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里山エッセイ



つげ義春の青春

つげ義春.jpg
 
つげ義春さんのマンガで忘れられないシーンがある。
その最後のシーンだけが記憶に残っているのだ。
途中は忘れてしまっている。どんなストーリーだったっけ。
 
少年が一人で仕事をしている。
町工場の片すみで。
子供のころ、普通に目にしたバラックのような板張りの工場の中で・・・。
 
書庫の一番奥の棚にあったつげ義春全集を引っぱり出した。
その第7巻に出ている「大場電気鍍金工業所」がそれであった。
 
メッキ工場の社長が肺炎で死んでしまい、
残された奥さんとメッキ工の少年が工場で研磨の賃仕事をしている。
「メッキの職人は必ず肺をやられる」と、出だしから暗い話ではある。

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あるじなしとて春な忘れそ

 
 
 梅の思い出リレー。
 学校帰りに近道を
 通ってみればどこからか
 ほんのり匂う梅の花
 
 
田んぼのあぜ道をとんとん走った近道、
横丁を曲がってひなびた家並に出くわした近道。
思い切り走ったお墓のある近道。
背中のランドセルがカタカタ鳴って、オカッパ頭は神出鬼没。
辻々に梅が香っていた。
 
奈良県月が瀬村、ダムに沈んでいった白い白い一面の梅。
白い幻は今も夢に立ち現われる。
木頭村の切り立つ谷に立った日。
「ダム底に沈まなくて良かった!」ダムを止めた村民の苦労がしのばれた。
あれも梅の季節だったか。

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『葬送』 ― ショパン生誕200年

2010.02.25 No.131 「葬送」.jpg
 
 
 「その美質は、奏でられる調べの一音々々から馥郁(ふくいく)と立ち昇って
  客席のすべての人間を恍惚とさせた。
  胸を締めつけるような憂鬱も、寂寥(せきりょう)も、悲哀も、
  どの一つを取ってみてもそうした薫りを帯びていないものはなかった。
  即ち気品であった。・・・何という香気。何という陰翳(いんえい)!」
                                 (平野啓一郎『葬送』)

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ハンミョウの道教え

 
風のそよぎや流れる雲に、水ぬるむ川面に、
くりくり目玉のメジロにと遠近春はやって来る。
自然の移りは正直、今日は明日へ、
明日はあさってへと寒暖取り混ぜ変身一途。
いのちみなぎり、いのち張る「春」。生物の多様性を語るには最適の季節である。
 
2010 年は生物多様性年。
これから徳島でも事前行事が展開される。
第一弾2月20日(土)に開く「生物多様性国内対話in徳島・香川」
(アスティ徳島 1時から)には、生物多様性の国家戦略なるものが登場する。
国家戦略とはこれいかに?
 
戦略ばやりの昨今だが
上から目線でない「自分たちの戦略」をぜひ立てたいと思う。

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節分を過ぎると

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                           photo by TAKESHI MIYAKE
 
 
 
ある朝、夜半の雨が止んで、空気が柔らに感じられて窓をあけると、
霞を刷いた山々が墨絵のようだった。
手前の雑木林は枝々に春の芽吹きを貯えている。
節分を過ぎると足早に春の足音。
春待つ今の、この湿り気とかすかな匂いは格別である。
 
 
この季節必ず思い出す一冊の本、海洋生物学者レーチェル・カーソン「沈黙の春」。
いきなり第1章明日のための寓話で語られる地球の現実は衝撃的である。
 
  「自然は沈黙した。鳥たちはどこへ行ってしまったのか。
   みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。
   春が来たが沈黙の春だった。
   農家では鶏が卵を生んだがひなは孵らず、
   りんごの木は溢れるばかり花をつけたが、
   耳をすましてもミツバチの羽音もせず・・・。」
 
そして 「すべては、人間がみずから招いた禍いだった。」 と結ばれる。

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「日本の橋」

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              「日本の橋」に出てくる熱田の裁断橋(大正初年頃)
 
 
  「十八になりたる子をたゝせてより、
   又ふためともみざるかなしさのあまりに、いまこのはしをかける成、・・・」
 
 
保田興重郎の名作、「日本の橋」の終りのところに出てくる文である。
天正18年、小田原の戦に豊臣秀吉に従って出陣、
戦死した堀尾金助という若武者の33回忌の供養のために
母親が橋を架けたことを印した銘文が紹介されている。
 
この文は、名古屋市熱田の町を流れている精進川に架けられた
裁断橋の青銅擬宝珠に印されていて、
本邦金石文の中でも名文の第一であると保田興重郎は書いている。
日本の優れた橋の文学の唯一のものであるとも。

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123から吉野川YEARへ

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10年目の1月23日は2度と来ない。
記念イベントを明日に控えてさまざまの感慨が経巡っていく。

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私の上に降る雪は

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  これが私の故里だ
  さやかに風も吹いている
  心置なく泣かれよと
  年増婦(としま)の低い声もする
 
  あゝおまへはなにをして来たのだと・・・
  吹き来る風が私に云ふ

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東雲の空に

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大晦日日本列島は大雪と暴風に見舞われた。
嵐の中に2010年の新年は明けた。
明けた東雲の空を茜色に染めて太陽が上った。
 
「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている。」
司馬遼太郎「坂の上の雲」の冒頭の言葉が浮かんだ。
新年となり、日本という国は
開化期ならぬ改革期を迎えているのではないか、と思う。

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おせち

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「○○出版社ですが・・・」
 
あっ、また本の営業の電話だなと思い、
もう本を置くスペースなど、これっぽっちも無いので
けっこうですと言いかけた。
 
すると、
「実はお願いがあるんです。
NPO法人里山の風景をつくる会のホームページに出ている
『おせち』の写真を使わせてくれないでしょうか」と言う。

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時は巡りて

 

 
 
「10年目の123」というイベントが開かれようとしている。
 
2000年1月23日、
それは吉野川第十堰を残しておきたい!という
強い思いを実現するために、住民投票が行なわれた日だった。
 
結果90%の市民が「残しておきたい意思」を高らかに示した。
あの日が未だ脳裏に鮮明な人にも、かすかに記憶している人にも、
聞き及んだことのない若い人にも、同じく時が流れて2010年1月23日が来る。

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“里山”の発見

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言葉が与えられることにより、それまで気に留めなかったものが輝き始める。
 
「里山」という言葉に、私はそんな不思議な力を感じる。
子どものころから見なれていた風景が、この言葉を得たことにより普遍性をもち、
魅力あるものとして輝き出したのである。

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閑休小話 ことば

 
 
 「ことばは意味であり社会的事実である。」
 「生きたことばはその折々に人々の精神を反映する。」
 
近代言語学者のガーベレンツやソシュールはそう言ったそうな。
 
11月28日の本欄でも阿波弁が取り上げられていたが、
私も書かせていただく。
 
 
松山出身だった父親、国語の時間に生徒に「古事記」を教えようとして、
こじきと発音した途端にどっと笑い転げた腕白男児、
 「先生乞食って何ぞな? ここにはおらんぞなもし」。
坊ちゃん気取りでからかったとか。
 
家族相手に何度も何度も発音して練習していたが、
意味が通じなければ、やはり言葉学者としては失格だったかもしれない。

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ほろりほろほろ

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歌人の斎藤祥郎さんが亡くなられた。

  青年のこころつかめぬ日の多し 
  板書のチョーク音たてて折る
 
長らく教師として務められ、私も高校で国語を教えていただいた。
歌詠む人であることは、当時全く知らなかった。
バンカラな校風であったので、
いつも冷静で紳士然とした斎藤先生には
肌が合わなかったのではないかと思う。
 

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時を動かす 八ッ場ダム

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どこまでも続く梅の花が満開だった。
 
奈良県月ケ瀬村の梅林、はるか昔の記憶の底にその美しい風景が蘇る。
高山ダム建設のためにやがてダムに沈む村と聞き訪ねたのであった。
昭和35年、全国的にダム建設が上昇気流に乗り始めた頃のことである。
八ッ場ダム計画もそんな古い時代からの遺物なのだと改めて思う。

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「村の写真集」― ダムに沈む村

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美しい自然の風景につつまれた山あいの村、花谷村。
その村にはダムの計画が進んでいて、
やがて水の下に沈むことになる村の全ての家族を写真に残すことで
花谷村の美しさを伝えようとする一徹な写真屋。
旧式のカメラをかついで山道を行き、
一戸一戸訪ねて歩く村の写真館の主人の姿を描いたのが、
映画「村の写真集」である。

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四国の森づくりフォーラム

 
 
「四国の森づくりフォーラムinとくしま」が近づいている。
今から5年前、”四国はひとつ 四国の森はひとつ”をスローガンに
「四国の森づくりネットワ-ク」が発足した。
疲弊する森の現状に、
NPO等市民団体・森林管理局・県が力を合わせて
打開の智恵を出し合おうと出発したものである。
シンポジウムは毎年各県を回り、今年は徳島が開催県、
さて努力の実りはいかに?

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崖の上のポニョ

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                                    鞆の浦の風景
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                                工事完成後の予想図
 
 
宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」の構想を練ったのは、
広島県福山市の鞆(とも)の浦であった。
港を見渡せる小高い丘の上の古い民家に二ヶ月間滞在し、
一人で自炊しながら、海を眺めてスケッチしたり、
町や林を散策して過ごしたそうである。

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私の本棚

 
秋だから読書について書かなくては。
父親が本には目のない人だったから借家の家がつぶれそうになるまで、
食べるものがないよと母が嘆くまで本が増えた。
地震対策も不十分だったけれど、幸いつぶされることもなく本の谷間に暮らしていた。
その背表紙を見ているだけでくつろいだ。

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本をもって町に出よう

 
 
  「人は家の中にいるために家をつくる。そして、人は家から出るために、
   同じように家から出てきた人たちと会うために、都市をつくる」
                             (オルテガ・イ・ガゼット)
 
人と人との出会いの場としての都市の魅力が失われてきているように思う。
その魅力を取り戻すことが「都市の再生」とか「中心市街地活性化」なのであろう。
 
かつて寺山修司は「書を捨てよ、町に出よ」と言った。
未知のものに出会い、ぶつかり、たとえ傷つくことがあったとしても、
きっと本を読んでじっとしているよりも面白い人生になるんだよと
私は勝手に解釈していた。

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続・市民の力こそ!

 
本屋の店頭では政治関連の本が売れに売れ
思わぬ政治本ブ-ムが起きているという。
政権交代による新しい政策への転換は、
市民自らをして何かをせずにはおれない気分にさせている。
さて何から行動を始めよう?

