読む "吉野川の未来を開く ― 可動堰計画中止" »


つげ義春の青春

つげ義春.jpg
 
つげ義春さんのマンガで忘れられないシーンがある。
その最後のシーンだけが記憶に残っているのだ。
途中は忘れてしまっている。どんなストーリーだったっけ。
 
少年が一人で仕事をしている。
町工場の片すみで。
子供のころ、普通に目にしたバラックのような板張りの工場の中で・・・。
 
書庫の一番奥の棚にあったつげ義春全集を引っぱり出した。
その第7巻に出ている「大場電気鍍金工業所」がそれであった。
 
メッキ工場の社長が肺炎で死んでしまい、
残された奥さんとメッキ工の少年が工場で研磨の賃仕事をしている。
「メッキの職人は必ず肺をやられる」と、出だしから暗い話ではある。

続きを読む "つげ義春の青春" »


あるじなしとて春な忘れそ

 
 
 梅の思い出リレー。
 学校帰りに近道を
 通ってみればどこからか
 ほんのり匂う梅の花
 
 
田んぼのあぜ道をとんとん走った近道、
横丁を曲がってひなびた家並に出くわした近道。
思い切り走ったお墓のある近道。
背中のランドセルがカタカタ鳴って、オカッパ頭は神出鬼没。
辻々に梅が香っていた。
 
奈良県月が瀬村、ダムに沈んでいった白い白い一面の梅。
白い幻は今も夢に立ち現われる。
木頭村の切り立つ谷に立った日。
「ダム底に沈まなくて良かった!」ダムを止めた村民の苦労がしのばれた。
あれも梅の季節だったか。

続きを読む "あるじなしとて春な忘れそ" »


『葬送』 ― ショパン生誕200年

2010.02.25 No.131 「葬送」.jpg
 
 
 「その美質は、奏でられる調べの一音々々から馥郁(ふくいく)と立ち昇って
  客席のすべての人間を恍惚とさせた。
  胸を締めつけるような憂鬱も、寂寥(せきりょう)も、悲哀も、
  どの一つを取ってみてもそうした薫りを帯びていないものはなかった。
  即ち気品であった。・・・何という香気。何という陰翳(いんえい)!」
                                 (平野啓一郎『葬送』)

続きを読む "『葬送』 ― ショパン生誕200年" »


ハンミョウの道教え

 
風のそよぎや流れる雲に、水ぬるむ川面に、
くりくり目玉のメジロにと遠近春はやって来る。
自然の移りは正直、今日は明日へ、
明日はあさってへと寒暖取り混ぜ変身一途。
いのちみなぎり、いのち張る「春」。生物の多様性を語るには最適の季節である。
 
2010 年は生物多様性年。
これから徳島でも事前行事が展開される。
第一弾2月20日(土)に開く「生物多様性国内対話in徳島・香川」
(アスティ徳島 1時から)には、生物多様性の国家戦略なるものが登場する。
国家戦略とはこれいかに?
 
戦略ばやりの昨今だが
上から目線でない「自分たちの戦略」をぜひ立てたいと思う。

続きを読む "ハンミョウの道教え" »


節分を過ぎると

キビタキ.jpg

                           photo by TAKESHI MIYAKE
 
 
 
ある朝、夜半の雨が止んで、空気が柔らに感じられて窓をあけると、
霞を刷いた山々が墨絵のようだった。
手前の雑木林は枝々に春の芽吹きを貯えている。
節分を過ぎると足早に春の足音。
春待つ今の、この湿り気とかすかな匂いは格別である。
 
 
この季節必ず思い出す一冊の本、海洋生物学者レーチェル・カーソン「沈黙の春」。
いきなり第1章明日のための寓話で語られる地球の現実は衝撃的である。
 
  「自然は沈黙した。鳥たちはどこへ行ってしまったのか。
   みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。
   春が来たが沈黙の春だった。
   農家では鶏が卵を生んだがひなは孵らず、
   りんごの木は溢れるばかり花をつけたが、
   耳をすましてもミツバチの羽音もせず・・・。」
 
そして 「すべては、人間がみずから招いた禍いだった。」 と結ばれる。

続きを読む "節分を過ぎると" »


「日本の橋」

column129 「日本の橋」に出てくる熱田の裁断橋(大正初年頃).jpg
              「日本の橋」に出てくる熱田の裁断橋(大正初年頃)
 
 
  「十八になりたる子をたゝせてより、
   又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかける成、・・・」
 
 
保田興重郎の名作、「日本の橋」の終りのところに出てくる文である。
天正18年、小田原の戦に豊臣秀吉に従って出陣、
戦死した堀尾金助という若武者の33回忌の供養のために
母親が橋を架けたことを印した銘文が紹介されている。
 
この文は、名古屋市熱田の町を流れている精進川に架けられた
裁断橋の青銅擬宝珠に印されていて、
本邦金石文の中でも名文の第一であると保田興重郎は書いている。
日本の優れた橋の文学の唯一のものであるとも。

続きを読む "「日本の橋」" »


123から吉野川YEARへ

CA3B0495.jpg
 
 
 
10年目の1月23日は2度と来ない。
記念イベントを明日に控えてさまざまの感慨が経巡っていく。

続きを読む "123から吉野川YEARへ" »


私の上に降る雪は

cap009.jpg
 
 
  これが私の故里だ
  さやかに風も吹いている
  心置なく泣かれよと
  年増婦(としま)の低い声もする
 
  あゝおまへはなにをして来たのだと・・・
  吹き来る風が私に云ふ

続きを読む "私の上に降る雪は" »


東雲の空に

はつひので.jpg
 
 
 
大晦日日本列島は大雪と暴風に見舞われた。
嵐の中に2010年の新年は明けた。
明けた東雲の空を茜色に染めて太陽が上った。
 
「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている。」
司馬遼太郎「坂の上の雲」の冒頭の言葉が浮かんだ。
新年となり、日本という国は
開化期ならぬ改革期を迎えているのではないか、と思う。

続きを読む "東雲の空に" »


おせち

IMG_3453.jpg
 
 
「○○出版社ですが・・・」
 
あっ、また本の営業の電話だなと思い、
もう本を置くスペースなど、これっぽっちも無いので
けっこうですと言いかけた。
 
すると、
「実はお願いがあるんです。
NPO法人里山の風景をつくる会のホームページに出ている
『おせち』の写真を使わせてくれないでしょうか」と言う。

続きを読む "おせち" »


時は巡りて

 

 
 
「10年目の123」というイベントが開かれようとしている。
 
2000年1月23日、
それは吉野川第十堰を残しておきたい!という
強い思いを実現するために、住民投票が行なわれた日だった。
 
結果90%の市民が「残しておきたい意思」を高らかに示した。
あの日が未だ脳裏に鮮明な人にも、かすかに記憶している人にも、
聞き及んだことのない若い人にも、同じく時が流れて2010年1月23日が来る。

続きを読む "時は巡りて" »


“里山”の発見

column125 里山の発見.jpg
 
 
言葉が与えられることにより、それまで気に留めなかったものが輝き始める。
 
「里山」という言葉に、私はそんな不思議な力を感じる。
子どものころから見なれていた風景が、この言葉を得たことにより普遍性をもち、
魅力あるものとして輝き出したのである。

続きを読む "“里山”の発見" »


閑休小話 ことば

 
 
 「ことばは意味であり社会的事実である。」
 「生きたことばはその折々に人々の精神を反映する。」
 
近代言語学者のガーベレンツやソシュールはそう言ったそうな。
 
11月28日の本欄でも阿波弁が取り上げられていたが、
私も書かせていただく。
 
 
松山出身だった父親、国語の時間に生徒に「古事記」を教えようとして、
こじきと発音した途端にどっと笑い転げた腕白男児、
 「先生乞食って何ぞな? ここにはおらんぞなもし」。
坊ちゃん気取りでからかったとか。
 
家族相手に何度も何度も発音して練習していたが、
意味が通じなければ、やはり言葉学者としては失格だったかもしれない。

続きを読む "閑休小話 ことば" »


ほろりほろほろ

colum125 ほろりほろほろ.jpg
 
 
歌人の斎藤祥郎さんが亡くなられた。

  青年のこころつかめぬ日の多し 
  板書のチョーク音たてて折る
 
長らく教師として務められ、私も高校で国語を教えていただいた。
歌詠む人であることは、当時全く知らなかった。
バンカラな校風であったので、
いつも冷静で紳士然とした斎藤先生には
肌が合わなかったのではないかと思う。
 

続きを読む "ほろりほろほろ" »


時を動かす 八ッ場ダム

八ッ場大橋。吾妻渓谷の入り口、八ッ場ダム湖に水没する予定だった。.jpg
 
 
 
どこまでも続く梅の花が満開だった。
 
奈良県月ケ瀬村の梅林、はるか昔の記憶の底にその美しい風景が蘇る。
高山ダム建設のためにやがてダムに沈む村と聞き訪ねたのであった。
昭和35年、全国的にダム建設が上昇気流に乗り始めた頃のことである。
八ッ場ダム計画もそんな古い時代からの遺物なのだと改めて思う。

続きを読む "時を動かす 八ッ場ダム" »


「村の写真集」― ダムに沈む村

村の写真集.jpg
 
 
美しい自然の風景につつまれた山あいの村、花谷村。
その村にはダムの計画が進んでいて、
やがて水の下に沈むことになる村の全ての家族を写真に残すことで
花谷村の美しさを伝えようとする一徹な写真屋。
旧式のカメラをかついで山道を行き、
一戸一戸訪ねて歩く村の写真館の主人の姿を描いたのが、
映画「村の写真集」である。

続きを読む "「村の写真集」― ダムに沈む村" »


四国の森づくりフォーラム

 
 
「四国の森づくりフォーラムinとくしま」が近づいている。
今から5年前、”四国はひとつ 四国の森はひとつ”をスローガンに
「四国の森づくりネットワ-ク」が発足した。
疲弊する森の現状に、
NPO等市民団体・森林管理局・県が力を合わせて
打開の智恵を出し合おうと出発したものである。
シンポジウムは毎年各県を回り、今年は徳島が開催県、
さて努力の実りはいかに?

続きを読む "四国の森づくりフォーラム" »


崖の上のポニョ

colum123-原風景.jpg
                                    鞆の浦の風景
colum123-工事完成風景.jpg
                                工事完成後の予想図
 
 
宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」の構想を練ったのは、
広島県福山市の鞆(とも)の浦であった。
港を見渡せる小高い丘の上の古い民家に二ヶ月間滞在し、
一人で自炊しながら、海を眺めてスケッチしたり、
町や林を散策して過ごしたそうである。

続きを読む "崖の上のポニョ" »


私の本棚

 
秋だから読書について書かなくては。
父親が本には目のない人だったから借家の家がつぶれそうになるまで、
食べるものがないよと母が嘆くまで本が増えた。
地震対策も不十分だったけれど、幸いつぶされることもなく本の谷間に暮らしていた。
その背表紙を見ているだけでくつろいだ。

続きを読む "私の本棚" »


本をもって町に出よう

 
 
  「人は家の中にいるために家をつくる。そして、人は家から出るために、
   同じように家から出てきた人たちと会うために、都市をつくる」
                             (オルテガ・イ・ガゼット)
 
人と人との出会いの場としての都市の魅力が失われてきているように思う。
その魅力を取り戻すことが「都市の再生」とか「中心市街地活性化」なのであろう。
 
かつて寺山修司は「書を捨てよ、町に出よ」と言った。
未知のものに出会い、ぶつかり、たとえ傷つくことがあったとしても、
きっと本を読んでじっとしているよりも面白い人生になるんだよと
私は勝手に解釈していた。

続きを読む "本をもって町に出よう" »


続・市民の力こそ!

 
本屋の店頭では政治関連の本が売れに売れ
思わぬ政治本ブ-ムが起きているという。
政権交代による新しい政策への転換は、
市民自らをして何かをせずにはおれない気分にさせている。
さて何から行動を始めよう?