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グッドルーザー(良き敗者)

 
「勝ってもかぶっても緒をしめよ」と言ったのは、
元世界チャンピオンのボクサー藤猛である。
日系3世で日本語が不自由だったので“かぶと”が“かぶっても”になってしまった。
ユニークな日本語と愛嬌のある性格で多くのファンから親しまれた。

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市民の力こそ

 
暑い夏の熱い選挙から10日が経つ。
政権を変えたのは主権者である私たちだが、
正直選挙の直後には、今までと大して変わらないとも思っていた。
今まで自分が関わってきた市民活動では、
市民の力は不燃焼のまま終わり
「政策」として生かされる事はほとんどなかったからである。
 
 
ところがである。
日が経つにつれて、市民が真価を発揮して、
賢い市民が賢い政策を提言していけば
平成の維新は必ず実現できるはずと期待が膨らんでいる。
そのためには新しい政権にマニフェストを守れと攻め寄るのではなく、
共に実現していく決意と協力体制が必要だと思う。
 
 
地域が元気にならなければ国に元気は及ばない。
地域を元気にできる市民の力とは?
難しい定義はいらなくて、一言でいえば
「生活者としてこうしたい、こうすればできるよ、だからやろうよ」、
そして
「その仕組みや方法を編み出して実現に導こうよ」ということであると思う。
自分がかかわってきた市民活動から、
実現可能な提言をしていける時が来たことを実感している。

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菊花の約(ちぎり)― 総選挙に思う

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                  雨月物語 〔菊花の約〕(石田彰朗読CD) より
 
 
 
「青々たる春の柳、家園(みその)に種(うゆ)ることなかれ。」
 
上田秋成作『雨月物語』の中の「菊花の約」の出だしである。
軽薄な人とは交わってはいけない。
柳は茂りやすくても秋の風に耐えることはできない。
軽薄な人は親しみやすいが去るのも速やかだ。
柳はそれでも春が巡ってくれば葉を美しく染めるが、
軽薄な人は二度と訪ねて来ることはない・・・と続く。
 
儒学者の左門と軍学者宗右衛門の二人の友愛の物語。
旅先で病に苦しむ宗右衛門を一心の介抱で助けた左門、
二人は不思議に気心が合い、兄弟の約をかわす。
回復した宗右衛門は、
重陽の節句(旧暦の9月9日)には必ず帰ってくる、と言い残し旅を続ける。
 
やがて約束の日となり、菊の花を生けて待つ左門であるが待ち人は現れない。
夜になり戸を閉めようと外に出ると、
おぼろげな影の中に人が見えて、それが宗右衛門であった。
「実は自分はもうこの世のものではありません」驚き訳を聞く左門。
城主に幽閉され約束の日に帰れなくなってしまい、
魂ならば一日に千里をという古いいいつたえを思い出し、
自刃して約束を全うしたのだと語る宗右衛門。
 
左門は翌日、宗右衛門の死んだ出雲に向かい、無念の友の仇を討つのであった。
かくも友愛の情は深いものであろうか、
兄弟の信義の篤さを語り、「菊花の約」は結ばれている。
 

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アンケ-ト結果を生かしたい!

 
 
「この国のかたち」が問われる衆議院議員選挙日が近い。
この本の著者司馬遼太郎は地下でどんな感慨にふけっているだろう。
歴史、文化、思想、哲学あらゆる分野にわたり
優れた日本人論を築き上げた司馬遼太郎、
彼にあやかり、揺るがぬ理想の「この国のかたち」を作りたい。

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ふるさとに還る

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パリを流れるセーヌ川に80年ぶりにサケが戻ってきたという。
 
昔、セーヌ川にはサケが普通に泳いでいた。
パリは北緯49度で、北海道の稚内よりまだ北なので
サケが泳いでいても何の不思議もないのである。

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8月に書く

戦争は嫌だ。戦争をしてはいけない。
父が亡くなって15年、今母を送ろうとしている。
徳島の8月はぞめきの夏、待ちに待った阿波踊りが訪れるが、
黒い雨の降った灼熱地獄と、地獄の果てに迎えた終戦が8月であるがゆえに、
父と母のたどった人生も多くの人に通じるものとして、書いておきたいと思う。


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廃市

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「・・・さながら水に浮いた灰色の棺(ひつぎ)である。」 (北原白秋『おもひで』)
 
それは7月の終わりから8月にかけての一夏の出来事であった。
卒業論文の執筆のためにある町で過ごすことになった
青年の手記の形で物語が進んでいく。

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棚田と水源と虹の橋

                            吉野川の源流
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豊葦原瑞穂の国大和と言う。
3500年の稲作の歴史を持つ豊かに穀物の実る島とは、
古事記や日本書紀を持ち出すまでもなく、
天まで届くような棚田に立って自ずと実感した。
 
7月の風が吹き渡り、
今まさに稲穂をはらまんとする葉の重なりは
濃い緑のじゅうたん。
側溝を流れる水は澄んで冷たく
一面の棚田を潤している。
この水はどこで生まれる?

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腹時計のセンス

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昔から腹時計にはいささか自信がある。
15分ぐらいの誤差で、時間が分かるのだ。
絶対音感というのがあるそうだが、私の場合は“絶対時感”。
体内時計の感度がいいのであろう。
 
朝起きるのも、明日は何時に起床すると心に念じておけばその時間に目が覚める。
旅行などでどうしても朝早く起きなければならない場合、
家中を探して目覚まし時計をセットすることがある。
しかし、たいていというか必ず15分前には目が覚めて静かにセットを外すのである。

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ふたたび宝の山に

 
 光る地面に竹が生え、青竹が生え、・・・地上に鋭く竹が生え、
 まっしぐらに竹が生え・・・竹、竹、竹が生え、
と歌ったのは萩原朔太郎だった。

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里山の風景をつくる

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                             Photo by HIROMU SORA
 
 
空(くう)を切り裂くようにホトトギスひと声、雑木の林を渡って行った。
 
ここしらさぎ台は、雑木林に隣接している宅地が多い。
芽吹きの春、緑滴る夏、紅葉する秋、冬木立。鳥が鳴き、四季が移ろう。
天突くばかりに育った広葉樹の林は、昔の里山を彷彿とさせるが・・・。

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六月

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梅雨空の間から強い夏の日差しが顔をのぞかせる。
三年前に亡くなった茨木のり子さんに『六月』という詩がある。
 
  “どこかに美しい村はないか
   一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒(ビール)
   鍬(くわ)を立てかけ 籠を置き
   男も女も大きなジョッキをかたむける”
 
男と女がともに働き、そして汗をぬぐいながら農作業のあとのビールを楽しむ。
今どきの屋上ビアガーデンでは詩のような情感にはならないだろう。
やはり緑あふれる美しい村が似合っている。

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生まれてくれてありがとう

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エリザベス・テイラーが少女のころに主演した映画『緑園の天使』。
イギリスの小さな町に住む馬好きの少女ベルベット(テイラー)とその家族の物語だ。
イギリス第一の競馬大会、グランド・ナショナルに愛馬を出場させることを夢見る娘
ベルベットを母親は温かく見守る。
やがて大会がせまり、思いもかけぬことが待ちうけていて・・・。
 
母親を演じたアン・リヴェールがオスカーの助演女優賞を受賞した
1945年のこの米映画は、家族の成長を見事に描いていて、
日本でもファンの多い作品ではないだろうか。
 
しっかり者で夫を上手にコントロールしながら、
子どもの個性を花ひらかせる母親の姿は、国や時代を超えて私たちの胸を打つ。

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生物多様性って何?

 
 
思いがけず「ぞめき」の宴に参加できることになった。
 
徳島に住んで45年になろうとしている。
信州育ちには海かと見紛うばかり広大な吉野川。
川面に落ちる夕陽に感動した。
「悠揚流れ往く吉野川に静かに釣り糸を垂れることもできます!」
と結婚通知に書いた。
水に跳ねた銀色の魚の鮮やかさ、吉野川が故郷になった瞬間。
 
徳島で生き生かしてもらいつつ、常に自立した市民でありたいと
身近に起きる環境の問題には真っ直ぐに一途に向き合ってきた。
思いを言の葉に乗せてお伝えできれば幸いである。
 
WWF.jpg
                                      Image by WWF Japan

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ぞめき

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コラム「ぞめき」を書き始めて5年になる。
2004年6月1日にスタートしたので、明日が日曜で夕刊がお休みということもあり、
今日5月30日が丸5年の最後にお届けするコラムとなる。
 
「ぞめき」は13人の筆者が順番に書いている。
つまり、各筆者が月2回のペースで執筆しているので、
年24回として5年間に120編のコラムを書いてきたことになる。
 

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つみきのいえ

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水面がだんだん高くなって、ある朝目覚めるとベッドの足が水に浸かっていた。
老人はその家の屋根の上にレンガを積んでもうひとつ家をつくろうとする。
ちょうどつみきを積み重ねるように・・・。
 
 
アニメーション作家、加藤久仁生さんの『つみきのいえ』は、
地球温暖化を招いた人間の愚かさへのいましめのようでもある。
しかしそんな環境の中でも生き続けようする人への温かいまなざしが感じられ、
とても印象的な作品である。
アカデミー賞短編アニメ賞やフランスの国際アニメーション映画祭の最高賞など
数多くの受賞に輝いたのもうなずける。
 
人は思い出の上に生きている。
思い出をひとつひとつ積み重ねていくのが人生であり、
その思い出といっしょに住むことができるのがほんとうの家ではないだろうか。
そんなメッセージを私は『つみきのいえ』から受け取ったのであった。
 

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幻のピアノ

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フィレンツェのクリストフォリがピアノの原型を生み出してもうすぐ300年。
ピアノはなくてはならない楽器となり、人の心をとらえて離さない。
 
現在、世界の音楽ホールで開かれるコンサートで、
使用されるピアノの90%がスタインウェイだという。
1000人を超えるような大ホールでは、
きらびやかな音でよく響くスタインウェイが好まれているのだろう。

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満開の桜の下で

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四月は出発の季節である。入学式、そして入社式。
満開の桜の下、新しいスタートの場についた人も多いのではないだろうか。
 
運よく希望どうりの場所に立つことのできた人、
又志とは異なるがまずまずのスタートを切った人。
逆に志に殉じて雌伏を決めた人。
様々な決心が桜の花といっしょに舞い乱れる。

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野球の神様

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40年前のことである。
三沢高校のエース、太田幸司投手の夏の甲子園大会決勝、
18回引き分け再試合という手に汗にぎる熱戦を見た。
受験勉強に明け暮れていたそのころの私には、
同い年の太田幸司投手の活躍がとてもまぶしかったのであった。
 
大学に入った私は、
身体検査のときにアメリカンフットボール部への入部を強くすすめられた。
高校での経験者がほとんどいないアメフトならレギュラーに必ずなれるし、
国立大学でもこの競技なら日本一にもなれると。
 