続きを読む "続・市民の力こそ!" »


グッドルーザー(良き敗者)

 
「勝ってもかぶっても緒をしめよ」と言ったのは、
元世界チャンピオンのボクサー藤猛である。
日系3世で日本語が不自由だったので“かぶと”が“かぶっても”になってしまった。
ユニークな日本語と愛嬌のある性格で多くのファンから親しまれた。

続きを読む "グッドルーザー(良き敗者)" »


市民の力こそ

 
暑い夏の熱い選挙から10日が経つ。
政権を変えたのは主権者である私たちだが、
正直選挙の直後には、今までと大して変わらないとも思っていた。
今まで自分が関わってきた市民活動では、
市民の力は不燃焼のまま終わり
「政策」として生かされる事はほとんどなかったからである。
 
 
ところがである。
日が経つにつれて、市民が真価を発揮して、
賢い市民が賢い政策を提言していけば
平成の維新は必ず実現できるはずと期待が膨らんでいる。
そのためには新しい政権にマニフェストを守れと攻め寄るのではなく、
共に実現していく決意と協力体制が必要だと思う。
 
 
地域が元気にならなければ国に元気は及ばない。
地域を元気にできる市民の力とは?
難しい定義はいらなくて、一言でいえば
「生活者としてこうしたい、こうすればできるよ、だからやろうよ」、
そして
「その仕組みや方法を編み出して実現に導こうよ」ということであると思う。
自分がかかわってきた市民活動から、
実現可能な提言をしていける時が来たことを実感している。

続きを読む "市民の力こそ" »


菊花の約(ちぎり)― 総選挙に思う

colum120.jpg
                  雨月物語 〔菊花の約〕(石田彰朗読CD) より
 
 
 
「青々たる春の柳、家園(みその)に種(うゆ)ることなかれ。」
 
上田秋成作『雨月物語』の中の「菊花の約」の出だしである。
軽薄な人とは交わってはいけない。
柳は茂りやすくても秋の風に耐えることはできない。
軽薄な人は親しみやすいが去るのも速やかだ。
柳はそれでも春が巡ってくれば葉を美しく染めるが、
軽薄な人は二度と訪ねて来ることはない・・・と続く。
 
儒学者の左門と軍学者宗右衛門の二人の友愛の物語。
旅先で病に苦しむ宗右衛門を一心の介抱で助けた左門、
二人は不思議に気心が合い、兄弟の約をかわす。
回復した宗右衛門は、
重陽の節句(旧暦の9月9日)には必ず帰ってくる、と言い残し旅を続ける。
 
やがて約束の日となり、菊の花を生けて待つ左門であるが待ち人は現れない。
夜になり戸を閉めようと外に出ると、
おぼろげな影の中に人が見えて、それが宗右衛門であった。
「実は自分はもうこの世のものではありません」驚き訳を聞く左門。
城主に幽閉され約束の日に帰れなくなってしまい、
魂ならば一日に千里をという古いいいつたえを思い出し、
自刃して約束を全うしたのだと語る宗右衛門。
 
左門は翌日、宗右衛門の死んだ出雲に向かい、無念の友の仇を討つのであった。
かくも友愛の情は深いものであろうか、
兄弟の信義の篤さを語り、「菊花の約」は結ばれている。
 

続きを読む "菊花の約(ちぎり)― 総選挙に思う" »


アンケ-ト結果を生かしたい!

 
 
「この国のかたち」が問われる衆議院議員選挙日が近い。
この本の著者司馬遼太郎は地下でどんな感慨にふけっているだろう。
歴史、文化、思想、哲学あらゆる分野にわたり
優れた日本人論を築き上げた司馬遼太郎、
彼にあやかり、揺るがぬ理想の「この国のかたち」を作りたい。

続きを読む "アンケ-ト結果を生かしたい!" »


ふるさとに還る

colum119.jpg
 
 
 
パリを流れるセーヌ川に80年ぶりにサケが戻ってきたという。
 
昔、セーヌ川にはサケが普通に泳いでいた。
パリは北緯49度で、北海道の稚内よりまだ北なので
サケが泳いでいても何の不思議もないのである。

続きを読む "ふるさとに還る" »


8月に書く

戦争は嫌だ。戦争をしてはいけない。
父が亡くなって15年、今母を送ろうとしている。
徳島の8月はぞめきの夏、待ちに待った阿波踊りが訪れるが、
黒い雨の降った灼熱地獄と、地獄の果てに迎えた終戦が8月であるがゆえに、
父と母のたどった人生も多くの人に通じるものとして、書いておきたいと思う。


続きを読む "8月に書く" »


廃市

column118.jpg
 
 
「・・・さながら水に浮いた灰色の棺(ひつぎ)である。」 (北原白秋『おもひで』)
 
それは7月の終わりから8月にかけての一夏の出来事であった。
卒業論文の執筆のためにある町で過ごすことになった
青年の手記の形で物語が進んでいく。

続きを読む "廃市" »


棚田と水源と虹の橋

                            吉野川の源流
IMGP6399.jpg
 
 
豊葦原瑞穂の国大和と言う。
3500年の稲作の歴史を持つ豊かに穀物の実る島とは、
古事記や日本書紀を持ち出すまでもなく、
天まで届くような棚田に立って自ずと実感した。
 
7月の風が吹き渡り、
今まさに稲穂をはらまんとする葉の重なりは
濃い緑のじゅうたん。
側溝を流れる水は澄んで冷たく
一面の棚田を潤している。
この水はどこで生まれる?

続きを読む "棚田と水源と虹の橋" »


腹時計のセンス

colum117 腹時計のセンス.jpg 
 
 
昔から腹時計にはいささか自信がある。
15分ぐらいの誤差で、時間が分かるのだ。
絶対音感というのがあるそうだが、私の場合は“絶対時感”。
体内時計の感度がいいのであろう。
 
朝起きるのも、明日は何時に起床すると心に念じておけばその時間に目が覚める。
旅行などでどうしても朝早く起きなければならない場合、
家中を探して目覚まし時計をセットすることがある。
しかし、たいていというか必ず15分前には目が覚めて静かにセットを外すのである。

続きを読む "腹時計のセンス" »


ふたたび宝の山に

 
 光る地面に竹が生え、青竹が生え、・・・地上に鋭く竹が生え、
 まっしぐらに竹が生え・・・竹、竹、竹が生え、
と歌ったのは萩原朔太郎だった。

続きを読む "ふたたび宝の山に" »


里山の風景をつくる

⑫IMG_5543.jpg
                             Photo by HIROMU SORA
 
 
空(くう)を切り裂くようにホトトギスひと声、雑木の林を渡って行った。
 
ここしらさぎ台は、雑木林に隣接している宅地が多い。
芽吹きの春、緑滴る夏、紅葉する秋、冬木立。鳥が鳴き、四季が移ろう。
天突くばかりに育った広葉樹の林は、昔の里山を彷彿とさせるが・・・。

続きを読む "里山の風景をつくる" »


六月

colum116 茨木のり子.jpg
 
 
 
梅雨空の間から強い夏の日差しが顔をのぞかせる。
三年前に亡くなった茨木のり子さんに『六月』という詩がある。
 
  “どこかに美しい村はないか
   一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒(ビール)
   鍬(くわ)を立てかけ 籠を置き
   男も女も大きなジョッキをかたむける”
 
男と女がともに働き、そして汗をぬぐいながら農作業のあとのビールを楽しむ。
今どきの屋上ビアガーデンでは詩のような情感にはならないだろう。
やはり緑あふれる美しい村が似合っている。

続きを読む "六月" »


生まれてくれてありがとう

緑園の天使.jpg
 
 
 
エリザベス・テイラーが少女のころに主演した映画『緑園の天使』。
イギリスの小さな町に住む馬好きの少女ベルベット(テイラー)とその家族の物語だ。
イギリス第一の競馬大会、グランド・ナショナルに愛馬を出場させることを夢見る娘
ベルベットを母親は温かく見守る。
やがて大会がせまり、思いもかけぬことが待ちうけていて・・・。
 
母親を演じたアン・リヴェールがオスカーの助演女優賞を受賞した
1945年のこの米映画は、家族の成長を見事に描いていて、
日本でもファンの多い作品ではないだろうか。
 
しっかり者で夫を上手にコントロールしながら、
子どもの個性を花ひらかせる母親の姿は、国や時代を超えて私たちの胸を打つ。

続きを読む "生まれてくれてありがとう" »


生物多様性って何?

 
 
思いがけず「ぞめき」の宴に参加できることになった。
 
徳島に住んで45年になろうとしている。
信州育ちには海かと見紛うばかり広大な吉野川。
川面に落ちる夕陽に感動した。
「悠揚流れ往く吉野川に静かに釣り糸を垂れることもできます!」
と結婚通知に書いた。
水に跳ねた銀色の魚の鮮やかさ、吉野川が故郷になった瞬間。
 
徳島で生き生かしてもらいつつ、常に自立した市民でありたいと
身近に起きる環境の問題には真っ直ぐに一途に向き合ってきた。
思いを言の葉に乗せてお伝えできれば幸いである。
 
WWF.jpg
                                      Image by WWF Japan

続きを読む "生物多様性って何?" »


ぞめき

colum114 ぞめき.jpg
 
 
 
コラム「ぞめき」を書き始めて5年になる。
2004年6月1日にスタートしたので、明日が日曜で夕刊がお休みということもあり、
今日5月30日が丸5年の最後にお届けするコラムとなる。
 
「ぞめき」は13人の筆者が順番に書いている。
つまり、各筆者が月2回のペースで執筆しているので、
年24回として5年間に120編のコラムを書いてきたことになる。
 

続きを読む "ぞめき" »


つみきのいえ

つみきのいえ.jpg
 
 
 
水面がだんだん高くなって、ある朝目覚めるとベッドの足が水に浸かっていた。
老人はその家の屋根の上にレンガを積んでもうひとつ家をつくろうとする。
ちょうどつみきを積み重ねるように・・・。
 
 
アニメーション作家、加藤久仁生さんの『つみきのいえ』は、
地球温暖化を招いた人間の愚かさへのいましめのようでもある。
しかしそんな環境の中でも生き続けようする人への温かいまなざしが感じられ、
とても印象的な作品である。
アカデミー賞短編アニメ賞やフランスの国際アニメーション映画祭の最高賞など
数多くの受賞に輝いたのもうなずける。
 
人は思い出の上に生きている。
思い出をひとつひとつ積み重ねていくのが人生であり、
その思い出といっしょに住むことができるのがほんとうの家ではないだろうか。
そんなメッセージを私は『つみきのいえ』から受け取ったのであった。
 

続きを読む "つみきのいえ" »


幻のピアノ

steingraeber.jpg
 
 
 
フィレンツェのクリストフォリがピアノの原型を生み出してもうすぐ300年。
ピアノはなくてはならない楽器となり、人の心をとらえて離さない。
 
現在、世界の音楽ホールで開かれるコンサートで、
使用されるピアノの90%がスタインウェイだという。
1000人を超えるような大ホールでは、
きらびやかな音でよく響くスタインウェイが好まれているのだろう。

続きを読む "幻のピアノ" »


満開の桜の下で

DSC_0047.jpg
 
 
 
四月は出発の季節である。入学式、そして入社式。
満開の桜の下、新しいスタートの場についた人も多いのではないだろうか。
 
運よく希望どうりの場所に立つことのできた人、
又志とは異なるがまずまずのスタートを切った人。
逆に志に殉じて雌伏を決めた人。
様々な決心が桜の花といっしょに舞い乱れる。

続きを読む "満開の桜の下で" »


野球の神様

mlb0903241740040-p3.jpg
 
 
 
40年前のことである。
三沢高校のエース、太田幸司投手の夏の甲子園大会決勝、
18回引き分け再試合という手に汗にぎる熱戦を見た。
受験勉強に明け暮れていたそのころの私には、
同い年の太田幸司投手の活躍がとてもまぶしかったのであった。
 
大学に入った私は、
身体検査のときにアメリカンフットボール部への入部を強くすすめられた。
高校での経験者がほとんどいないアメフトならレギュラーに必ずなれるし、
国立大学でもこの競技なら日本一にもなれると。
 
しかし、私は硬式野球部に入ることに決めた。
アメフト部への入部をすすめてくれた先輩のみけんに、
大きな三ヶ月形のキズがあったこともその理由ではあったが、
何より太田幸司投手のさわやかな笑顔が忘れられなかったからである。
 
太田幸司投手のようにグランドで美しい汗をかくんだ。
しかし私のその淡い期待はもろくもはずれた。

続きを読む "野球の神様" »


失ってはならない ― 東京中央郵便局

東京中央郵便局 改修イメージ図.jpg
                      東京中央郵便局 (改修イメージ図)
 
 
東京中央郵便局の建て替え、再開発計画が問題となっている。
 
2月26日の衆議院総務委員会で、
民主党の河村たかし議員の「中央郵便局は奥山の巨木」のように貴重な建築である、
という発言に対して、鳩山邦夫総務大臣が次のように答えている。
中央郵便局を壊すのは「トキを焼き鳥にして喰ってしまうようなこと」であると。
 
 
又、3月2日取り壊し工事の現場を視察した鳩山大臣は、
「利益追求主義で文化を壊していいのか。国の恥で国辱ものだ」とも述べている。
 
鳩山邦夫大臣が文化について語るのは、私としてはとても違和感があるのであるが、
今回の一連の発言にはうなづくことが多い。
けっして上品なもの言いではないけれど。

続きを読む "失ってはならない ― 東京中央郵便局" »


エコかっこいい

DSC_0032.jpg
 
 
「エコタウン徳島をめざして」のワークショップも佳境に入ってきた。
 
これまで『食べる』『住まう』とやってきて、3回目の『動く』がこの22日に開かれた。
 
今回は、香川県で公共交通を育てる活動をしている
「ぐるっと高松」の宮本美枝子さんに基調報告をしてもらった。
宮本さんは市民の足である琴電が廃止になることを聞き、
市民、行政に呼びかけ、公共交通の大切さを再認識してもらった。
市民の熱心な取り組みが実を結び、電車の存続再生が決まったのであった。
 
ひとりではできないことでも、気づいたことを人に話し、仲間を増やす。
そして市民・行政に広げて夢を実現する。
その一歩一歩が実に楽しそうで、お話を聞いていても納得、納得の連続であった。

続きを読む "エコかっこいい" »


モーターサイクル・ダイアリーズ

モーターサイクル・ダイアリーズ DVD.jpg
 
 
「川が見えるだろ。この川は患者たちを閉じこめているんだ。」
 
パーティを抜け出したエルネストは川に飛びこんだ。
めざす向こう岸にはハンセン病者たちの村があった・・・。

続きを読む "モーターサイクル・ダイアリーズ" »


1月23日のワークショップ

住民投票ポスター.jpg
 
 
ワークショップは、参加した人たちの思いが重なりあい、
るつぼの中で解けたあとに結晶のようなものができ上がる。
参加した者全員がそのことを実感できるのが、
何にも替えがたいワークショップの魅力だと思う。
 
9年前の今日、2000年1月23日、
吉野川第十堰の可動堰化の是非を問う住民投票が徳島市で行われた。
それは、投票率が50%を超えなければ、
開票せず焼却処分にしてしまうという条項が付いたものであった。
 
住民の意思を問うべきであると主張した市民たちは、
どうすれば50%以上の人が投票に行くか、ということをテーマに
ワークショップを開いた。いろいろなアイデアが出され、そして全てが実行に移された。

続きを読む "1月23日のワークショップ" »


橋のない川

橋のない川.jpg
            住井すゑ 『橋のない川』 新潮社
 
 
昭和時代が終わったのは、ちょうど20年前の今日である。
1989年1月7日、昭和天皇が亡くなった。在位64年、87歳と長寿であった。
 
その天皇よりも長生きするのだ、と作中の人物に言わせた作家の住井すゑさんは、
それより8年後の1997年に亡くなった。95歳であった。
 
代表作『橋のない川』で住井すゑさんは、いわれのない差別に苦しみながらも、
それを乗りこえていこうとする小森部落の人たちを描いた。

続きを読む "橋のない川" »


加藤周一さんの置土産

colum104.jpg
 
「手練の槍は夢中というものでない。
これはいくらでも殺せるということがわかったとき、殺すことの空しさもわかった。
いや、そう考えるまえに、腕がおのずから動いて刺し殺す、
その腕の動きに覚える無上の快がおそろしくなったのだ。
                                (加藤周一『詩仙堂志』)

続きを読む "加藤周一さんの置土産" »


エコタウン徳島 ― 『食べる』

 
 
 
『古事記』にイザナギ、イザナミが国産みをする場面がある。
始めに生まれるのがオノコロ島(淡路島)で、次に四国が生まれる。
 
 
四国は「身一つにして面(顔)四つあり」の姿で、
それぞれに男女の名がつけられた。
 
讃岐は男性で飯依比古(いいよりひこ)、
阿波は女性で大宜都比売(おほげつひめ)と呼ばれた。
大宜(おほげ)は大食(おほけ)で食べものが豊かな国という意味である。
土佐は建依別(たけよりわけ) ― 雄々しい男という名であり、
伊予は愛比売(えひめ)で、いい女という意味で、現在の県名になっている。
 
何となく四国四県の性格があらわれているようで、
神話とはいえなるほどと思うのである。
 
 
大宜都比売は五穀の神様であり、現在も神山の一ノ宮大粟神社に祭られている。
讃岐の飯依比古は、その食べもの(五穀)にたよるのであり、
讃岐男に阿波女の神話版といえようか。
 
おそらく、阿波の国は温暖で雨も多く、
古代より食物の生育に恵まれた土地であったのだろう。
 

続きを読む "エコタウン徳島 ― 『食べる』" »


坂本龍馬の日

       坂本龍馬.jpg
 
 
 
オバマさんがアメリカの次期大統領に選ばれた。
女性大統領はともかく、
初の黒人大統領がこんなに早く生まれることになるとは予想しなかった。
ブッシュ現大統領が最大の功労者と考えられなくもないが、
アメリカのいきづまりが、時代のスピードを少し早めたといえるだろうか。

続きを読む "坂本龍馬の日" »


T君の死

 
 
GOOD BY MY FRIEND.jpg
 
 
徳島県の都市計画課長を務めていたT君が自死した。
新町西地区再開発をめぐる県市の対立の板挟みになり、
悩んでいたのではと報道されている。
 
 
T君とは、高校の同級生であった。
成績優秀で知られたT君は、東大に現役合格し、
やがて工学部の建築学科へと進んだ。
東大卒業後は、民間の会社勤務のあと徳島県庁に入り、
主に住宅行政と都市計画の分野で仕事をしていた。
 
T君と同じころ徳島に帰ってきた私は、
県庁で会ったときなどに立ち話をするぐらいで、
それほど親しいわけではなかった。
ただ同い年であり、共に建築学科で学んだこともあり、
T君の仕事ぶりを見ながら、自分も同じ可能性を生きていたと言えるだろうか。
 
つまり、私自身は建築事務所を主宰し、民間人としてやってきたが、
もし立場が違っていたらT君と同様の歩みをしていたのではと思うのである。
そういう意味で、今回のT君の自死は、全くの人ごととは思えないのである。
 

続きを読む "T君の死" »


こんなにたくさん男前がいるのに

白磁壷.jpg
                                  白磁の壷
志賀直哉 旧蔵品 (朝鮮時代・17世紀 大阪市立東洋陶磁美術館)
 
 
 
秋の風にさそわれて京都を訪れた。
 
お目当ては、京都国立近代美術館で開かれている
「アーツ&クラフツ展-ウィリアム・モリスから民芸まで」である。
中でも志賀直哉が身近に置いていた李朝の白磁の壺がぜひ見たかったのだ。
 
 
李朝の陶磁器は、柳宗悦らの民芸運動のルーツであった。
 
会場には、「用の美」の実験の舞台であった三国荘の室内が再現されていて、
柳らといっしょに活動した濱田庄司や河井寛次郎、黒田辰秋らの作品が、
朝鮮の民具などとともに並べられている。
いささか暑苦しい感がしないでもなかったが、
少し離れた所に置かれている白磁の壺の清涼さがひときわ印象的であった。

続きを読む "こんなにたくさん男前がいるのに" »


目神山の家

目神山の家.jpg
 
 
あぜ道に咲く曼珠沙華が秋の訪れを告げている。
 
早いもので、このコラムも書き始めて4年になる。
時折、旧知の方から「ぞめき」読みましたよ、と手紙をいただいたりする。
とてもうれしいものである。
 
より多くの方の目に触れるようにと、主宰している建築アトリエ、
そして仲間と共に立ち上げたNPO里山の風景をつくる会のホームページにも
転載させてもらっている。
 
さて、そのホームページの「ぞめき」を読んだ西宮市の
甲陽園に住むMさんからメールが届いた。
  「突然のメールで失礼します、
   今年4月22日の『回帰草庵』を読み、感激しました云々」
とつづられている。
 
 
Mさんは、昨年亡くなられた建築家石井修さんの自邸である
『回帰草庵』(目神山の家1)を見学する機会があり、
その素晴らしさに心を打たれたという。

そして半年後に、石井さんの一連の住宅のうち、
「目神山の家7」が新しい持主を探していることを知り、
即断で購入を決めたのだそうだ。
 
そのメールには、
回帰草庵の隣に立つ「目神山の家2」の見学会が近々開かれること、
そして自身の「目神山の家7」も修復中であるが、よければ内部を見てもらってもいい
と書き添えてあった。私は迷わず、ぜひお願いしたいですと返信したのであった。

続きを読む "目神山の家" »


新しい社会のつくりかた

戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方.jpg
                       田中優  2005.07 合同出版
    『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』
 
 
また9.11が巡ってくる。
 
WTCビルが炎上する光景を現場で見たミュージシャンの坂本龍一さんは、
その年のうちに世界中の人たちのメッセージを集めて本をつくった。
 
『非戦』と名付けられたその本には、
アメリカ議会でブッシュ大統領の武力行使にただ一人反対した
バーバラ・リー議員の演説や
マーティン・ルーサー・キング牧師の「暴力の究極の弱点は
破壊しようとする当のものを生み出してしまう悪循環でしかないことだ」
という文章などが載せられている。
 
日本人では、アフガニスタンへの米軍による空爆で
「邦人退去勧告」が出され、退去を余儀なくされた
ペシャワール会の中村哲さんの「私たちは帰ってきます」という文章、
そしてテロを廃絶するためには、
テロを生み出すその背景を見なければならないと主張する
田中優さんの「忘れてはいけない」などが載せられている。
 

続きを読む "新しい社会のつくりかた" »


ベランダ

ノルウェイの森(上).jpgノルウェイの森(下).jpg
 
 
花火って、こんなにきれいだったんだ。

私の家のベランダは東側にあるので、
津田の納涼花火大会の花火がよく見える。
 
東隣りの家が半年ほど前に解体され、
新しい家が建つでもなくそのままになっているので、
今年の花火は格別よく見えたのである。
 
いつもは物干し場としてつかっているベランダも、
洗濯物を片付けると立派な夕涼みの場所になる。
 
夜風を浴び、暑かった今年の夏のいろんなできごとを思い出しながら、
夏の終わりの花火を楽しんだのであった。

続きを読む "ベランダ" »


幻想的な光のランドスケープ

LED @shinmachi 029.jpg
 
 
新町川水際公園のふれあい橋で、LEDのランドスケープ照明が始まりました。
 
点灯式のあった8月4日の夜、
橋の舗石ブロックに埋め込まれた2000個のLEDが光り出すと、
つめかけた市民たちは、その幻想的なあかりに魅了されたのでしょう、
静かにどよめいたのでした。
 
 
子供たちは初めて見る光景に驚き、
波のように明滅しながら動いていく光のあとを追いかけていきます。
娘さんたちは、宝石がちりばめられたような
ふれあい橋と水際公園の光をまるく囲んで、
不思議な透明感のあるそのあかりに見入っています。
 
集まったどの人たちも胸の高なりを覚えて、心なしか上気しているようです。
それは熱帯夜のせいではありません。
 
何かこれまでとは異なることが徳島のこの場所で始まった、
その瞬間に立ち会えることの喜びと興奮によるのではなかったでしょうか。

続きを読む "幻想的な光のランドスケープ" »


望郷のバラーデ

colum95.jpg
             高樹のぶ子 『百年の預言』  2000年 朝日新聞社 
 
 
 
「百メートルをマラソンのようにしか走れない男と、
 マラソンを百メートル競争のように全力疾走し、
 たちまち心肺が悲鳴をあげてしまう女」の恋愛。

髙樹のぶ子さんの小説『百年の預言』は、1980年代チャウシェスク政権の末期、
つまりルーマニア革命直前の東欧を舞台にくりひろげられる。
 
外交官・真賀木奏と美貌のヴァイオリニスト・走馬充子の恋の物語であり、
音楽小説ともスパイ小説とも呼べるだろうか。
 
 