しかし、私は硬式野球部に入ることに決めた。
アメフト部への入部をすすめてくれた先輩のみけんに、
大きな三ヶ月形のキズがあったこともその理由ではあったが、
何より太田幸司投手のさわやかな笑顔が忘れられなかったからである。
 
太田幸司投手のようにグランドで美しい汗をかくんだ。
しかし私のその淡い期待はもろくもはずれた。

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失ってはならない ― 東京中央郵便局

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                      東京中央郵便局 (改修イメージ図)
 
 
東京中央郵便局の建て替え、再開発計画が問題となっている。
 
2月26日の衆議院総務委員会で、
民主党の河村たかし議員の「中央郵便局は奥山の巨木」のように貴重な建築である、
という発言に対して、鳩山邦夫総務大臣が次のように答えている。
中央郵便局を壊すのは「トキを焼き鳥にして喰ってしまうようなこと」であると。
 
 
又、3月2日取り壊し工事の現場を視察した鳩山大臣は、
「利益追求主義で文化を壊していいのか。国の恥で国辱ものだ」とも述べている。
 
鳩山邦夫大臣が文化について語るのは、私としてはとても違和感があるのであるが、
今回の一連の発言にはうなづくことが多い。
けっして上品なもの言いではないけれど。

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エコかっこいい

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「エコタウン徳島をめざして」のワークショップも佳境に入ってきた。
 
これまで『食べる』『住まう』とやってきて、3回目の『動く』がこの22日に開かれた。
 
今回は、香川県で公共交通を育てる活動をしている
「ぐるっと高松」の宮本美枝子さんに基調報告をしてもらった。
宮本さんは市民の足である琴電が廃止になることを聞き、
市民、行政に呼びかけ、公共交通の大切さを再認識してもらった。
市民の熱心な取り組みが実を結び、電車の存続再生が決まったのであった。
 
ひとりではできないことでも、気づいたことを人に話し、仲間を増やす。
そして市民・行政に広げて夢を実現する。
その一歩一歩が実に楽しそうで、お話を聞いていても納得、納得の連続であった。

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モーターサイクル・ダイアリーズ

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「川が見えるだろ。この川は患者たちを閉じこめているんだ。」
 
パーティを抜け出したエルネストは川に飛びこんだ。
めざす向こう岸にはハンセン病者たちの村があった・・・。

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1月23日のワークショップ

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ワークショップは、参加した人たちの思いが重なりあい、
るつぼの中で解けたあとに結晶のようなものができ上がる。
参加した者全員がそのことを実感できるのが、
何にも替えがたいワークショップの魅力だと思う。
 
9年前の今日、2000年1月23日、
吉野川第十堰の可動堰化の是非を問う住民投票が徳島市で行われた。
それは、投票率が50%を超えなければ、
開票せず焼却処分にしてしまうという条項が付いたものであった。
 
住民の意思を問うべきであると主張した市民たちは、
どうすれば50%以上の人が投票に行くか、ということをテーマに
ワークショップを開いた。いろいろなアイデアが出され、そして全てが実行に移された。

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橋のない川

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            住井すゑ 『橋のない川』 新潮社
 
 
昭和時代が終わったのは、ちょうど20年前の今日である。
1989年1月7日、昭和天皇が亡くなった。在位64年、87歳と長寿であった。
 
その天皇よりも長生きするのだ、と作中の人物に言わせた作家の住井すゑさんは、
それより8年後の1997年に亡くなった。95歳であった。
 
代表作『橋のない川』で住井すゑさんは、いわれのない差別に苦しみながらも、
それを乗りこえていこうとする小森部落の人たちを描いた。

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加藤周一さんの置土産

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「手練の槍は夢中というものでない。
これはいくらでも殺せるということがわかったとき、殺すことの空しさもわかった。
いや、そう考えるまえに、腕がおのずから動いて刺し殺す、
その腕の動きに覚える無上の快がおそろしくなったのだ。
                                (加藤周一『詩仙堂志』)

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エコタウン徳島 ― 『食べる』

 
 
 
『古事記』にイザナギ、イザナミが国産みをする場面がある。
始めに生まれるのがオノコロ島(淡路島)で、次に四国が生まれる。
 
 
四国は「身一つにして面(顔)四つあり」の姿で、
それぞれに男女の名がつけられた。
 
讃岐は男性で飯依比古(いいよりひこ)、
阿波は女性で大宜都比売(おほげつひめ)と呼ばれた。
大宜(おほげ)は大食(おほけ)で食べものが豊かな国という意味である。
土佐は建依別(たけよりわけ) ― 雄々しい男という名であり、
伊予は愛比売(えひめ)で、いい女という意味で、現在の県名になっている。
 
何となく四国四県の性格があらわれているようで、
神話とはいえなるほどと思うのである。
 
 
大宜都比売は五穀の神様であり、現在も神山の一ノ宮大粟神社に祭られている。
讃岐の飯依比古は、その食べもの(五穀)にたよるのであり、
讃岐男に阿波女の神話版といえようか。
 
おそらく、阿波の国は温暖で雨も多く、
古代より食物の生育に恵まれた土地であったのだろう。
 

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坂本龍馬の日

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オバマさんがアメリカの次期大統領に選ばれた。
女性大統領はともかく、
初の黒人大統領がこんなに早く生まれることになるとは予想しなかった。
ブッシュ現大統領が最大の功労者と考えられなくもないが、
アメリカのいきづまりが、時代のスピードを少し早めたといえるだろうか。

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T君の死

 
 
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徳島県の都市計画課長を務めていたT君が自死した。
新町西地区再開発をめぐる県市の対立の板挟みになり、
悩んでいたのではと報道されている。
 
 
T君とは、高校の同級生であった。
成績優秀で知られたT君は、東大に現役合格し、
やがて工学部の建築学科へと進んだ。
東大卒業後は、民間の会社勤務のあと徳島県庁に入り、
主に住宅行政と都市計画の分野で仕事をしていた。
 
T君と同じころ徳島に帰ってきた私は、
県庁で会ったときなどに立ち話をするぐらいで、
それほど親しいわけではなかった。
ただ同い年であり、共に建築学科で学んだこともあり、
T君の仕事ぶりを見ながら、自分も同じ可能性を生きていたと言えるだろうか。
 
つまり、私自身は建築事務所を主宰し、民間人としてやってきたが、
もし立場が違っていたらT君と同様の歩みをしていたのではと思うのである。
そういう意味で、今回のT君の自死は、全くの人ごととは思えないのである。
 

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こんなにたくさん男前がいるのに

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                                  白磁の壷
志賀直哉 旧蔵品 (朝鮮時代・17世紀 大阪市立東洋陶磁美術館)
 
 
 
秋の風にさそわれて京都を訪れた。
 
お目当ては、京都国立近代美術館で開かれている
「アーツ&クラフツ展-ウィリアム・モリスから民芸まで」である。
中でも志賀直哉が身近に置いていた李朝の白磁の壺がぜひ見たかったのだ。
 
 
李朝の陶磁器は、柳宗悦らの民芸運動のルーツであった。
 
会場には、「用の美」の実験の舞台であった三国荘の室内が再現されていて、
柳らといっしょに活動した濱田庄司や河井寛次郎、黒田辰秋らの作品が、
朝鮮の民具などとともに並べられている。
いささか暑苦しい感がしないでもなかったが、
少し離れた所に置かれている白磁の壺の清涼さがひときわ印象的であった。

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目神山の家

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あぜ道に咲く曼珠沙華が秋の訪れを告げている。
 
早いもので、このコラムも書き始めて4年になる。
時折、旧知の方から「ぞめき」読みましたよ、と手紙をいただいたりする。
とてもうれしいものである。
 
より多くの方の目に触れるようにと、主宰している建築アトリエ、
そして仲間と共に立ち上げたNPO里山の風景をつくる会のホームページにも
転載させてもらっている。
 
さて、そのホームページの「ぞめき」を読んだ西宮市の
甲陽園に住むMさんからメールが届いた。
  「突然のメールで失礼します、
   今年4月22日の『回帰草庵』を読み、感激しました云々」
とつづられている。
 
 
Mさんは、昨年亡くなられた建築家石井修さんの自邸である
『回帰草庵』(目神山の家1)を見学する機会があり、
その素晴らしさに心を打たれたという。

そして半年後に、石井さんの一連の住宅のうち、
「目神山の家7」が新しい持主を探していることを知り、
即断で購入を決めたのだそうだ。
 
そのメールには、
回帰草庵の隣に立つ「目神山の家2」の見学会が近々開かれること、
そして自身の「目神山の家7」も修復中であるが、よければ内部を見てもらってもいい
と書き添えてあった。私は迷わず、ぜひお願いしたいですと返信したのであった。

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新しい社会のつくりかた

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                       田中優  2005.07 合同出版
    『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』
 
 
また9.11が巡ってくる。
 
WTCビルが炎上する光景を現場で見たミュージシャンの坂本龍一さんは、
その年のうちに世界中の人たちのメッセージを集めて本をつくった。
 
『非戦』と名付けられたその本には、
アメリカ議会でブッシュ大統領の武力行使にただ一人反対した
バーバラ・リー議員の演説や
マーティン・ルーサー・キング牧師の「暴力の究極の弱点は
破壊しようとする当のものを生み出してしまう悪循環でしかないことだ」
という文章などが載せられている。
 
日本人では、アフガニスタンへの米軍による空爆で
「邦人退去勧告」が出され、退去を余儀なくされた
ペシャワール会の中村哲さんの「私たちは帰ってきます」という文章、
そしてテロを廃絶するためには、
テロを生み出すその背景を見なければならないと主張する
田中優さんの「忘れてはいけない」などが載せられている。
 

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ベランダ

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花火って、こんなにきれいだったんだ。

私の家のベランダは東側にあるので、
津田の納涼花火大会の花火がよく見える。
 
東隣りの家が半年ほど前に解体され、
新しい家が建つでもなくそのままになっているので、
今年の花火は格別よく見えたのである。
 
いつもは物干し場としてつかっているベランダも、
洗濯物を片付けると立派な夕涼みの場所になる。
 
夜風を浴び、暑かった今年の夏のいろんなできごとを思い出しながら、
夏の終わりの花火を楽しんだのであった。

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幻想的な光のランドスケープ

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新町川水際公園のふれあい橋で、LEDのランドスケープ照明が始まりました。
 
点灯式のあった8月4日の夜、
橋の舗石ブロックに埋め込まれた2000個のLEDが光り出すと、
つめかけた市民たちは、その幻想的なあかりに魅了されたのでしょう、
静かにどよめいたのでした。
 
 
子供たちは初めて見る光景に驚き、
波のように明滅しながら動いていく光のあとを追いかけていきます。
娘さんたちは、宝石がちりばめられたような
ふれあい橋と水際公園の光をまるく囲んで、
不思議な透明感のあるそのあかりに見入っています。
 
集まったどの人たちも胸の高なりを覚えて、心なしか上気しているようです。
それは熱帯夜のせいではありません。
 
何かこれまでとは異なることが徳島のこの場所で始まった、
その瞬間に立ち会えることの喜びと興奮によるのではなかったでしょうか。

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望郷のバラーデ

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             高樹のぶ子 『百年の預言』  2000年 朝日新聞社 
 
 
 
「百メートルをマラソンのようにしか走れない男と、
 マラソンを百メートル競争のように全力疾走し、
 たちまち心肺が悲鳴をあげてしまう女」の恋愛。

髙樹のぶ子さんの小説『百年の預言』は、1980年代チャウシェスク政権の末期、
つまりルーマニア革命直前の東欧を舞台にくりひろげられる。
 
外交官・真賀木奏と美貌のヴァイオリニスト・走馬充子の恋の物語であり、
音楽小説ともスパイ小説とも呼べるだろうか。
 
 

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追伸 原秀樹徳島市長様

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四国地方は梅雨が明けたようで、連日30度を越える暑さが続いています。
 
 
この7月3日に、市役所主催の新町西地区再開発の説明会が行われました。

夜7時から9時までの予定が、11時を過ぎるころまでかかり、
それも休憩なしだったので、ほんとうにくたくたになりました。
おそらく、質問に答え続けた市の担当者の疲労は
極限に達していたのではないでしょうか。

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火花

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「もし誰か、この地上で地獄を見たいと欲する者があるならば、
夜の一時か二時頃の重病室を見られるようすすめる。
鬼と生命との格闘に散る火花が視覚をかすめるかもしれない」
 
                       (北條民雄『癩院記録』)
 
 
オリンピックが間近にせまった中国からの報道に私は目を奪われた。

北京五輪の組織委員会は、外国人への法律指南書を出し、
どんな外国人は入国できないかの注意書きに、
テロリストとともに麻瘋病(ハンセン病)の患者を挙げているのだ。
 
「One World One Dream」、北京五輪のキャッチフレーズが心に空しく響く。

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拝啓 原秀樹徳島市長 様

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梅雨入りしたとはいえ、雨あがりに浮かびあがる眉山の姿は
緑の濃淡がじつに美しく、さわやかに輝いています。
 
小さなころより眉山を見て育った私は、
どんなに遠くまで遊びに行っても、
眉山の姿さえ見られれば帰る方向が分かったものです。
 
 
たまに東京に出張しますが、
林立するビルの谷間から見えるのはまた別のビルばかり。
山の姿を望むことはできません。
 
都会での一日は、故郷よりうんと疲れます。
所在のなさ、といった不安定感がついてまわります。
徳島に帰り着き、吉野川を渡り、雲の下に横たわる眉山を見て、
やっと落ち着きを取りもどすのです。

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カラマーゾフの兄弟

 
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これまで読んだ本でいちばん面白かったのは、と問われたら、
迷わずドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を挙げる。
 
学生時代に、三日三晩、食べることも寝ることもほとんど忘れて
「カラマーゾフの兄弟」を読みふけったことがある。
 
後にも先にもこんな経験は初めてであった。
 
 
その時読んだのは、米川正夫訳の河出書房版「ドストエーフスキィ全集」である。
時々県立図書館で探すのだが見つからない。
ロシア文学のコーナー自体も小さくなって、
昔程読まれなくなったのか、と寂しい思いをしていた。
 
ところが、最近「カラマーゾフの兄弟」が、時ならぬブームになっているという。
亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫全5巻が昨年完結し、
総計40万部近い売り上げで、古典として異例のベストセラーというのだ。

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北斎の風景

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                                  『富嶽三十六景』
 
 
絵師、葛飾北斎は立ち止まらぬ人であった。
生涯に三万点とも十万点ともいわれる作品を発表しつづけた。
また、作風を変えるにあたって名前を改号すること30回、
家の引越しは何と93回に及び、一日に3回引っ越したこともあるという。
 
 
美人画や風景画などの浮世絵はもとより、
黄表紙、洒落本の挿絵や絵本、天井画など多くのジャンルに腕を振るっている。
 
その中でも代表作は、民衆の表情をユーモラスに描きとめた『北斎漫画』、
そして富士山の姿を様々な構図で描いた『冨獄三十六景』であろう。
 
 
このゴールデンウィークに中央自動車道を走っていて見た富士山は見事であった。
快晴の日の夕暮れどき、
裏富士と呼ばれる甲府側からの富士山は、夕陽をあびて輝いていた。
八合目から上には雪が残り、下に連なる山々は新緑に染まっている。
何度もこの道を通っているが、こんなに美しい富士山は初めてであった。
 
現代と異なり、自動車や飛行機のなかった江戸時代に、
富士山をあらゆる角度から描いた北斎のエネルギーと情熱に
思いをはせたのであった。
 
 
北斎の風景画の特徴は、
そのほとんどに当時の庶民の生活がていねいに描かれていることである。
 
例えば、『冨獄三十六景』のうちの「甲州石班澤」では漁をする父子、
「尾州不二見原」では桶造りの職人、
そして「遠江山中」では大木をのこぎりで切る
木挽(こびき)職人の姿が描かれている。
 
今は失われてしまった江戸時代の風景と生活がそこには描き印されているのである。
 
 
北斎の若きライバル広重が、
代表作『東海道五十三次』で風景の添景として人を描いていて、
そのほとんどが向こうを向いているかうつむき加減であるのと対照的である。
 
北斎の絵では富士と人が対等であった。
人の生活があり、その背景として富士山があった。
 
そして、そのふたつをダイナミックに結びつける、
北斎の絵師としての天才的な構成力があった。
それらのどれを欠いても、北斎の風景画とはならなかったであろう。
 
159年前の今日、5月10日に北斎は亡くなった。90歳であった。
 
「もう10年、いや5年でもいい、生きられたら本当の絵を描くことができるのに・・・」
画狂老人、北斎は最後まで前を見つづけていた。
 
 
 
建築家 野口政司   2008年 5月10日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より


回帰草庵

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年に一度訪ねることにしている場所がある。
 
六甲山の東すそ野の丘陵地に、目神山と呼ばれる所がある。
そこには建築家・石井修氏の自邸である『回帰草庵』が建っている。
 
そして向こう三軒両隣りという風に、
石井さんの設計した住宅が十棟ほど連なっていて、
その道は石井通りとも呼ばれている。
 
自然に囲まれた坂の道を歩きながら
石井さんの住宅を見て回るのを私は密かな楽しみにしているのである。

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美しい町Ⅱ

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                佐藤春夫 『蝗の大旅行』


熊野三山の一つ、新宮の熊野速玉大社の一画に、ハイカラな住宅が建っている。
これは新宮出身の作家、佐藤春夫の東京の旧宅を移築したもので、
現在は佐藤春夫記念館になっている。

春夫の建築好きは、八角形の書斎をもつそのモダンな建物からもうかがえる。

そこには佐藤春夫の作品や愛用品などが展示されていて、
中でもひときわきれいな装丁で目を引かれるのは
『蝗(いなご)の大旅行』という童話集である。

巨大ないなごが地球の上を散歩しているユニークな絵が特徴のその本は、
1926年(大正15年)の発行である。

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物語のはじまり Ⅱ

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                  上 : 洛中洛外図(上杉家本) 狩野永徳筆
                  下 : 上記部分
 
 
京都ではこれまで、数々の景観論争がおこなわれてきた。
 
古くは、京都タワーの美観論争。それから、京都ホテルの高層建築論争。
さらに、鴨川に架けるポンデザール橋のデザイン論争。
最近では、巨大な京都駅建設のスケール論争などである。
そのたびごとに、住民による反対運動がおこっている。
 
さすがに、パリのセーヌ川に架かるポンデザール橋を、
そのまま京都にもってこようとする乱暴な計画は中止となった。
しかし、それ以外は商業資本に屈し、
京都にふさわしからぬ建築が建てられたのであった。

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物語のはじまり

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京都で今、壮大な実験が行われようとしている。
 
昨年9月1日から実施されている「時を超え光り輝く京都の景観づくり」がそれである。
50年後、100年後の京都の将来を見据え、「京都が京都であり続けるために」
どうすればよいかを考えた新景観政策である。

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50年前の暮らし

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                         映画 『名もなく貧しく美しく』 より
 

一枚のモノクロ写真がスクリーンに映し出された。
 
  「この写真に全ての解決策が示されています。」
 
それは、ちゃぶ台のまわりに座ってだんらんしている
懐かしい日本の家族の写真であった。
 
  「50年前の生活を思い出して下さい。そこから学ぶことはたくさんあります。」

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古書肆 後藤書店

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神戸、三宮センター街入口にある古書肆、後藤書店が、この1月14日に店を閉じた。
後藤書店は、100年近く続いた古書店の老舗である。
 
その閉店間近の後藤書店に、お正月休みを利用して訪れた。
文学全集や美術、哲学、宗教書などが山積みにされている。
新本をあつかう書店では、これだけの品ぞろえは難しいだろう。
 
前々から探していた宮沢賢治全集と埴谷雄高全集、
そしていく冊かの建築書を求めた。

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不都合な真実 Ⅱ

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                            アポロ17号から見た地球
 
 
昨年10月、このコラムで映画『不都合な真実』の上映会をしようと呼びかけた。
 
多くの方より賛同の声が寄せられ、今月25日に県郷土文化会館の大ホールで、
市民による自主上映会が開かれることになった。
NPO法人や生活協同組合など、28団体による自主上映組織
「地球温暖化を考える―市民アクション2008―徳島」
が結成されることになったのだ。
 
映画の上映だけでなく、それをきっかけとして、自分たちの生活を見直し、
さらに行政や企業のあり方にまで市民から提案をし、
実践を促していくところまで広げていこうと、
その志は大きい。

様々な団体が結集した。
環境をテーマに活動しているところはもちろん、森の保全活動や国際協力、
消費者運動のNPOなども名を連ねている。
又、子どものための活動をしているグループや平和団体、
有機農業グループまでもが参加している。
 

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逝きし世の面影

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一つの文明が滅んだ。

その文明のことをバシル・チェンバレンは次のように書いた。
「古い日本は妖精の棲む小さくてかわいい不思議の国であった。」
(『日本事物誌』)。
 
また、英国の詩人エドウィン・アーノルドは、次のように語っている。
「(日本は)地上で天国、あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。
 …その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、
 その神のようにやさしい性質はさらに美しく…」
 (来日時の東京クラブでの講演)。
 
渡辺京二氏の大著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)は、
幕末から明治にかけて日本を訪れた二百人近くの異邦人たちの目を通して、
かつての日本の姿を描き出す。
 
そして、世界史でもまれな一回かぎりの有機的な個性としての
“江戸文明”が失われ、その滅亡の上に日本の近代がうち立てられたという。
 
西洋文明を追いかけるあまりに忘れてしまった、
いやあえて否定した過去の日本に、
奇跡のような社会が実在していたのではと考えさせられる本である。

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古い手紙

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              東京中央郵便局 『新建築 1995 現代建築の軌跡』
 
 
家の片付けをしていたら、古い手紙が出てきた。
 
古いといっても、十年程前のものであるが、
日々のあわただしさにすっかり忘れていたのだ。
 
 
それは高校の同級生で、
東京で建築の設計をしているAさんからの手紙であった。
 
自分の建築観とは異なる考え方のつづられたその手紙になじめず、
返事もそこそこに机の中に仕舞い込んでいたものだ。
 
改めて読み返してみて、Aさんのていねいな語りかけ、
想いの深さを充分につかめていなかったことに気付き、私は恥じ入った。
 
この手紙は、もしかしたら十年後の私に向けて書かれたのではないか、
と思われるぐらい今の私の胸に響くのであった。

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カットに負けないで!