続きを読む "望郷のバラーデ" »


追伸 原秀樹徳島市長様

NEC_2620.JPG
 
 
四国地方は梅雨が明けたようで、連日30度を越える暑さが続いています。
 
 
この7月3日に、市役所主催の新町西地区再開発の説明会が行われました。

夜7時から9時までの予定が、11時を過ぎるころまでかかり、
それも休憩なしだったので、ほんとうにくたくたになりました。
おそらく、質問に答え続けた市の担当者の疲労は
極限に達していたのではないでしょうか。

続きを読む "追伸 原秀樹徳島市長様" »


火花

北條民雄全集.jpg
 
 
「もし誰か、この地上で地獄を見たいと欲する者があるならば、
夜の一時か二時頃の重病室を見られるようすすめる。
鬼と生命との格闘に散る火花が視覚をかすめるかもしれない」
 
                       (北條民雄『癩院記録』)
 
 
オリンピックが間近にせまった中国からの報道に私は目を奪われた。

北京五輪の組織委員会は、外国人への法律指南書を出し、
どんな外国人は入国できないかの注意書きに、
テロリストとともに麻瘋病(ハンセン病)の患者を挙げているのだ。
 
「One World One Dream」、北京五輪のキャッチフレーズが心に空しく響く。

続きを読む "火花" »


拝啓 原秀樹徳島市長 様

colum92-0.jpg
 
 
梅雨入りしたとはいえ、雨あがりに浮かびあがる眉山の姿は
緑の濃淡がじつに美しく、さわやかに輝いています。
 
小さなころより眉山を見て育った私は、
どんなに遠くまで遊びに行っても、
眉山の姿さえ見られれば帰る方向が分かったものです。
 
 
たまに東京に出張しますが、
林立するビルの谷間から見えるのはまた別のビルばかり。
山の姿を望むことはできません。
 
都会での一日は、故郷よりうんと疲れます。
所在のなさ、といった不安定感がついてまわります。
徳島に帰り着き、吉野川を渡り、雲の下に横たわる眉山を見て、
やっと落ち着きを取りもどすのです。

続きを読む "拝啓 原秀樹徳島市長 様" »


カラマーゾフの兄弟

 
91 カラマーゾフの兄弟 亀山郁夫訳.jpg
 
 
これまで読んだ本でいちばん面白かったのは、と問われたら、
迷わずドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を挙げる。
 
学生時代に、三日三晩、食べることも寝ることもほとんど忘れて
「カラマーゾフの兄弟」を読みふけったことがある。
 
後にも先にもこんな経験は初めてであった。
 
 
その時読んだのは、米川正夫訳の河出書房版「ドストエーフスキィ全集」である。
時々県立図書館で探すのだが見つからない。
ロシア文学のコーナー自体も小さくなって、
昔程読まれなくなったのか、と寂しい思いをしていた。
 
ところが、最近「カラマーゾフの兄弟」が、時ならぬブームになっているという。
亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫全5巻が昨年完結し、
総計40万部近い売り上げで、古典として異例のベストセラーというのだ。

続きを読む "カラマーゾフの兄弟" »


北斎の風景

hokushai.jpg
                                  『富嶽三十六景』
 
 
絵師、葛飾北斎は立ち止まらぬ人であった。
生涯に三万点とも十万点ともいわれる作品を発表しつづけた。
また、作風を変えるにあたって名前を改号すること30回、
家の引越しは何と93回に及び、一日に3回引っ越したこともあるという。
 
 
美人画や風景画などの浮世絵はもとより、
黄表紙、洒落本の挿絵や絵本、天井画など多くのジャンルに腕を振るっている。
 
その中でも代表作は、民衆の表情をユーモラスに描きとめた『北斎漫画』、
そして富士山の姿を様々な構図で描いた『冨獄三十六景』であろう。
 
 
このゴールデンウィークに中央自動車道を走っていて見た富士山は見事であった。
快晴の日の夕暮れどき、
裏富士と呼ばれる甲府側からの富士山は、夕陽をあびて輝いていた。
八合目から上には雪が残り、下に連なる山々は新緑に染まっている。
何度もこの道を通っているが、こんなに美しい富士山は初めてであった。
 
現代と異なり、自動車や飛行機のなかった江戸時代に、
富士山をあらゆる角度から描いた北斎のエネルギーと情熱に
思いをはせたのであった。
 
 
北斎の風景画の特徴は、
そのほとんどに当時の庶民の生活がていねいに描かれていることである。
 
例えば、『冨獄三十六景』のうちの「甲州石班澤」では漁をする父子、
「尾州不二見原」では桶造りの職人、
そして「遠江山中」では大木をのこぎりで切る
木挽(こびき)職人の姿が描かれている。
 
今は失われてしまった江戸時代の風景と生活がそこには描き印されているのである。
 
 
北斎の若きライバル広重が、
代表作『東海道五十三次』で風景の添景として人を描いていて、
そのほとんどが向こうを向いているかうつむき加減であるのと対照的である。
 
北斎の絵では富士と人が対等であった。
人の生活があり、その背景として富士山があった。
 
そして、そのふたつをダイナミックに結びつける、
北斎の絵師としての天才的な構成力があった。
それらのどれを欠いても、北斎の風景画とはならなかったであろう。
 
159年前の今日、5月10日に北斎は亡くなった。90歳であった。
 
「もう10年、いや5年でもいい、生きられたら本当の絵を描くことができるのに・・・」
画狂老人、北斎は最後まで前を見つづけていた。
 
 
 
建築家 野口政司   2008年 5月10日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


回帰草庵

89 OsamuIshiyama 1.jpg
 
 
年に一度訪ねることにしている場所がある。
 
六甲山の東すそ野の丘陵地に、目神山と呼ばれる所がある。
そこには建築家・石井修氏の自邸である『回帰草庵』が建っている。
 
そして向こう三軒両隣りという風に、
石井さんの設計した住宅が十棟ほど連なっていて、
その道は石井通りとも呼ばれている。
 
自然に囲まれた坂の道を歩きながら
石井さんの住宅を見て回るのを私は密かな楽しみにしているのである。

続きを読む "回帰草庵" »


美しい町Ⅱ

colum88.jpg
                佐藤春夫 『蝗の大旅行』


熊野三山の一つ、新宮の熊野速玉大社の一画に、ハイカラな住宅が建っている。
これは新宮出身の作家、佐藤春夫の東京の旧宅を移築したもので、
現在は佐藤春夫記念館になっている。

春夫の建築好きは、八角形の書斎をもつそのモダンな建物からもうかがえる。

そこには佐藤春夫の作品や愛用品などが展示されていて、
中でもひときわきれいな装丁で目を引かれるのは
『蝗(いなご)の大旅行』という童話集である。

巨大ないなごが地球の上を散歩しているユニークな絵が特徴のその本は、
1926年(大正15年)の発行である。

続きを読む "美しい町Ⅱ" »


物語のはじまり Ⅱ

洛中洛外図(上杉家本) 狩野永徳筆.jpg
 
87 洛中洛外図(上杉家本) 狩野永徳筆 部分.jpg
                  上 : 洛中洛外図(上杉家本) 狩野永徳筆
                  下 : 上記部分
 
 
京都ではこれまで、数々の景観論争がおこなわれてきた。
 
古くは、京都タワーの美観論争。それから、京都ホテルの高層建築論争。
さらに、鴨川に架けるポンデザール橋のデザイン論争。
最近では、巨大な京都駅建設のスケール論争などである。
そのたびごとに、住民による反対運動がおこっている。
 
さすがに、パリのセーヌ川に架かるポンデザール橋を、
そのまま京都にもってこようとする乱暴な計画は中止となった。
しかし、それ以外は商業資本に屈し、
京都にふさわしからぬ建築が建てられたのであった。

続きを読む "物語のはじまり Ⅱ" »


物語のはじまり

コラム86.jpg
 
 
京都で今、壮大な実験が行われようとしている。
 
昨年9月1日から実施されている「時を超え光り輝く京都の景観づくり」がそれである。
50年後、100年後の京都の将来を見据え、「京都が京都であり続けるために」
どうすればよいかを考えた新景観政策である。

続きを読む "物語のはじまり" »


50年前の暮らし

85-1 50年前の暮らし.jpg
                         映画 『名もなく貧しく美しく』 より
 

一枚のモノクロ写真がスクリーンに映し出された。
 
  「この写真に全ての解決策が示されています。」
 
それは、ちゃぶ台のまわりに座ってだんらんしている
懐かしい日本の家族の写真であった。
 
  「50年前の生活を思い出して下さい。そこから学ぶことはたくさんあります。」

続きを読む "50年前の暮らし" »


古書肆 後藤書店

書ニ耽ケルハ2.jpg
 
 
神戸、三宮センター街入口にある古書肆、後藤書店が、この1月14日に店を閉じた。
後藤書店は、100年近く続いた古書店の老舗である。
 
その閉店間近の後藤書店に、お正月休みを利用して訪れた。
文学全集や美術、哲学、宗教書などが山積みにされている。
新本をあつかう書店では、これだけの品ぞろえは難しいだろう。
 
前々から探していた宮沢賢治全集と埴谷雄高全集、
そしていく冊かの建築書を求めた。

続きを読む "古書肆 後藤書店" »


不都合な真実 Ⅱ

地球400×400.jpg
                            アポロ17号から見た地球
 
 
昨年10月、このコラムで映画『不都合な真実』の上映会をしようと呼びかけた。
 
多くの方より賛同の声が寄せられ、今月25日に県郷土文化会館の大ホールで、
市民による自主上映会が開かれることになった。
NPO法人や生活協同組合など、28団体による自主上映組織
「地球温暖化を考える―市民アクション2008―徳島」
が結成されることになったのだ。
 
映画の上映だけでなく、それをきっかけとして、自分たちの生活を見直し、
さらに行政や企業のあり方にまで市民から提案をし、
実践を促していくところまで広げていこうと、
その志は大きい。

様々な団体が結集した。
環境をテーマに活動しているところはもちろん、森の保全活動や国際協力、
消費者運動のNPOなども名を連ねている。
又、子どものための活動をしているグループや平和団体、
有機農業グループまでもが参加している。
 

続きを読む "不都合な真実 Ⅱ" »


逝きし世の面影

逝きし世の面影.jpg


一つの文明が滅んだ。

その文明のことをバシル・チェンバレンは次のように書いた。
「古い日本は妖精の棲む小さくてかわいい不思議の国であった。」
(『日本事物誌』)。
 
また、英国の詩人エドウィン・アーノルドは、次のように語っている。
「(日本は)地上で天国、あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。
 …その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、
 その神のようにやさしい性質はさらに美しく…」
 (来日時の東京クラブでの講演)。
 
渡辺京二氏の大著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)は、
幕末から明治にかけて日本を訪れた二百人近くの異邦人たちの目を通して、
かつての日本の姿を描き出す。
 
そして、世界史でもまれな一回かぎりの有機的な個性としての
“江戸文明”が失われ、その滅亡の上に日本の近代がうち立てられたという。
 
西洋文明を追いかけるあまりに忘れてしまった、
いやあえて否定した過去の日本に、
奇跡のような社会が実在していたのではと考えさせられる本である。

続きを読む "逝きし世の面影" »


古い手紙

81 東京中央郵便局.jpg
              東京中央郵便局 『新建築 1995 現代建築の軌跡』
 
 
家の片付けをしていたら、古い手紙が出てきた。
 
古いといっても、十年程前のものであるが、
日々のあわただしさにすっかり忘れていたのだ。
 
 
それは高校の同級生で、
東京で建築の設計をしているAさんからの手紙であった。
 
自分の建築観とは異なる考え方のつづられたその手紙になじめず、
返事もそこそこに机の中に仕舞い込んでいたものだ。
 
改めて読み返してみて、Aさんのていねいな語りかけ、
想いの深さを充分につかめていなかったことに気付き、私は恥じ入った。
 
この手紙は、もしかしたら十年後の私に向けて書かれたのではないか、
と思われるぐらい今の私の胸に響くのであった。

続きを読む "古い手紙" »


カットに負けないで!