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『EDWARD SCISSORHANDS』


 「雪はなぜ降るの?」
 「それはね、遠い遠い昔のお話なんだよ」
 
私の好きなジョニー・デップが出演する『シザーハンズ』は、
雪の夜、眠りつけない少女が、おばあさんからどうして雪が降るようになったかを
聞かせてもらうお話だ。
 
発明家の老人が死んだため、
手がハサミのまま残された人造人間、エドワード(ジョニー・デップ)は、
親切な夫婦の家に住まわせてもらう。
 
天使のような心を持つエドワードだが、
ハサミで何でもカットするので、次々トラブルを起こしてしまう。
心配したパパが、世の中の決まりを教えようとする。
 
 「もし道にお金が落ちていたらどうする?」。

じっと考え込んでいたエドワードは、こう答える。

 「愛する人のために贈りものを買ってプレゼントする。」

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美しい椅子

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The chair
 
 
“椅子の詩人”と呼ばれ、生涯に500脚以上の椅子をデザインした、
デンマークの家具デザイナー、ハンス・ウェグナーが今年の1月26日に亡くなった。
92歳という長寿であった。
 
“世界で最も美しい椅子”といわれ、
故ケネディ大統領が愛用したことでも知られる「ザ・チェア」は素敵な椅子だ。
北欧の長い冬、この椅子に座って木肌のやわらかさ、温かさを感じるだけでも
時間が気持ちよく過ぎていくであろう。

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不都合な真実

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『不都合な真実』


「しばしば人生は、われわれを素足で、裸で、
失われた機会に呆然と立ち尽くさせたまま置き去りにしていく・・・」
 
ノーベル平和賞を与えられることになったアル・ゴア氏が
『不都合な真実』の中で述べている言葉だ。
地球温暖化の危機に対して、世界レベルでの取り組みの必要性を説き、
「一日延ばしは時の盗人」であると。

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オフサイドの美学

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早瀬圭一 『平尾誠二、変幻自在に』 毎日新聞社より
 
 
ラグビーのワールドカップがフランスで開かれている。
まだまだ世界の壁は厚く、日本は決勝トーナメントに進むことができなかった。
 
 
ラグビーは、サッカーと同じくイギリスが発祥の地である。
スポーツのルールやスタイルには、民族・文化の特徴がはっきりと出てくる。
そのきわめつけが「オフサイド」というルールであると思う。
 
 「オフサイド」は、ボールより前にいるプレイヤーはボールを受取ることができない
というルールである。このルールが厳密に守られているのがラグビーだ。
 
 
サッカーの場合は、ゴールキーパー以外の相手チームプレイヤーよりも
ゴールラインの近くにいるプレイヤーにボールが渡ろうとした時にオフサイドになる。
 
これに対して、アメリカで発達したアメラグとバスケットは
オフサイドの考え方がほとんど無い。
 
アメラグでは敵の裏をかいて前方に走り込んだレシーバーにクォーターバックが
ボールを投げ渡して陣地をかせぎ、得点する。
 
又、バスケットにはオフサイドのルールは無い。ゴール下に待っているプレイヤーに
ロングパスが渡りダンクシュートを決めてもかまわないのだ。
 
 
イギリス型は「汚い待ち伏せ」を軽蔑するスポーツとしてルールが練り込まれ、
アメリカ型は、待ち伏せしようが、どうしようが、
ボールをいかに華麗にゴールにぶち込むか、その快感がゲームの原動力になっている。

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美しい国へⅢ

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『週刊朝日』 9月28日号より


 
安倍晋三首相が辞任を表明した。
 
あまりに唐突なその行動を、新聞、テレビなど
いろいろなメディアが大きく取り上げている。
 
ほとんどが否定的で、無責任な辞任劇と厳しく批判している。
 
 
少し違った視点で考えてみたい。
 
 
安倍首相の今回の行動は、若者たちにあるメッセージとして伝わる。
つまり、しんどかったら仕事を辞めてもいいんだよ、そんなに無理をしなくていいんだよ
というメッセージである。

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善き人のためのソナタ

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ジョージ・オーウェルの『1984年』は、オルダス・ハクスリーの
『すばらしき新世界』と並んで、逆ユートピア小説の代表作だ。

『1984年』の中で、オーウェルは全体主義国家による
市民生活の統制・管理の恐怖を近未来小説として描いた。
ところがその小説と同じことが現実にこの世界に起こっていたのだ。

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大山崎山荘美術館

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大山崎山荘美術館 パンフレットより 
 
 
 
なんという素晴らしい眺めだろう。山と川の奥行き感のある風景が目の前に広がる。
 
 
谷崎潤一郎が「蘆刈」の中で、大きな川の中州で月を見ていて
謎の男に出会ったのはあのあたりだろうか。
 
京都の男山八幡、石清水八幡宮のところで、木津川、宇治川、鴨川、
桂川の四つの川が出会い、淀川となって流れ下りていく。
 
 
その壮大な景色を眺めながら、
私は昔読んだ大好きな小説のシーンを思い出していた。

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建築家の幸せ

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「日本のデュドックになりたい」。
 
 
倉敷の大原美術館やアイビースクエア(旧倉敷紡績工場の再生)を設計した
建築家・浦辺鎮太郎の口ぐせであった。
 
 
倉敷の町を代表する建築を造り上げ、
古い伝統的な町並みの魅力を現代によみがえらせた浦辺鎮太郎が、
心の底からあこがれたデュドックとは、どのような人であったのだろう。

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地球家族の家

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                                   地球家族の家
  
今日は素敵な建主のことを話そう。
 

今月十四日に、シンポジウム『まちに森をつくるイン徳島大学―森・里・まちを結ぶ』を開いた。
このシンポジウムは、学生たち若者に森の大切さ、木の家の魅力を知ってもらい、
どうすれば美しい風景がつくれるのかを考えるのがテーマだった。


主催したのはコープ自然派徳島、NPO里山の風景をつくる会などだが、
シンポジウムの後には、太鼓奏者ヒダノ修一さんのスーパー太鼓コンサートが聴けるという、それこそスーパージョイント企画だ。


講演は、吉野川源流の森の木でつくった里山の家“地球家族の家”のオーナー・吉田修さんにお願いした。
演題は「熱血吉田道場―地球家族の家の実践」。

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新しい人へⅡ ― 長屋が生んだ建築家

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住吉の長屋 『GA ARCHITECT8 TADAO ANDO』より



社会に出たばかりのあなたに、ひとりの建築家の話をしよう。
おそらく、その人は、この世に生きる全ての人に勇気を与えてくれるのではないだろうか。


大阪の下町の長屋で育ったA少年は、うでっぷしの強いガキ大将であった。

「ケンカでお金がもらえるのなら」と高校2年の時に近所のボクシングジムに入った。
四回戦ボーイとしてリングに立ち、今の金額にして5万円程のファイトマネーをもらっていた。

しかし、そのジムにファイティング原田が練習に来た。
間近にそのボクシングを見て、「これはかなわない」とショックを受けた。

どんなに努力しても、この人には追いつけないと。


ボクシングに見切りをつけ、自分の内側を見つめた時、残っていたのが、“建築”だったという。

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近未来の風景

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「素敵なマンションが見つかったわよ。建築雑誌にも載ったことがあるんだって・・・」

関西に住む息子のためにマンションを探しに行っていた妻から連絡が入った。

住所を聞き、グーグルアースで敷地を上空から見た。(それにしても便利な時代になったものだ)

中央にプールがあって、九つの棟がそれを取り囲むように配されている。近未来的なデザインが評判の建築家の作品だ。

しかし待てよ、これは何だ。

そのプールの上に白い線が二本見える。写真合成時の線かと思ったが、その線が、南北数キロにも渡って続いている。


もしかして…、私は翌日、現地に向かった。

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貴方達と我々―舟越保武の彫刻

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「病醜のダミアン」  舟越保武 『巨岩と花びら』 筑摩書房より
 
 
 
五年前に、八十九歳で亡くなった舟越保武氏は、戦後日本を代表する彫刻家であった。

「長崎二十六殉教者記念像」や「原の城」など、精神性にあふれた宗教的作品で知られている。

前者はキリシタン弾圧で処刑されたキリシタン二十六聖人の像である。二十六人が今まさに天に昇ろうとしている時の姿を彫刻に刻みとっている。

「原の城」は、天草の乱で全滅させられた三七〇〇〇人のキリシタンと農民たちへのレクイエム(鎮魂歌)で、かぶとを付けた武士のやつれた立像である。埴輪(はにわ)のように目と口に穴が開けられていて、人間の内面をのぞきこむかのような作品である。

作家自身がいちばん気に入っていたのは「病醜のダミアン」である。

ダミアンは、ベルギー人の神父で、三十三歳の時にハンセン氏病の人たちが隔離されているハワイのモロカイ島に自ら志願して赴任した人だ。

神父が患者たちにいたわりと同情の言葉をかけても、誰も聞いてくれない。「貴方達、癩者は」と呼びかけても彼らの心に響かないのだ。

ダミアン神父は、それでも患者たちの生活の世話と治療を続けた。十年たったある時、足に熱湯をこぼしたが熱さを感じなかった。顔や手にその病の兆候が現われた時、彼は初めて患者たちに、「我々癩者は」ということができた。


ダミアンの悲願であった、患者たちへの言葉がやっと通じたのだ。
 
 
このダミアン神父の残された写真を見た舟越保武氏は、恐ろしい程の気高い美しさを感じ、その像を作ったという。

これ以上崩れることはないと思われる顔の中に、美醜を超えた強い気品を覚えさせる彫刻である。

 

さて、舟越保武氏は、文もよくできる人で、『巨岩と花びら』という画文集がある。その中に、東京芸大の最終講義をまとめた「すきやき」と題された文章が出ている。

洗うがごとき貧しさの中で、二晩徹夜で彫り上げた石像を画商の所へ持っていく。やっとのことでお金をもらい、女房と六人の子供にすきやきを食べさせる話である。

芸術家の卵たちに、あえて貧乏話を贈り、あせらず気ながに制作を続けることの大切さを伝える名講義であった。

学生たちにしっかりと向かいあっていた舟越保武氏の姿が偲ばれる。

その腹をすかせて待っていた六人の子供たちの中のひとりが、現在最も注目される彫刻家で、独特の彩色木彫で現代人の孤独を表現する舟越桂氏であった。

建築家 野口政司  徳島新聞夕刊2007年6月6日 「ぞめき」より


ころげ落ちる

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風がほおに気持ちよい、新緑の祖谷を訪れた。
お目当ては、アレックス・カーが築三百年の民家をセカンドハウスとした「ちいおり」、そして昨年、重伝建に指定された「落合集落」だ。

かずら橋は今回は見るだけ、と横を通り過ぎようとした。そのとき、異様な光景が目に飛び込んできた。

渓谷にせり出すようにコンクリートの列柱がそそり立つ。五月の明るい光を浴びてその列柱が不気味に輝いている。
その名も“かずら橋夢舞台”。四十三億円をかけて建設されたイベント広場兼大規模駐車場だという。

「うーん」。私はうなった。誰もこの計画を止められなかったのか?

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20世紀少年

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それは草に覆われた秘密基地から始まった。

少年たちは放課後になると、自分たちがつくり上げた秘密基地に集まる。大人が入ってこられない迷路のような遊び場所。誰のものか分からない草ぼうぼうの空き地がそこいらじゅうにあったころ。

東京オリンピック、大阪万博・・・日本の戦後の復興期、大人たちがその日の糧を求めて懸命に働く中、子供たちはひそかに自分たちの世界をつくり上げ、たくましく生き抜いてきた。

「ビートルズ」「ラブアンドピース」「平凡パンチ」「正義の味方」、そんな1960年代のアイテムをいっぱい詰め込んで描かれたのが、浦沢直樹氏の漫画『20世紀少年』だ。

地球滅亡を企てる謎のカリスマが、小学校の目立たなかった同級生。そして彼から地球を守ろうと集まるのもかつての同級生たち、というのが面白い。

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チゴイネルワイゼン

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ドイツ・ウルム市より音楽家を招いてのウルマー・カンマー・アンサンブル。第3回目となる徳島公演は、この4月15日に開かれた。
 

すっかり顔なじみとなった、ヴァイオリンのベルトークさん、ピアノのウングレアヌさん。そして日本とヨーロッパの橋わたし役を務めてくれるウルム市管弦楽団の磯村さんご夫妻。


春の日本公演は初めてとのことで、桜と新緑の両方を楽しんでくださった。


ドイツの冬は長く、5月に春が訪れたかと思うと、すぐ夏になってしまう。それだけに春への愛おしさは格別で、エルガーの「愛のあいさつ」、クライスラーの「愛のよろこび」など、春らしい恋の曲を中心に奏でてくれた。


毎回恒例のベルトークさんの「チゴイネルワイゼン」は圧巻であった。情熱的で甘美な曲が、華やかな超絶技巧で奏でられる。


そして今年の「チゴイネルワイゼン」は、特に素晴らしかった。ジプシーの旋律という意味のこの曲を、これ程哀感にあふれた演奏で聴くのは初めてだ。

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新しい人へ

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四月は出発の季節だ。


私のアトリエにも、二人の新しいスタッフが加わることになった。
社会への夢や希望と一抹の不安を抱えての出発であろう。
 

私は、入所する若者にいつもこんな話をする。
ベテランには経験という財産がある。そして、君たち若者には可能性という宝物がある。
どちらもが、その財産と宝物を尊重しあい、共に磨いていくことが大切です。
いい建築をつくるという目標に向かって、いっしょに歩いていきましょう、と。


ところで、建築の設計というと、宮沢賢治の童話に「革トランク」という小品がある。


主人公は斎藤平太、体操がへただった宮沢賢治の分身だ。


工学校で建築を学んだ平太は、卒業と同時に建築設計事務所を開く。
お父さんが村長だったこともあって、村の消防小屋と分教場の二つの仕事が舞い込んだ。


(こんなことは実にまれです。)
 

さっそく設計図を仕上げ、工事にかかったが、大工さんたちが変な顔をする。
どうもおかしいな。
 

二つの建物が完成した。ところがである。
分教場の玄関を入って教員室へ入ろうとしたが、どうにも行けない。
廊下がなかったのだ。がっかりした平太は消防小屋へ行った。
二階へ上がろうとしたが、どうしても昇れない。
階段がなかったのだ。


(こんなことは実にまれです。)

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美しき日本の残像

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「日本の一番美しい山の祖谷、伝統芸能200年の天才玉三郎・・・僕は幸せだったと思います。美しい日本の最後の光を見ることができました」


アレックス・カーさんは、東祖谷の築300年のかやぶきの民家をセカンドハウスにした、徳島にもなじみの深いアメリカ人の東洋文化研究家だ。


新潮学芸賞を受賞した『美しき日本の残像』の中で、日本建築や歌舞伎、山水画、書などの日本の伝統文化の素晴らしさをたたえている。そしてその本の最後に、彼は先ほどの言葉をつづった。


失われていく日本の美しさ。その黄昏の時に身をおくことの喜びと、そして深い悲しみが伝わってくる。


1993年に、この本を出してからほぼ10年後に、アレックスさんは『犬と鬼ー知られざる日本の肖像』を書く。


前者がやわらかな日本語でつづられたのに対し、この本は外国向けに英語で出版されたのを日本語に訳したものだ。

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三つの宝

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芥川龍之介の残した本の中で、最も美しいと思うのは、改造社版の童話集『三つの宝』だ。

龍之介の死の翌年、昭和3年の発行である。「白」や「蜘蛛の糸」、「魔術」、「杜子春」など6つの短編童話からなっている。

小穴隆一の挿絵も素敵で、この本自体が美しい宝物のように思える。

表題となった「三つの宝」は、一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマント、鉄でもまっ二つに切れる剣、の三つの宝をめぐるお話だ。

盗人にだまされたのも知らず、三つの宝を手に入れたと思い込んだ王子は、それらのガラクタを身に付けて王女を救いに向かう。

本物の三つの宝を持っている王が、美しい王女を自分のものにしようとしていたのだ。

王と王子の戦いは、当然のように王の勝利に終わる。しかし、王女の心が王子に向いているのを知った王は、二人を祝福し、いさぎよく三つの宝を王子にゆずる。

無敵の三つの宝をもっていても、人の心を奪うことはできなかったのだ。

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モラエスの愛した風景

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「ここは悩みも悲しみもない魔法の土地!永遠の魅惑のうちに紙の家の平安につつまれて、どんなにぼくはここで暮らしたいことだろう!どんなにぼくはここで死にたいことか、・・・・」(モラエス「大日本」)

日本で余生を送ることを願ったモラエスは、すべての官職をすてて、神戸から徳島に移り住む。


彼はポルトガルに残る妹のフランシスカにあてて、609通の葉書を送っている。そのうちの603枚が日本の風景や文化を紹介する絵葉書であった。そして約半分が徳島の風景だ。


鳴門、小松島、祖谷の自然風景や、眉山から見渡した徳島市街の写真など、100年前の徳島の風景がよみがえってくる。


死の前に送った3枚の絵葉書は、帆かけ船の浮かんだ吉野川、そして阿波踊りの写真。“奇抜極マル徳島踊”と印刷の字が見える。最後が新町橋のものだ。


モラエスは「徳島の盆踊り」の中で、新町橋についてこのように書いている。

 「この橋は徳島の心臓部にあり、絵のような水路を一本越えると、山を背景にちかくに家々が立ち並ぶ優美な風景と、何隻かの小船が行き来する鏡のように穏やかな美しい水面が通行人の目に映じる。・・・・」

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母たちの村

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これは本当に現代のことなのか。

超満員で立ち見も出た、徳島ホールでの徳島でみれない映画をみる会の特別映画会。

上映されたのはアフリカ映画の父と呼ばれる、ウスマン・センベーヌ監督の「母たちの村」。

土を塗り固めた住居やモスク、昔ながらのアフリカの美しい村、そして大地から響いてくるような音楽。

しかし、この映画のテーマは深くて重いものだった。

FGM(女性性器切除)、いわゆる女子割礼の理不尽さをうったえ、立ち上がった母たちの姿を描いたものだ。

この2000年も前から続いているというFGMは、現在アフリカの女性、1億~1億4千万人が受けているという。

平均寿命50年として、1日当たり8000人の少女が受けている計算になる。

小刀やガラスの破片、カン詰めの切り取られたフタなどが使われ、出血によるショック死や、何人もを同じ道具で
切除するため、エイズなどの感染症で死に至ることもあるという。

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“シンプル”という贈りもの

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2年前に「ヴィレッジ」という映画が上映された。森の奥の小さな村で起こった事件を、ホラー仕立ての映像で描いた作品だ。


「シックス・センス」のナイト・シャラマンが監督なので、超自然現象がテーマのように思えるが、実はなかなか上質のラブストーリーである。


そのユートピアのような小さな村のモデルになったのが、アーミッシュである。彼らはヨーロッパを逃れてアメリカにたどり着いた、キリスト教の再洗礼派の人たちだ。

 
アーミッシュは、現代文明に背を向け、電気や車をつかわない生活をしている。移動は馬車でし、服装も白か青、黒の無地で、柄物は着ない。とてもシンプルで質素な生活だ。
 

彼らは、映画のように隠うつではなく、とても陽気だ。300年間、ずっとその素朴な生活スタイルを続けている人たちだ。

 