SCISSORHANDS2.jpg
『EDWARD SCISSORHANDS』


 「雪はなぜ降るの?」
 「それはね、遠い遠い昔のお話なんだよ」
 
私の好きなジョニー・デップが出演する『シザーハンズ』は、
雪の夜、眠りつけない少女が、おばあさんからどうして雪が降るようになったかを
聞かせてもらうお話だ。
 
発明家の老人が死んだため、
手がハサミのまま残された人造人間、エドワード(ジョニー・デップ)は、
親切な夫婦の家に住まわせてもらう。
 
天使のような心を持つエドワードだが、
ハサミで何でもカットするので、次々トラブルを起こしてしまう。
心配したパパが、世の中の決まりを教えようとする。
 
 「もし道にお金が落ちていたらどうする?」。

じっと考え込んでいたエドワードは、こう答える。

 「愛する人のために贈りものを買ってプレゼントする。」

続きを読む "カットに負けないで!" »


美しい椅子

The chair.jpg
The chair
 
 
“椅子の詩人”と呼ばれ、生涯に500脚以上の椅子をデザインした、
デンマークの家具デザイナー、ハンス・ウェグナーが今年の1月26日に亡くなった。
92歳という長寿であった。
 
“世界で最も美しい椅子”といわれ、
故ケネディ大統領が愛用したことでも知られる「ザ・チェア」は素敵な椅子だ。
北欧の長い冬、この椅子に座って木肌のやわらかさ、温かさを感じるだけでも
時間が気持ちよく過ぎていくであろう。

続きを読む "美しい椅子" »


不都合な真実

不都合な真実.jpg
『不都合な真実』


「しばしば人生は、われわれを素足で、裸で、
失われた機会に呆然と立ち尽くさせたまま置き去りにしていく・・・」
 
ノーベル平和賞を与えられることになったアル・ゴア氏が
『不都合な真実』の中で述べている言葉だ。
地球温暖化の危機に対して、世界レベルでの取り組みの必要性を説き、
「一日延ばしは時の盗人」であると。

続きを読む "不都合な真実" »


オフサイドの美学

77 オフサイドの美学.jpg
早瀬圭一 『平尾誠二、変幻自在に』 毎日新聞社より
 
 
ラグビーのワールドカップがフランスで開かれている。
まだまだ世界の壁は厚く、日本は決勝トーナメントに進むことができなかった。
 
 
ラグビーは、サッカーと同じくイギリスが発祥の地である。
スポーツのルールやスタイルには、民族・文化の特徴がはっきりと出てくる。
そのきわめつけが「オフサイド」というルールであると思う。
 
 「オフサイド」は、ボールより前にいるプレイヤーはボールを受取ることができない
というルールである。このルールが厳密に守られているのがラグビーだ。
 
 
サッカーの場合は、ゴールキーパー以外の相手チームプレイヤーよりも
ゴールラインの近くにいるプレイヤーにボールが渡ろうとした時にオフサイドになる。
 
これに対して、アメリカで発達したアメラグとバスケットは
オフサイドの考え方がほとんど無い。
 
アメラグでは敵の裏をかいて前方に走り込んだレシーバーにクォーターバックが
ボールを投げ渡して陣地をかせぎ、得点する。
 
又、バスケットにはオフサイドのルールは無い。ゴール下に待っているプレイヤーに
ロングパスが渡りダンクシュートを決めてもかまわないのだ。
 
 
イギリス型は「汚い待ち伏せ」を軽蔑するスポーツとしてルールが練り込まれ、
アメリカ型は、待ち伏せしようが、どうしようが、
ボールをいかに華麗にゴールにぶち込むか、その快感がゲームの原動力になっている。

続きを読む "オフサイドの美学" »


美しい国へⅢ

76 美しい国へⅢ.jpg
『週刊朝日』 9月28日号より


 
安倍晋三首相が辞任を表明した。
 
あまりに唐突なその行動を、新聞、テレビなど
いろいろなメディアが大きく取り上げている。
 
ほとんどが否定的で、無責任な辞任劇と厳しく批判している。
 
 
少し違った視点で考えてみたい。
 
 
安倍首相の今回の行動は、若者たちにあるメッセージとして伝わる。
つまり、しんどかったら仕事を辞めてもいいんだよ、そんなに無理をしなくていいんだよ
というメッセージである。

続きを読む "美しい国へⅢ" »


善き人のためのソナタ

75 善き人のためのソナタ.jpg



ジョージ・オーウェルの『1984年』は、オルダス・ハクスリーの
『すばらしき新世界』と並んで、逆ユートピア小説の代表作だ。

『1984年』の中で、オーウェルは全体主義国家による
市民生活の統制・管理の恐怖を近未来小説として描いた。
ところがその小説と同じことが現実にこの世界に起こっていたのだ。

続きを読む "善き人のためのソナタ" »


大山崎山荘美術館

大山崎山荘美術館.jpg
大山崎山荘美術館 パンフレットより 
 
 
 
なんという素晴らしい眺めだろう。山と川の奥行き感のある風景が目の前に広がる。
 
 
谷崎潤一郎が「蘆刈」の中で、大きな川の中州で月を見ていて
謎の男に出会ったのはあのあたりだろうか。
 
京都の男山八幡、石清水八幡宮のところで、木津川、宇治川、鴨川、
桂川の四つの川が出会い、淀川となって流れ下りていく。
 
 
その壮大な景色を眺めながら、
私は昔読んだ大好きな小説のシーンを思い出していた。

続きを読む "大山崎山荘美術館" »


建築家の幸せ

デュドック設計の市庁舎.jpg
 
議場内部.jpg

 
 
「日本のデュドックになりたい」。
 
 
倉敷の大原美術館やアイビースクエア(旧倉敷紡績工場の再生)を設計した
建築家・浦辺鎮太郎の口ぐせであった。
 
 
倉敷の町を代表する建築を造り上げ、
古い伝統的な町並みの魅力を現代によみがえらせた浦辺鎮太郎が、
心の底からあこがれたデュドックとは、どのような人であったのだろう。

続きを読む "建築家の幸せ" »


地球家族の家

地球家族の家.jpg
                                   地球家族の家
  
今日は素敵な建主のことを話そう。
 

今月十四日に、シンポジウム『まちに森をつくるイン徳島大学―森・里・まちを結ぶ』を開いた。
このシンポジウムは、学生たち若者に森の大切さ、木の家の魅力を知ってもらい、
どうすれば美しい風景がつくれるのかを考えるのがテーマだった。


主催したのはコープ自然派徳島、NPO里山の風景をつくる会などだが、
シンポジウムの後には、太鼓奏者ヒダノ修一さんのスーパー太鼓コンサートが聴けるという、それこそスーパージョイント企画だ。


講演は、吉野川源流の森の木でつくった里山の家“地球家族の家”のオーナー・吉田修さんにお願いした。
演題は「熱血吉田道場―地球家族の家の実践」。

続きを読む "地球家族の家" »


新しい人へⅡ ― 長屋が生んだ建築家

colum71.jpg
住吉の長屋 『GA ARCHITECT8 TADAO ANDO』より



社会に出たばかりのあなたに、ひとりの建築家の話をしよう。
おそらく、その人は、この世に生きる全ての人に勇気を与えてくれるのではないだろうか。


大阪の下町の長屋で育ったA少年は、うでっぷしの強いガキ大将であった。

「ケンカでお金がもらえるのなら」と高校2年の時に近所のボクシングジムに入った。
四回戦ボーイとしてリングに立ち、今の金額にして5万円程のファイトマネーをもらっていた。

しかし、そのジムにファイティング原田が練習に来た。
間近にそのボクシングを見て、「これはかなわない」とショックを受けた。

どんなに努力しても、この人には追いつけないと。


ボクシングに見切りをつけ、自分の内側を見つめた時、残っていたのが、“建築”だったという。

続きを読む "新しい人へⅡ ― 長屋が生んだ建築家" »


近未来の風景

そびえる高圧電線.jpg
 
 
 
「素敵なマンションが見つかったわよ。建築雑誌にも載ったことがあるんだって・・・」

関西に住む息子のためにマンションを探しに行っていた妻から連絡が入った。

住所を聞き、グーグルアースで敷地を上空から見た。(それにしても便利な時代になったものだ)

中央にプールがあって、九つの棟がそれを取り囲むように配されている。近未来的なデザインが評判の建築家の作品だ。

しかし待てよ、これは何だ。

そのプールの上に白い線が二本見える。写真合成時の線かと思ったが、その線が、南北数キロにも渡って続いている。


もしかして…、私は翌日、現地に向かった。

続きを読む "近未来の風景" »


貴方達と我々―舟越保武の彫刻

病醜のダミアン.jpg
「病醜のダミアン」  舟越保武 『巨岩と花びら』 筑摩書房より
 
 
 
五年前に、八十九歳で亡くなった舟越保武氏は、戦後日本を代表する彫刻家であった。

「長崎二十六殉教者記念像」や「原の城」など、精神性にあふれた宗教的作品で知られている。

前者はキリシタン弾圧で処刑されたキリシタン二十六聖人の像である。二十六人が今まさに天に昇ろうとしている時の姿を彫刻に刻みとっている。

「原の城」は、天草の乱で全滅させられた三七〇〇〇人のキリシタンと農民たちへのレクイエム(鎮魂歌)で、かぶとを付けた武士のやつれた立像である。埴輪(はにわ)のように目と口に穴が開けられていて、人間の内面をのぞきこむかのような作品である。

作家自身がいちばん気に入っていたのは「病醜のダミアン」である。

ダミアンは、ベルギー人の神父で、三十三歳の時にハンセン氏病の人たちが隔離されているハワイのモロカイ島に自ら志願して赴任した人だ。

神父が患者たちにいたわりと同情の言葉をかけても、誰も聞いてくれない。「貴方達、癩者は」と呼びかけても彼らの心に響かないのだ。

ダミアン神父は、それでも患者たちの生活の世話と治療を続けた。十年たったある時、足に熱湯をこぼしたが熱さを感じなかった。顔や手にその病の兆候が現われた時、彼は初めて患者たちに、「我々癩者は」ということができた。


ダミアンの悲願であった、患者たちへの言葉がやっと通じたのだ。
 
 
このダミアン神父の残された写真を見た舟越保武氏は、恐ろしい程の気高い美しさを感じ、その像を作ったという。

これ以上崩れることはないと思われる顔の中に、美醜を超えた強い気品を覚えさせる彫刻である。

 

さて、舟越保武氏は、文もよくできる人で、『巨岩と花びら』という画文集がある。その中に、東京芸大の最終講義をまとめた「すきやき」と題された文章が出ている。

洗うがごとき貧しさの中で、二晩徹夜で彫り上げた石像を画商の所へ持っていく。やっとのことでお金をもらい、女房と六人の子供にすきやきを食べさせる話である。

芸術家の卵たちに、あえて貧乏話を贈り、あせらず気ながに制作を続けることの大切さを伝える名講義であった。

学生たちにしっかりと向かいあっていた舟越保武氏の姿が偲ばれる。

その腹をすかせて待っていた六人の子供たちの中のひとりが、現在最も注目される彫刻家で、独特の彩色木彫で現代人の孤独を表現する舟越桂氏であった。

建築家 野口政司  徳島新聞夕刊2007年6月6日 「ぞめき」より


ころげ落ちる

s-colum68 P1000539.jpg

風がほおに気持ちよい、新緑の祖谷を訪れた。
お目当ては、アレックス・カーが築三百年の民家をセカンドハウスとした「ちいおり」、そして昨年、重伝建に指定された「落合集落」だ。

かずら橋は今回は見るだけ、と横を通り過ぎようとした。そのとき、異様な光景が目に飛び込んできた。

渓谷にせり出すようにコンクリートの列柱がそそり立つ。五月の明るい光を浴びてその列柱が不気味に輝いている。
その名も“かずら橋夢舞台”。四十三億円をかけて建設されたイベント広場兼大規模駐車場だという。

「うーん」。私はうなった。誰もこの計画を止められなかったのか?