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タウトの愛した日本

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熱海の家 「日向別邸」


「日本は眼に美しい国である」


ナチスドイツから逃れた建築家、ブルーノ・タウトは、シベリア鉄道を経て、1933年5月3日、敦賀に着いた。


翌、5月4日は、タウトの53歳の誕生日だ。

桂離宮を参観したタウトは、先の言葉に続けて、

「今日は、おそらく私の一生のうちで最も善美な誕生日であったろう」と日記に書いている。


タウトは桂離宮を 「世界建築の奇蹟」 と最大限の評価をしている。

亡命の途中で見たギリシャのパルテノン神殿にも比すべき建築であると。


又、日本の民家の美しさを 「日本の田舎には “いかもの” がまったくない。

・・・田舎の家の建てかた、垣根、屋根の形などを見ていると、なるほど貧しさはあるにしても、

しかし決して “いかもの” ではない」と記している。
 

10年程前ドイツを訪れた私は、タウト設計のブリッツ・ジードルンクを見て感動した。

馬蹄形をした集合住宅で、池を取り囲むように住棟がえん曲している。

どの住居からも中庭に池が見え、ひとりでに中庭に誘われ、語らいの場となる心憎い設計であった。

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ザンビアの太鼓

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「ザンビアで太鼓の神様に会ったんです」。


太鼓奏者、ヒダノ修一さんは、忘れられない思い出を語り始めた。


11月26日、大塚ヴェガホールで開かれた、ヒダノ修一・太鼓ソロコンサートでのこと。


ヒダノさんは、1998年、FIFAワールドカップフランス大会の閉会式で太鼓を演奏し、世界的な太鼓奏者として、

自他共に認める存在であった。
   
   
   
アフリカ・ザンビアでの演奏旅行の時、千人以上入れる会場に、定刻になってもほとんど観客が集まらない。
     
そこで外に出て太鼓を打ち鳴らした。
   
すると太鼓好きのアフリカの人たちのこと、みるみる黒山の人だかり。
   
いっしょに会場に入り、満席の中で演奏すると観客は総立ちになって踊り始めたという。
     
  
   
演奏会の休みの日、公園で太鼓の練習をした。
  
すると1人の老人が近くに来て、じっとヒダノさんの太鼓を聞いている。
  
 
  
練習が一段落した時、その老人が小さな太鼓を取り出し打ち始めた。
  
その太鼓から響き出した音は、この世のものと思われなかったという。  

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薪を割る

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薪割り用の斧を手に入れようと思った。

カタログを見て、

工芸品の味わいと、何よりデザインの良さから

スウェーデンのグレンスフォシュの大型斧に決めた。

数日して斧が届いた。

重い。

建築アトリエには何とも不似合いだ。

私に使いこなせるだろうか。

「薪は斧の重さで割るもの、あなたの身長なら最低これぐらいでなくちゃ」

と言った薪ストーブ屋のSさんの

筋肉質の体と愛嬌のある顔が

うらめしく思い出される。

あらためて斧を手に取る。

皮のケースを外すとスウェーデン鋼の鋭い刃先が光る。

斧頭にこの刃を打った職人のイニシャルが刻印されている。

日本の鉋(かんな)や小刀と同じだ。

そういえば、”小信”作の小刀を求めて

東京・上野の刃物屋を訪ねたことがあったよなぁ。

柄はヒッコリー材でできていて、

握りのところで微妙に曲がり、しっくりと手になじむ。

さきほどまでの不安をすっかり忘れ、

今はもうこの斧を使ってみたくて仕方がない。

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美しい国へⅡ

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ロイズ・オブ・ロンドン ( リチャード・ロジャース設計 )


プリンス・オブ・ウェールズ、イギリスのチャールズ皇太子は、伝統的なイギリスの建物や風景が次々と壊されていくのを見て、これではイギリスが滅びてしまうと感じ、次のような美を取り戻すための10原則をまとめた(「英国の未来像ー建築に関する考察」)。

①場所ー風景を蹂躙(じゅうりん)するな
②建築の格づけー建築の基本原則を大切に
③尺度ー小さいものほどよい
④調和ー他と響き合おう
⑤囲い地ーその場所をかけがえのないものに
⑥材料ーそれがあるべき所にあらしめよ
⑦装飾ー細部を豊かに
⑧芸術ー置かれる場所を考えて
⑨看板と照明ー粗悪な看板を立てるな
⑩コミュニティーーそこに住む人の意見を聞け。


前衛的な建築家からは美の強制と反発されたが、チャールズ皇太子の「われわれは美なしに生きることができない」という思想は、BBC放送で取り上げられ、国内外に大きな反響を呼ぶことになる。


時あたかも、大ロンドン市の中心地シティに、建築家リチャード・ロジャースのロイズ・オブ・ロンドン(ロイズ保険会社本社ビル)が建ったころ(1986完工)であった。


私は、話題のこの建築を完成した直後に訪れた。ステンレスの塊から彫り出されたような建築は、とても旧市街地に建つものとは思えなかった。日本のコンビナートの一画にできた、とびきりモダンな未来の工場、というのが正直な印象であった。


リチャード・ロジャースは、レンゾ・ピアノと組んで、パリのポンピドー・センターのコンペを勝ちとった後、このロイズ・オブ・ロンドンのコンペでも最優秀となっている。同じイギリス人建築家ノーマン・フォスターの香港上海銀行と並んで、ロイズ・オブ・ロンドンは20世紀を代表する建築と呼ばれるようになる。


前衛と保守、イギリスでは重量級の戦いが行われている。エンジンが強烈であれば、ブレーキもまた超一流である。


日本のプリンス、安倍晋三首相は「真正保守」といわれる。司馬遼太郎氏に、即席ラーメンの袋のようなと表現された日本の町を、どうしたら元のように美しくできるのか、安倍氏の著作「美しい国へ」からそれを読み取ることはできない。


建築家 野口政司(徳島新聞 夕刊11月6日付 ぞめきより)


美しい国へ

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その年の象徴的な出来事を漢字一文字で表す清水寺恒例の書き納めの文字、今年は恐らく「美」ではないだろうか。


「美」という字は、「羊」と「大」の二文字の組み合わせである。草原に羊がたくさん集まっている様子を表していて、その羊の群れを見て、調和がとれ統一されているのが「うつくしい」と古代中国の人は感じたのであろう。


ところが、別の説もある。「羊」は宗教的祭礼にささげられる動物で、「犠牲」の意味が含まれている。例えば「義」は「我の責任の限りの犠牲」であり、「善」は「儀式の祭具に盛る限りの犠牲」、そして「美」は「大いなる犠牲」の意味である。「美」には、共同体の命運などに対し、人間として行える最大限の犠牲、つまり己が命をささげるという含意があるのだという。


それでは、その「美」という字を使った表題で今話題の、安倍晋三氏の著作「美しい国へ」は、どちらの意味であろうか。新書判、232ページ、原稿用紙300枚ほどのこの本の中で、「美しい」という言葉は意外なことに4回しか出てこない。


「来年、桜が咲く4月頃が一番美しいが、どうか」(父、晋太郎がゴルバチョフに訪日を誘った言葉)


「人々の心、山、川、谷、みんなが温かく美しく見えます」(曽我ひとみさんが佐渡に24年ぶりに帰ったときのあいさつ)


「わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ」(この本の最後のページに安倍氏自身が書いた文)


「如何にして死を飾らむか/如何にして最も気高く最も美しく死せむか」(陸軍特別攻撃隊、鷲尾克己少尉の日記よりの引用)


前の3つは普通の「美」で、4つ目が自己犠牲を含意した「美」であろうか。


安倍氏は鷲尾少尉の言葉に続けてこう書いている。「たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ」


安倍氏のいう「美しい国」とは、どうやら後の意味のようである。


私たち民草は、のんきに草を食べていると、”羊群声なく牧舎に帰り、手稲の頂きたそがれこめぬ・・・”-知らぬ間に祭壇にささげられているかもしれない。


建築家 野口政司(徳島新聞夕刊 10月20日付より)


14ひきのおつきみ

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<いわむら かずお 著 『14ひきのおつきみ』 童心社 1,260円より>


あさって10月6日は中秋の名月だ。


人間以外の動物もお月見をするのかどうか、私には分からないが、いわむらかずおさんの絵本『14ひきのおつきみ』では、ねずみの家族が木の上に月見台をつくってお月見をする。


いわむらさんの「14ひきシリーズ」は、おとうさん、おかあさん、おじいさん、おばあさん、そしてきょうだい10匹の合わせて14匹のねずみの大家族の物語だ。森の中の豊かな自然の移ろいとともに、ねずみたちの生活がやわらかな描線と色合いで描き出されている。


いわむらさんの絵本のことを教えてくれたのは、絵本大好き人間のIさんだ。ご自分の家の設計を頼むとき、こんな家が理想なんですと、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち』をプレゼントしてくれた方だ。


そして、プレールームに絵本がいっぱい置けるIさんの家が完成し、いよいよ明日から引っ越しという日、Iさんは設計のお礼にと一冊の本をくださった。


それが、いわむらかずおさんの『14ひきのひっこし』だった。ねずみの大家族が、森の中の木の根っこを新しいすみかにするために、みんなが力を合わせて巣をつくり、引っ越すお話だ。


その絵本を読んで、私はIさん一家が新しい家を大切にし、みごとに住みこなしていくだろうと確信したのだった。


この「14ひきシリーズ」は、『おつきみ』『ひっこし』のほかにも『あさごはん』『さむいふゆ』など全部で11冊のすてきな絵本集になっている。表紙のカバーを外すと、何と別の絵が出てくるというのがうれしい。


満月の夜、木の上のお月見台で、14匹のねずみたちはおだんごやクリを食べながら、お月さんと楽しいお話をする。そして月の光を顔に受けながら「おつきさんありがとう、たくさんのみのりをありがとう、やさしいひかりをあれがとう」と祈るのであった。


さあ、私もねずみたちのように月に祈りをささげよう。「どうか徳島が、もっともっと美しい町になりますように。見苦しいラブホテルのサーチライトも、いつかはなくなるでしょう。やさしい光で、私たちを照らしつづけてください」。


建築家 野口政司(徳島新聞 夕刊10月4日より) http://www.topics.or.jp


写真家とふんころがし

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<今森光彦 『世界昆虫記』 福音館書店 5,000円より>


写真集 『里山物語』 などで知られる写真家、今森光彦さんの講演とスライドの会に参加することができた。熱帯雨林から砂漠まで世界中を飛び回り、さまざまな昆虫を撮影した 『今森光彦・世界昆虫記』 の中から、特にお気に入りの写真をスライドで見せてもらった。


まず最初はスカラベ(ふんころがし)から。アフリカに8年間通い続けたというスカラベの写真には圧倒される。自分の体の数倍、ソフトボール大のフンボールをつくり、メスを待つオス。メスが気に入って飛んでくると、そのメスをのせたまま、今やウエディングボールとなった球をこん身の力で転がす。頭を大地に突っ込み、逆立ちして後ろ足でフンをける。何十メートルもの距離を運ぶ間、メスはフンの上でそれこそフンぞり返っているだけ。オスがかわいそう。身につまされる。