続きを読む "ころげ落ちる" »


20世紀少年

colum67.jpg


それは草に覆われた秘密基地から始まった。

少年たちは放課後になると、自分たちがつくり上げた秘密基地に集まる。大人が入ってこられない迷路のような遊び場所。誰のものか分からない草ぼうぼうの空き地がそこいらじゅうにあったころ。

東京オリンピック、大阪万博・・・日本の戦後の復興期、大人たちがその日の糧を求めて懸命に働く中、子供たちはひそかに自分たちの世界をつくり上げ、たくましく生き抜いてきた。

「ビートルズ」「ラブアンドピース」「平凡パンチ」「正義の味方」、そんな1960年代のアイテムをいっぱい詰め込んで描かれたのが、浦沢直樹氏の漫画『20世紀少年』だ。

地球滅亡を企てる謎のカリスマが、小学校の目立たなかった同級生。そして彼から地球を守ろうと集まるのもかつての同級生たち、というのが面白い。

続きを読む "20世紀少年" »


チゴイネルワイゼン

ベルトーク・ミハイ.jpg


ドイツ・ウルム市より音楽家を招いてのウルマー・カンマー・アンサンブル。第3回目となる徳島公演は、この4月15日に開かれた。
 

すっかり顔なじみとなった、ヴァイオリンのベルトークさん、ピアノのウングレアヌさん。そして日本とヨーロッパの橋わたし役を務めてくれるウルム市管弦楽団の磯村さんご夫妻。


春の日本公演は初めてとのことで、桜と新緑の両方を楽しんでくださった。


ドイツの冬は長く、5月に春が訪れたかと思うと、すぐ夏になってしまう。それだけに春への愛おしさは格別で、エルガーの「愛のあいさつ」、クライスラーの「愛のよろこび」など、春らしい恋の曲を中心に奏でてくれた。


毎回恒例のベルトークさんの「チゴイネルワイゼン」は圧巻であった。情熱的で甘美な曲が、華やかな超絶技巧で奏でられる。


そして今年の「チゴイネルワイゼン」は、特に素晴らしかった。ジプシーの旋律という意味のこの曲を、これ程哀感にあふれた演奏で聴くのは初めてだ。

続きを読む "チゴイネルワイゼン" »


新しい人へ

ぞめきコラム65 宮沢賢治 .jpg

四月は出発の季節だ。


私のアトリエにも、二人の新しいスタッフが加わることになった。
社会への夢や希望と一抹の不安を抱えての出発であろう。
 

私は、入所する若者にいつもこんな話をする。
ベテランには経験という財産がある。そして、君たち若者には可能性という宝物がある。
どちらもが、その財産と宝物を尊重しあい、共に磨いていくことが大切です。
いい建築をつくるという目標に向かって、いっしょに歩いていきましょう、と。


ところで、建築の設計というと、宮沢賢治の童話に「革トランク」という小品がある。


主人公は斎藤平太、体操がへただった宮沢賢治の分身だ。


工学校で建築を学んだ平太は、卒業と同時に建築設計事務所を開く。
お父さんが村長だったこともあって、村の消防小屋と分教場の二つの仕事が舞い込んだ。


(こんなことは実にまれです。)
 

さっそく設計図を仕上げ、工事にかかったが、大工さんたちが変な顔をする。
どうもおかしいな。
 

二つの建物が完成した。ところがである。
分教場の玄関を入って教員室へ入ろうとしたが、どうにも行けない。
廊下がなかったのだ。がっかりした平太は消防小屋へ行った。
二階へ上がろうとしたが、どうしても昇れない。
階段がなかったのだ。


(こんなことは実にまれです。)

続きを読む "新しい人へ" »


美しき日本の残像

NEC_0985.JPG

「日本の一番美しい山の祖谷、伝統芸能200年の天才玉三郎・・・僕は幸せだったと思います。美しい日本の最後の光を見ることができました」


アレックス・カーさんは、東祖谷の築300年のかやぶきの民家をセカンドハウスにした、徳島にもなじみの深いアメリカ人の東洋文化研究家だ。


新潮学芸賞を受賞した『美しき日本の残像』の中で、日本建築や歌舞伎、山水画、書などの日本の伝統文化の素晴らしさをたたえている。そしてその本の最後に、彼は先ほどの言葉をつづった。


失われていく日本の美しさ。その黄昏の時に身をおくことの喜びと、そして深い悲しみが伝わってくる。


1993年に、この本を出してからほぼ10年後に、アレックスさんは『犬と鬼ー知られざる日本の肖像』を書く。


前者がやわらかな日本語でつづられたのに対し、この本は外国向けに英語で出版されたのを日本語に訳したものだ。

続きを読む "美しき日本の残像" »


三つの宝

20070228.jpg
 

芥川龍之介の残した本の中で、最も美しいと思うのは、改造社版の童話集『三つの宝』だ。

龍之介の死の翌年、昭和3年の発行である。「白」や「蜘蛛の糸」、「魔術」、「杜子春」など6つの短編童話からなっている。

小穴隆一の挿絵も素敵で、この本自体が美しい宝物のように思える。

表題となった「三つの宝」は、一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマント、鉄でもまっ二つに切れる剣、の三つの宝をめぐるお話だ。

盗人にだまされたのも知らず、三つの宝を手に入れたと思い込んだ王子は、それらのガラクタを身に付けて王女を救いに向かう。

本物の三つの宝を持っている王が、美しい王女を自分のものにしようとしていたのだ。

王と王子の戦いは、当然のように王の勝利に終わる。しかし、王女の心が王子に向いているのを知った王は、二人を祝福し、いさぎよく三つの宝を王子にゆずる。

無敵の三つの宝をもっていても、人の心を奪うことはできなかったのだ。

続きを読む "三つの宝" »


モラエスの愛した風景

20070213155413439_0001.jpg

20070213155413439_0002.jpg

_0001.jpg


「ここは悩みも悲しみもない魔法の土地!永遠の魅惑のうちに紙の家の平安につつまれて、どんなにぼくはここで暮らしたいことだろう!どんなにぼくはここで死にたいことか、・・・・」(モラエス「大日本」)

日本で余生を送ることを願ったモラエスは、すべての官職をすてて、神戸から徳島に移り住む。


彼はポルトガルに残る妹のフランシスカにあてて、609通の葉書を送っている。そのうちの603枚が日本の風景や文化を紹介する絵葉書であった。そして約半分が徳島の風景だ。


鳴門、小松島、祖谷の自然風景や、眉山から見渡した徳島市街の写真など、100年前の徳島の風景がよみがえってくる。


死の前に送った3枚の絵葉書は、帆かけ船の浮かんだ吉野川、そして阿波踊りの写真。“奇抜極マル徳島踊”と印刷の字が見える。最後が新町橋のものだ。


モラエスは「徳島の盆踊り」の中で、新町橋についてこのように書いている。

 「この橋は徳島の心臓部にあり、絵のような水路を一本越えると、山を背景にちかくに家々が立ち並ぶ優美な風景と、何隻かの小船が行き来する鏡のように穏やかな美しい水面が通行人の目に映じる。・・・・」

続きを読む "モラエスの愛した風景" »


母たちの村

母たちの村.jpg

これは本当に現代のことなのか。

超満員で立ち見も出た、徳島ホールでの徳島でみれない映画をみる会の特別映画会。

上映されたのはアフリカ映画の父と呼ばれる、ウスマン・センベーヌ監督の「母たちの村」。

土を塗り固めた住居やモスク、昔ながらのアフリカの美しい村、そして大地から響いてくるような音楽。

しかし、この映画のテーマは深くて重いものだった。

FGM(女性性器切除)、いわゆる女子割礼の理不尽さをうったえ、立ち上がった母たちの姿を描いたものだ。

この2000年も前から続いているというFGMは、現在アフリカの女性、1億~1億4千万人が受けているという。

平均寿命50年として、1日当たり8000人の少女が受けている計算になる。

小刀やガラスの破片、カン詰めの切り取られたフタなどが使われ、出血によるショック死や、何人もを同じ道具で
切除するため、エイズなどの感染症で死に至ることもあるという。

続きを読む "母たちの村" »


“シンプル”という贈りもの

20070112101111906_0002.jpg

20070112101111906_0003.jpg

2年前に「ヴィレッジ」という映画が上映された。森の奥の小さな村で起こった事件を、ホラー仕立ての映像で描いた作品だ。


「シックス・センス」のナイト・シャラマンが監督なので、超自然現象がテーマのように思えるが、実はなかなか上質のラブストーリーである。


そのユートピアのような小さな村のモデルになったのが、アーミッシュである。彼らはヨーロッパを逃れてアメリカにたどり着いた、キリスト教の再洗礼派の人たちだ。

 
アーミッシュは、現代文明に背を向け、電気や車をつかわない生活をしている。移動は馬車でし、服装も白か青、黒の無地で、柄物は着ない。とてもシンプルで質素な生活だ。
 

彼らは、映画のように隠うつではなく、とても陽気だ。300年間、ずっとその素朴な生活スタイルを続けている人たちだ。

 

続きを読む "“シンプル”という贈りもの" »


タウトの愛した日本

旧・日向別邸 熱海 1936年.jpg

熱海の家 「日向別邸」


「日本は眼に美しい国である」


ナチスドイツから逃れた建築家、ブルーノ・タウトは、シベリア鉄道を経て、1933年5月3日、敦賀に着いた。


翌、5月4日は、タウトの53歳の誕生日だ。

桂離宮を参観したタウトは、先の言葉に続けて、

「今日は、おそらく私の一生のうちで最も善美な誕生日であったろう」と日記に書いている。


タウトは桂離宮を 「世界建築の奇蹟」 と最大限の評価をしている。

亡命の途中で見たギリシャのパルテノン神殿にも比すべき建築であると。


又、日本の民家の美しさを 「日本の田舎には “いかもの” がまったくない。

・・・田舎の家の建てかた、垣根、屋根の形などを見ていると、なるほど貧しさはあるにしても、

しかし決して “いかもの” ではない」と記している。
 

10年程前ドイツを訪れた私は、タウト設計のブリッツ・ジードルンクを見て感動した。

馬蹄形をした集合住宅で、池を取り囲むように住棟がえん曲している。

どの住居からも中庭に池が見え、ひとりでに中庭に誘われ、語らいの場となる心憎い設計であった。

続きを読む "タウトの愛した日本" »


ザンビアの太鼓

zomeki1207033.jpg


「ザンビアで太鼓の神様に会ったんです」。


太鼓奏者、ヒダノ修一さんは、忘れられない思い出を語り始めた。


11月26日、大塚ヴェガホールで開かれた、ヒダノ修一・太鼓ソロコンサートでのこと。


ヒダノさんは、1998年、FIFAワールドカップフランス大会の閉会式で太鼓を演奏し、世界的な太鼓奏者として、

自他共に認める存在であった。
   
   
   
アフリカ・ザンビアでの演奏旅行の時、千人以上入れる会場に、定刻になってもほとんど観客が集まらない。
     
そこで外に出て太鼓を打ち鳴らした。
   
すると太鼓好きのアフリカの人たちのこと、みるみる黒山の人だかり。
   
いっしょに会場に入り、満席の中で演奏すると観客は総立ちになって踊り始めたという。
     
  
   
演奏会の休みの日、公園で太鼓の練習をした。
  
すると1人の老人が近くに来て、じっとヒダノさんの太鼓を聞いている。
  
 
  
練習が一段落した時、その老人が小さな太鼓を取り出し打ち始めた。
  
その太鼓から響き出した音は、この世のものと思われなかったという。  

続きを読む "ザンビアの太鼓" »


薪を割る

zomeki002032.jpg

薪割り用の斧を手に入れようと思った。

カタログを見て、

工芸品の味わいと、何よりデザインの良さから

スウェーデンのグレンスフォシュの大型斧に決めた。

数日して斧が届いた。

重い。

建築アトリエには何とも不似合いだ。

私に使いこなせるだろうか。

「薪は斧の重さで割るもの、あなたの身長なら最低これぐらいでなくちゃ」

と言った薪ストーブ屋のSさんの

筋肉質の体と愛嬌のある顔が

うらめしく思い出される。

あらためて斧を手に取る。

皮のケースを外すとスウェーデン鋼の鋭い刃先が光る。

斧頭にこの刃を打った職人のイニシャルが刻印されている。

日本の鉋(かんな)や小刀と同じだ。

そういえば、”小信”作の小刀を求めて

東京・上野の刃物屋を訪ねたことがあったよなぁ。

柄はヒッコリー材でできていて、

握りのところで微妙に曲がり、しっくりと手になじむ。

さきほどまでの不安をすっかり忘れ、

今はもうこの斧を使ってみたくて仕方がない。

続きを読む "薪を割る" »


美しい国へⅡ

20061106105441825_0001.jpg
ロイズ・オブ・ロンドン ( リチャード・ロジャース設計 )


プリンス・オブ・ウェールズ、イギリスのチャールズ皇太子は、伝統的なイギリスの建物や風景が次々と壊されていくのを見て、これではイギリスが滅びてしまうと感じ、次のような美を取り戻すための10原則をまとめた(「英国の未来像ー建築に関する考察」)。

①場所ー風景を蹂躙(じゅうりん)するな
②建築の格づけー建築の基本原則を大切に
③尺度ー小さいものほどよい
④調和ー他と響き合おう
⑤囲い地ーその場所をかけがえのないものに
⑥材料ーそれがあるべき所にあらしめよ
⑦装飾ー細部を豊かに
⑧芸術ー置かれる場所を考えて
⑨看板と照明ー粗悪な看板を立てるな
⑩コミュニティーーそこに住む人の意見を聞け。


前衛的な建築家からは美の強制と反発されたが、チャールズ皇太子の「われわれは美なしに生きることができない」という思想は、BBC放送で取り上げられ、国内外に大きな反響を呼ぶことになる。


時あたかも、大ロンドン市の中心地シティに、建築家リチャード・ロジャースのロイズ・オブ・ロンドン(ロイズ保険会社本社ビル)が建ったころ(1986完工)であった。


私は、話題のこの建築を完成した直後に訪れた。ステンレスの塊から彫り出されたような建築は、とても旧市街地に建つものとは思えなかった。日本のコンビナートの一画にできた、とびきりモダンな未来の工場、というのが正直な印象であった。


リチャード・ロジャースは、レンゾ・ピアノと組んで、パリのポンピドー・センターのコンペを勝ちとった後、このロイズ・オブ・ロンドンのコンペでも最優秀となっている。同じイギリス人建築家ノーマン・フォスターの香港上海銀行と並んで、ロイズ・オブ・ロンドンは20世紀を代表する建築と呼ばれるようになる。


前衛と保守、イギリスでは重量級の戦いが行われている。エンジンが強烈であれば、ブレーキもまた超一流である。


日本のプリンス、安倍晋三首相は「真正保守」といわれる。司馬遼太郎氏に、即席ラーメンの袋のようなと表現された日本の町を、どうしたら元のように美しくできるのか、安倍氏の著作「美しい国へ」からそれを読み取ることはできない。


建築家 野口政司(徳島新聞 夕刊11月6日付 ぞめきより)


美しい国へ

NEC_0430.JPG

その年の象徴的な出来事を漢字一文字で表す清水寺恒例の書き納めの文字、今年は恐らく「美」ではないだろうか。


「美」という字は、「羊」と「大」の二文字の組み合わせである。草原に羊がたくさん集まっている様子を表していて、その羊の群れを見て、調和がとれ統一されているのが「うつくしい」と古代中国の人は感じたのであろう。


ところが、別の説もある。「羊」は宗教的祭礼にささげられる動物で、「犠牲」の意味が含まれている。例えば「義」は「我の責任の限りの犠牲」であり、「善」は「儀式の祭具に盛る限りの犠牲」、そして「美」は「大いなる犠牲」の意味である。「美」には、共同体の命運などに対し、人間として行える最大限の犠牲、つまり己が命をささげるという含意があるのだという。


それでは、その「美」という字を使った表題で今話題の、安倍晋三氏の著作「美しい国へ」は、どちらの意味であろうか。新書判、232ページ、原稿用紙300枚ほどのこの本の中で、「美しい」という言葉は意外なことに4回しか出てこない。


「来年、桜が咲く4月頃が一番美しいが、どうか」(父、晋太郎がゴルバチョフに訪日を誘った言葉)


「人々の心、山、川、谷、みんなが温かく美しく見えます」(曽我ひとみさんが佐渡に24年ぶりに帰ったときのあいさつ)


「わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ」(この本の最後のページに安倍氏自身が書いた文)


「如何にして死を飾らむか/如何にして最も気高く最も美しく死せむか」(陸軍特別攻撃隊、鷲尾克己少尉の日記よりの引用)


前の3つは普通の「美」で、4つ目が自己犠牲を含意した「美」であろうか。


安倍氏は鷲尾少尉の言葉に続けてこう書いている。「たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ」


安倍氏のいう「美しい国」とは、どうやら後の意味のようである。


私たち民草は、のんきに草を食べていると、”羊群声なく牧舎に帰り、手稲の頂きたそがれこめぬ・・・”-知らぬ間に祭壇にささげられているかもしれない。


建築家 野口政司(徳島新聞夕刊 10月20日付より)


14ひきのおつきみ

NEC_0356.JPG
<いわむら かずお 著 『14ひきのおつきみ』 童心社 1,260円より>


あさって10月6日は中秋の名月だ。


人間以外の動物もお月見をするのかどうか、私には分からないが、いわむらかずおさんの絵本『14ひきのおつきみ』では、ねずみの家族が木の上に月見台をつくってお月見をする。


いわむらさんの「14ひきシリーズ」は、おとうさん、おかあさん、おじいさん、おばあさん、そしてきょうだい10匹の合わせて14匹のねずみの大家族の物語だ。森の中の豊かな自然の移ろいとともに、ねずみたちの生活がやわらかな描線と色合いで描き出されている。


いわむらさんの絵本のことを教えてくれたのは、絵本大好き人間のIさんだ。ご自分の家の設計を頼むとき、こんな家が理想なんですと、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち』をプレゼントしてくれた方だ。


そして、プレールームに絵本がいっぱい置けるIさんの家が完成し、いよいよ明日から引っ越しという日、Iさんは設計のお礼にと一冊の本をくださった。


それが、いわむらかずおさんの『14ひきのひっこし』だった。ねずみの大家族が、森の中の木の根っこを新しいすみかにするために、みんなが力を合わせて巣をつくり、引っ越すお話だ。


その絵本を読んで、私はIさん一家が新しい家を大切にし、みごとに住みこなしていくだろうと確信したのだった。


この「14ひきシリーズ」は、『おつきみ』『ひっこし』のほかにも『あさごはん』『さむいふゆ』など全部で11冊のすてきな絵本集になっている。表紙のカバーを外すと、何と別の絵が出てくるというのがうれしい。


満月の夜、木の上のお月見台で、14匹のねずみたちはおだんごやクリを食べながら、お月さんと楽しいお話をする。そして月の光を顔に受けながら「おつきさんありがとう、たくさんのみのりをありがとう、やさしいひかりをあれがとう」と祈るのであった。


さあ、私もねずみたちのように月に祈りをささげよう。「どうか徳島が、もっともっと美しい町になりますように。見苦しいラブホテルのサーチライトも、いつかはなくなるでしょう。やさしい光で、私たちを照らしつづけてください」。


建築家 野口政司(徳島新聞 夕刊10月4日より) http://www.topics.or.jp


写真家とふんころがし

NEC_0326.JPG
<今森光彦 『世界昆虫記』 福音館書店 5,000円より>


写真集 『里山物語』 などで知られる写真家、今森光彦さんの講演とスライドの会に参加することができた。熱帯雨林から砂漠まで世界中を飛び回り、さまざまな昆虫を撮影した 『今森光彦・世界昆虫記』 の中から、特にお気に入りの写真をスライドで見せてもらった。


まず最初はスカラベ(ふんころがし)から。アフリカに8年間通い続けたというスカラベの写真には圧倒される。自分の体の数倍、ソフトボール大のフンボールをつくり、メスを待つオス。メスが気に入って飛んでくると、そのメスをのせたまま、今やウエディングボールとなった球をこん身の力で転がす。頭を大地に突っ込み、逆立ちして後ろ足でフンをける。何十メートルもの距離を運ぶ間、メスはフンの上でそれこそフンぞり返っているだけ。オスがかわいそう。身につまされる。


しかし、古代エジプトではスカラベは神様だ。太陽を信仰していたエジプト人には、丸いフンボールをころがすスカラベが、太陽を運ぶ神様に見えたという。そして、一度大地にもぐり、ふたたび現れるときは新しい成虫に生まれ変わっている。スカラベに永遠の命を見ていたのだ。


そのスカラベの姿をとらえる今森さんの視線はとても温かい。ガンバレ、ガンバレと。


それは、他の昆虫たち、たとえば17年に一度だけ地上に出てくる17年ゼミや、キノコを栽培するハキリアリ、メスに贈り物をするガガンボモドキたちにも同じようにエールを送りつづける。


そして世界最大の花、ラフレシアの開花では、昆虫をとりまく世界の奥の深さ、豊かさを私たちに教えてくれる。


今森さんは、『世界昆虫記』の後 『里山物語』 『湖辺MIZUBE』 『藍い宇宙』など、土地のにおいが美しくひろがる写真集を発表する。生まれ育った琵琶湖周辺の自然環境と人の生活とのかかわりを ”里山” というキーワードで描き出していく。


写真家、今森光彦の誕生である。


無名でお金もなかったころ、ただ無心にスカラベを追い、カメラを向ける。そのレンズには懸命にフンをころがすスカラベに重なり、今森さん自身の姿が映っていたであろうか。あるいは、それはエジプト人の信じた永遠の命、神の姿であっただろうか。


建築家 野口政司  (徳島新聞夕刊 9月16日付より)www.topics.or.jphttp://


となり町戦争

それは9月1日に始まった。学校の新学期ではない。となり町との戦争が始まったのだ。


開戦の知らせは、月に2回配られる町の広報紙に載っただけであった。それも町民税の納期や下水道フェアのお知らせに挟まれるように小さく <となり町との戦争のお知らせ。開戦日、9月1日。終戦日、3月31日(予定)・・・>という簡単なものであった。


そして戦況についてもほとんど知らされず、ただその広報紙の町勢概況のところに、出生数とともに死亡者23名(うち戦死者12名)などと示されるだけである。


ほとんど実態が分からないまま戦争が進んでいくことの不気味さを、三崎亜記さんの小説《となり町戦争》は描き出していく。


戦闘区域の拡大による地元説明会で、どうしてとなり町の人と殺し合いをしなければならないのか、と質問する青年に対して、役所の担当者はこう説明する。「となり町との殺し合いをしているのではなくて、戦争の結果として死者が出るだけです」と。そして「この戦争は、皆さんの代表である議会の承認を受けて進めているのです」とも。


果たして、実際の戦争に対して、議会や行政はストップをかけることができるのであろうか。はたまた私たち市民はどうだろう。


三崎亜記さんは、主人公にこう言わせている。「戦争は、絶対悪としてでもなく、美化された形でもない、予想しえない形で僕たちを巻き込んでいく。その時戦争にNOと言えるだろうか。僕には自信がない」。


一発の銃弾も撃たれず、一滴の血も流れない戦争小説。極めて事務的に役所の事業として進められる戦争。そのリアリティーのなさが、かえって恐ろしさを増大させる。


これからは、市や町の広報紙がどんなにつまらなくても、スミからスミまでしっかり読まなくては。もしかしたら今日、9月1日から・・・。


野口政司 建築家 (徳島新聞夕刊 9月1日付け)


幻の浄土

紀州、那智山から見渡す熊野灘は、押し寄せる波の白さが際立つ。夏の空はあくまで青く、ここに立つと、私たちの住む地球は森と海からできているのだ、と実感することができる。


那智の滝から青岸渡寺、熊野那智大社へと続く奥行きのある風景を眺めながら、那智山を登るとやがて展望所に出る。


これから西は、世界遺産に指定された高野・熊野の深い巡礼の森が連なっている。そして東側は、本州最南端の潮岬から新宮、熊野まで続く海岸線の向こうに太平洋が広がる大風景である。


ここから見える紀州の海の向こうには極楽浄土があるとの伝説があったそうだ。その幻の浄土、補陀洛山(ふだらくさん)にひとり船に乗って旅立つのが補陀洛渡海である。なるほどと思わせる何かがこの海の風景にはある。おそらく後に控える巡礼の森が背中を押すのであろうか。


那智の浜の近くに補陀洛山寺がある。そこに渡海船の再現されたものが展示されている。屋形船を少し小さくしたもので、人ひとりが横になれるほどの小屋が船の上に乗っている。


渡海僧は、30日分の油と食料をたずさえて、外に出られないようにくぎ付けされた船の中で、一灯をともし、日夜法華経を唱えながら、南海の彼方へ船出していったという。


「熊野年代記」などには、貞観10年(868年)の慶龍上人から始まり、江戸中期まで、19回の補陀洛渡海が行われたと記録されている。


しかし、必ずしも悟りをひらいた僧ばかりではなく、近世になると、金光坊という人が途中で逃げ出し、島に上がったところを見つかってしまい、無理やりに入水させられたという話も残っている。このころから補陀洛渡海は伝説となり、実際に行われることはなくなったそうである。


さて、その小さな渡海船を見ながら、私はわずかの食料と片道だけの燃料で出航していった、人間魚雷回天のことを思い出していた。これは現代、ほんの60数年前に行われたことであった。


はたして補陀洛渡海と何かつながりはあったのであろうか。身動きできない操縦席に入り出撃していった彼らに”幻の浄土”は見えていたのだろうか。


目の前の夏の海は底抜けに明るい。

建築家 野口政司 (徳島新聞夕刊8月17日付け)http://www.topics.or.jp


しあわせ通りのカナリヤ

東京では空前のマンションブームだという。それもトーキョータワーズ(地上58階、2799戸)に代表される巨大超高層マンションが中心だそうだ。

負けじと大阪、神奈川でも日本最高層を競うマンションが建設されている。それらの中のあるプロジェクトのキャッチフレーズは ”日本を変える 世界が見える”。 思わず笑ってしまった。

世界を見渡してみると、共同住宅の先達であるイギリスでは、1970年代から基本的に高層住宅の建設を中止している。その背景を幻想的な絵と夢のあるストーリーで描いたのがチャールズ・キーピング作の絵本 「しあわせ通りのカナリヤ」 だ。

ロンドンの下町、しあわせ通りの古びたテラスハウスに住む子ども、チャーリーとシャーロッテは大の仲よしです。

再開発でシャーロッテの家が壊され、彼女は高層公営住宅の最上階に引っ越します。取り残されたチャーリーは、シャーロッテがどの住戸に移ったのか分かりません。見上げても同じ形の建物に単調な窓が続くばかりです。

二人でよく行った小鳥屋で金色のカナリヤを買ってきて育てますが、チャーリーは寂しくてなりません。カナリヤは歌がうたえても、いっしょに話したり遊んだりすることができないのです。

ある時いたずら猫に驚いたカナリヤが逃げてしまいます。チャーリーはカナリヤが高層住宅の方へ飛んでいくのを追いかけます。そしてカナリヤがとまったバルコニーの手すりの向こうには、何とシャーロッテが・・・。

この絵本が出されたのは1967年で、この年の絵本のグランプリ (ケイト・グリーナウェイ賞) を受賞している。

このころのイギリスは再開発により15階以上の高層住宅が盛んに建てられていた。これに対して住み手や社会学者、医学者が痛烈に非難を浴びせかけている。子どもの遊びや健康をうばい、老人の孤独、青少年の環境破壊行為を助長する巨大集合住宅は怪物 (マスハウジング・モンスターズ) であると。

この絵本が出た翌年、ロンドンの高層公営住宅の22階でガス爆発による死亡事故が起こり、ついに大ロンドン議会は高層住宅抑止宣言を出すことになる。これ以後、ロンドンの公営住宅は、接地型の中低層住宅が主流となっていくのである。

50階、高さ150メートルも飛べるカナリヤはいないだろう。日本ではチャーリーは一生シャーロッテを探し続けることになるのであろうか。


建築家 野口政司(徳島新聞 夕刊8月2日)


建築家

”この世の生きものでいちばん危険なのは、建築家だよ。やつらは戦争以上に荒廃に手をかすぜ”

ルノワールに会った日のブレヒトの日記には、ルノワールがこう言ったと記されている。

日本では建築家という概念は必ずしも確立されていないので、ルノワールの言った建築家を建築士、あるいは建築設計者と読み替えてみたい。

確かに日本においても、全国の町の風景を荒廃させている元凶は建築設計者と言えるだろう。どの建物も、小屋などの小さなものを除いて、建築士の資格のない者には設計できないのであるから。責任は重大である。

景観悪化の原因の中には、見苦しい看板や電柱、電線、そして徳島の夜空を汚しているサーチライト光害など、建築設計者以外の要因もあることはある。

しかしそれらは、建築にお似合いとも言えるのである。

建築が真っ当なものであれば、あれほど品のない看板を掛けようとは思わないであろうから。

さて、建築士法を1950年に提出したのは、建築業出身の代議士田中角栄であった。しかも一級建築士のライセンスナンバーの第一号は田中角栄に与えられたという。

その田中角栄が1972年に総理大臣になり、”日本列島改造論”をかかげ、日本国中をコンクリート漬けにしていった。

同時に土建国家のシステムを日本全国津々浦々に蔓延させ、政治資金のルートと選挙の集票マシーンを大小ゼネコンに請け負わせ、政官財学を支配し、キングメーカーとして権力を握り続けたのだ。

建築士はもともと文化や町づくりを担うものとしては想定されていなかったのである。後世、日本の20世紀後半は、田中角栄という怪物的(悪魔的)政治家によって建築家が支配され、利用された時代と呼ばれるであろう。

姉歯建築士の事件も、その暗部が瞬間的に口を開いたと見るべきであろう。建築士(あるいはその妻)の自殺という悲劇を個人的なものとして風化させたり、建築士法の罰則強化で乗り切れるような、そんな単純なものではないと思えるのだ。

どのようにすれば日本の町が美しくなるのか。国民的な議論の中から建築家法といったものを新たに創出し、出直さなければならない時期が来ているのではないだろうか。

建築家 野口政司(徳島新聞夕刊 7月18日付け)


大和安堵村

忘れられない風景がある。その風景が見たくなって旅に出る。

30年前、初めて見たその風景はこの地上のものではなくて、ひとつの焼き物の上に描かれた風景であった。その焼き物、染付の陶箱が見たくなって、私は思い出したように大和安堵村に出かけていく。

斑鳩の里、法隆寺からバスに乗って20分ほど、奈良盆地のちょうど真ん中辺りに、ぽつんと取り残されたような村がある。

ここ安堵村は、陶芸家富本憲吉の生まれた所である。

富本憲吉は、東京美術学校で建築や室内装飾を学んだ後、イギリスに留学し、ウィリアム・モリスのアーツアンドクラフト運動に出合っている。帰国後、バーナード・リーチや柳宗悦らと交流し、朝鮮半島の焼き物を知り陶芸の道を志した。

富本憲吉が故郷の安堵村に陶房を構えたのは1913年、憲吉27歳の時であった。

憲吉は安堵村で見つけた土蔵や稲穂かけ、樹木や道などの素朴な風景を陶器に描き出した。青の濃淡だけで表現される染付は、そののどかな風景によく合っている。

日本の原風景ともいえるそれらは、詩人の目をもつ陶工によって、見事に染付けられ、永遠の命を与えられたのだ。

富本憲吉は、後に羊歯や定家葛の写生から生み出した独特の金銀彩の色絵連続模様を完成させ、1955年、日本で最初の人間国宝に認定されている。

しかし私は、東京・京都時代の都会的できらびやかな金銀彩も素晴らしいと思うが、むしろ大和時代、憲吉の初期の染付や無地の白磁壺の方が好きである。

1963年に憲吉が亡くなった後、安堵村の生家とアトリエは富本憲吉記念館として保存され、作品も初期のものを中心に展示されている。

訪れる人もまばらな、その記念館の辺りには、染付に描かれた素朴な風景がわずかに残されている。羊歯に覆われた堀を渡ると、草花が咲きそろう庭に出る。憲吉が好きだった定家葛も小さな白い花を咲かせている。

そこだけ時間が止まってしまったような盆地の真ん中で、私はひとり立ち続けていた。

建築家 野口政司  2006/7.1(土)徳新夕刊より


のだめ カンタービレ

世の中には二種類の人間がいる。

片付けのできる人と、そうでない人である。私は後の方で、どうも整理整頓というのが苦手である。

おまけに本好きで、読みたい本は手元に置いておきたい、それもすぐ手の届くところにと思うので、結局散らかった書庫の中に住んでいるようなものである。

その本の中には
「気がついたら机の上がいっぱいになっている人のために」
とか
「書斎の知的整理術」
など、私のために書かれたようなハウツー本もあるのだが、そんなのに限って多くの中に埋もれて、どこにあるのか分からないのである。

こんな私に、ちっとも気にしないでいいんだよ、と語りかけてくれる本がある。二ノ宮知子さんの人気マンガ ”のだめ カンタービレ”である。

”のだめ”こと野田恵は、音楽大学でピアノを学ぶ女の子、片付けが大嫌いである。同じマンションの隣の部屋に住む千秋真一は、無類の奇麗好きの天才音楽学生だ。

千秋の部屋はヨーロッパ育ちの彼らしくシンプルモダン、無駄な物がなくとてもすっきりしている。そこへのだめが鍋パーティーのためにやぐらこたつを持ち込んだところからストーリーが動きだす。

それまでイス座であったリビングが、たちまちにしてアグラ座に変わる。見る見るうちにのだめの部屋と同じように雑然となっていく千秋の部屋。

囲炉裏からちゃぶ台、そしてやぐらこたつへと、この数百年に及ぶ日本伝統の団らんの装置の存在感はとても大きい。おまけに布団までついている。

”キレイだけど何かが足りない”との親切心で、のだめが持ち込んだやぐらこたつが千秋の心をかき乱していく。

生体反応という言葉がある。何かが足りないというのは生体反応が希薄だということでもあろうか。のだめの部屋は生体反応そのもの。むしろねぐらという言葉の方がふさわしい。

そうか、なるほど。私の片付け下手は、生体反応が強烈なんだ、と”のだめ カンタービレ”を読みながら妙に納得しているのであった。


建築家 野口政司   (2006・6・16  徳新夕刊より)


上野千鶴子の住宅論

どの人も何らかの住宅に住まいしている。それが高層マンション、木造一戸建て、そしてたとえ段ボールハウスであったとしても。すべての人が住まいしているにもかかわらず、これまで「住宅論」は建築家の専売特許であった。

しかし最近になって、文学や社会学の分野から住宅を取り上げる人が出てきた。文学者では藤原智美氏や西川裕子さん。そして、今注目の社会学者、上野千鶴子さんはその旗頭とも言える人だ。

フェミニズムの研究者である上野さんは、父兄長制の研究から近代家族の成立と終焉をたどり、その家族を入れるハコである住宅に今やメスを入れようとしている。ワクを超えることを真骨頂とする上野さんとしては、その越境は自然の流れであろうか。

上野さんは、nLDKをまずやり玉に上げる。戦後(1951年)に公団住宅が考え出したこの基本プランは、半世紀以上にわたって日本の住宅の骨格であった。50年以上持ちこたえている商品コンセプトはめったにない。その賞味期限の過ぎようとしている商品にしがみついている、日本の建築界と消費者に疑問を投げかける。

このnLDKが想定している標準世帯、つまり夫婦と未婚の子どもが一つの家に住むという形は、現在の家族構成の統計では3割台に低下している。かわって増えているのが高齢者の夫婦世帯と単身世帯、それにひとり親世帯だ。

このような家族の多様化にふさわしい住宅のモデルが登場しないのは、何にも増して建築家の怠慢である、と。

そして4つの提案をしている。

1.住宅モデルの多様化、住み手にとっての選択肢の多様化を図る
2.そのモデルに作家、作品主義をもちこまない。家族の拡大、縮小に対応できる汎用性のあるモデルとする
3.住宅に食う、寝る、育てる+生産(工房のようなラボ機能)を加える
4.育児・介護の社会化を組み込んだコモン空間の中に住宅というユニットを考える

ケンカの達人である上野さんは、その極意を「相手にとどめを刺さないこと」と言う。私たち建築家にとって、手ごわい挑発者の登場である。


建築家 野口政司 (徳新夕刊コラム6月1日(木)より)


▲ページのトップへ戻る


サイドナビゲーションエリア

SATOYAMA SNS 里山を語るコミュニティ

ログインe-mailアドレス、パスワードを入力

カテゴリー

バックナンバー

最近の記事

RSS 2.0 ATOM 0.3

お問い合わせ

NPO法人 里山の風景をつくる会
〒770-8055
徳島市山城町東浜傍示28-53
TEL:088-655-1616
FAX:088-655-1632
E-mailinfo@enjoy-satoyama.jp

▲ページのトップに戻る


フッターエリア


Copyright©2006 Meeting that makes scenery of hometown mountain.All Rights reserved.