しかし、古代エジプトではスカラベは神様だ。太陽を信仰していたエジプト人には、丸いフンボールをころがすスカラベが、太陽を運ぶ神様に見えたという。そして、一度大地にもぐり、ふたたび現れるときは新しい成虫に生まれ変わっている。スカラベに永遠の命を見ていたのだ。


そのスカラベの姿をとらえる今森さんの視線はとても温かい。ガンバレ、ガンバレと。


それは、他の昆虫たち、たとえば17年に一度だけ地上に出てくる17年ゼミや、キノコを栽培するハキリアリ、メスに贈り物をするガガンボモドキたちにも同じようにエールを送りつづける。


そして世界最大の花、ラフレシアの開花では、昆虫をとりまく世界の奥の深さ、豊かさを私たちに教えてくれる。


今森さんは、『世界昆虫記』の後 『里山物語』 『湖辺MIZUBE』 『藍い宇宙』など、土地のにおいが美しくひろがる写真集を発表する。生まれ育った琵琶湖周辺の自然環境と人の生活とのかかわりを ”里山” というキーワードで描き出していく。


写真家、今森光彦の誕生である。


無名でお金もなかったころ、ただ無心にスカラベを追い、カメラを向ける。そのレンズには懸命にフンをころがすスカラベに重なり、今森さん自身の姿が映っていたであろうか。あるいは、それはエジプト人の信じた永遠の命、神の姿であっただろうか。


建築家 野口政司  (徳島新聞夕刊 9月16日付より)www.topics.or.jphttp://


となり町戦争

それは9月1日に始まった。学校の新学期ではない。となり町との戦争が始まったのだ。


開戦の知らせは、月に2回配られる町の広報紙に載っただけであった。それも町民税の納期や下水道フェアのお知らせに挟まれるように小さく <となり町との戦争のお知らせ。開戦日、9月1日。終戦日、3月31日(予定)・・・>という簡単なものであった。


そして戦況についてもほとんど知らされず、ただその広報紙の町勢概況のところに、出生数とともに死亡者23名(うち戦死者12名)などと示されるだけである。


ほとんど実態が分からないまま戦争が進んでいくことの不気味さを、三崎亜記さんの小説《となり町戦争》は描き出していく。


戦闘区域の拡大による地元説明会で、どうしてとなり町の人と殺し合いをしなければならないのか、と質問する青年に対して、役所の担当者はこう説明する。「となり町との殺し合いをしているのではなくて、戦争の結果として死者が出るだけです」と。そして「この戦争は、皆さんの代表である議会の承認を受けて進めているのです」とも。


果たして、実際の戦争に対して、議会や行政はストップをかけることができるのであろうか。はたまた私たち市民はどうだろう。


三崎亜記さんは、主人公にこう言わせている。「戦争は、絶対悪としてでもなく、美化された形でもない、予想しえない形で僕たちを巻き込んでいく。その時戦争にNOと言えるだろうか。僕には自信がない」。


一発の銃弾も撃たれず、一滴の血も流れない戦争小説。極めて事務的に役所の事業として進められる戦争。そのリアリティーのなさが、かえって恐ろしさを増大させる。


これからは、市や町の広報紙がどんなにつまらなくても、スミからスミまでしっかり読まなくては。もしかしたら今日、9月1日から・・・。


野口政司 建築家 (徳島新聞夕刊 9月1日付け)


幻の浄土

紀州、那智山から見渡す熊野灘は、押し寄せる波の白さが際立つ。夏の空はあくまで青く、ここに立つと、私たちの住む地球は森と海からできているのだ、と実感することができる。


那智の滝から青岸渡寺、熊野那智大社へと続く奥行きのある風景を眺めながら、那智山を登るとやがて展望所に出る。


これから西は、世界遺産に指定された高野・熊野の深い巡礼の森が連なっている。そして東側は、本州最南端の潮岬から新宮、熊野まで続く海岸線の向こうに太平洋が広がる大風景である。


ここから見える紀州の海の向こうには極楽浄土があるとの伝説があったそうだ。その幻の浄土、補陀洛山(ふだらくさん)にひとり船に乗って旅立つのが補陀洛渡海である。なるほどと思わせる何かがこの海の風景にはある。おそらく後に控える巡礼の森が背中を押すのであろうか。


那智の浜の近くに補陀洛山寺がある。そこに渡海船の再現されたものが展示されている。屋形船を少し小さくしたもので、人ひとりが横になれるほどの小屋が船の上に乗っている。


渡海僧は、30日分の油と食料をたずさえて、外に出られないようにくぎ付けされた船の中で、一灯をともし、日夜法華経を唱えながら、南海の彼方へ船出していったという。


「熊野年代記」などには、貞観10年(868年)の慶龍上人から始まり、江戸中期まで、19回の補陀洛渡海が行われたと記録されている。


しかし、必ずしも悟りをひらいた僧ばかりではなく、近世になると、金光坊という人が途中で逃げ出し、島に上がったところを見つかってしまい、無理やりに入水させられたという話も残っている。このころから補陀洛渡海は伝説となり、実際に行われることはなくなったそうである。


さて、その小さな渡海船を見ながら、私はわずかの食料と片道だけの燃料で出航していった、人間魚雷回天のことを思い出していた。これは現代、ほんの60数年前に行われたことであった。


はたして補陀洛渡海と何かつながりはあったのであろうか。身動きできない操縦席に入り出撃していった彼らに”幻の浄土”は見えていたのだろうか。


目の前の夏の海は底抜けに明るい。

建築家 野口政司 (徳島新聞夕刊8月17日付け)http://www.topics.or.jp


しあわせ通りのカナリヤ

東京では空前のマンションブームだという。それもトーキョータワーズ(地上58階、2799戸)に代表される巨大超高層マンションが中心だそうだ。

負けじと大阪、神奈川でも日本最高層を競うマンションが建設されている。それらの中のあるプロジェクトのキャッチフレーズは ”日本を変える 世界が見える”。 思わず笑ってしまった。

世界を見渡してみると、共同住宅の先達であるイギリスでは、1970年代から基本的に高層住宅の建設を中止している。その背景を幻想的な絵と夢のあるストーリーで描いたのがチャールズ・キーピング作の絵本 「しあわせ通りのカナリヤ」 だ。

ロンドンの下町、しあわせ通りの古びたテラスハウスに住む子ども、チャーリーとシャーロッテは大の仲よしです。

再開発でシャーロッテの家が壊され、彼女は高層公営住宅の最上階に引っ越します。取り残されたチャーリーは、シャーロッテがどの住戸に移ったのか分かりません。見上げても同じ形の建物に単調な窓が続くばかりです。

二人でよく行った小鳥屋で金色のカナリヤを買ってきて育てますが、チャーリーは寂しくてなりません。カナリヤは歌がうたえても、いっしょに話したり遊んだりすることができないのです。

ある時いたずら猫に驚いたカナリヤが逃げてしまいます。チャーリーはカナリヤが高層住宅の方へ飛んでいくのを追いかけます。そしてカナリヤがとまったバルコニーの手すりの向こうには、何とシャーロッテが・・・。

この絵本が出されたのは1967年で、この年の絵本のグランプリ (ケイト・グリーナウェイ賞) を受賞している。

このころのイギリスは再開発により15階以上の高層住宅が盛んに建てられていた。これに対して住み手や社会学者、医学者が痛烈に非難を浴びせかけている。子どもの遊びや健康をうばい、老人の孤独、青少年の環境破壊行為を助長する巨大集合住宅は怪物 (マスハウジング・モンスターズ) であると。

この絵本が出た翌年、ロンドンの高層公営住宅の22階でガス爆発による死亡事故が起こり、ついに大ロンドン議会は高層住宅抑止宣言を出すことになる。これ以後、ロンドンの公営住宅は、接地型の中低層住宅が主流となっていくのである。

50階、高さ150メートルも飛べるカナリヤはいないだろう。日本ではチャーリーは一生シャーロッテを探し続けることになるのであろうか。


建築家 野口政司(徳島新聞 夕刊8月2日)


建築家

”この世の生きものでいちばん危険なのは、建築家だよ。やつらは戦争以上に荒廃に手をかすぜ”

ルノワールに会った日のブレヒトの日記には、ルノワールがこう言ったと記されている。

日本では建築家という概念は必ずしも確立されていないので、ルノワールの言った建築家を建築士、あるいは建築設計者と読み替えてみたい。

確かに日本においても、全国の町の風景を荒廃させている元凶は建築設計者と言えるだろう。どの建物も、小屋などの小さなものを除いて、建築士の資格のない者には設計できないのであるから。責任は重大である。

景観悪化の原因の中には、見苦しい看板や電柱、電線、そして徳島の夜空を汚しているサーチライト光害など、建築設計者以外の要因もあることはある。

しかしそれらは、建築にお似合いとも言えるのである。

建築が真っ当なものであれば、あれほど品のない看板を掛けようとは思わないであろうから。

さて、建築士法を1950年に提出したのは、建築業出身の代議士田中角栄であった。しかも一級建築士のライセンスナンバーの第一号は田中角栄に与えられたという。

その田中角栄が1972年に総理大臣になり、”日本列島改造論”をかかげ、日本国中をコンクリート漬けにしていった。

同時に土建国家のシステムを日本全国津々浦々に蔓延させ、政治資金のルートと選挙の集票マシーンを大小ゼネコンに請け負わせ、政官財学を支配し、キングメーカーとして権力を握り続けたのだ。

建築士はもともと文化や町づくりを担うものとしては想定されていなかったのである。後世、日本の20世紀後半は、田中角栄という怪物的(悪魔的)政治家によって建築家が支配され、利用された時代と呼ばれるであろう。

姉歯建築士の事件も、その暗部が瞬間的に口を開いたと見るべきであろう。建築士(あるいはその妻)の自殺という悲劇を個人的なものとして風化させたり、建築士法の罰則強化で乗り切れるような、そんな単純なものではないと思えるのだ。

どのようにすれば日本の町が美しくなるのか。国民的な議論の中から建築家法といったものを新たに創出し、出直さなければならない時期が来ているのではないだろうか。

建築家 野口政司(徳島新聞夕刊 7月18日付け)


大和安堵村

忘れられない風景がある。その風景が見たくなって旅に出る。

30年前、初めて見たその風景はこの地上のものではなくて、ひとつの焼き物の上に描かれた風景であった。その焼き物、染付の陶箱が見たくなって、私は思い出したように大和安堵村に出かけていく。

斑鳩の里、法隆寺からバスに乗って20分ほど、奈良盆地のちょうど真ん中辺りに、ぽつんと取り残されたような村がある。

ここ安堵村は、陶芸家富本憲吉の生まれた所である。

富本憲吉は、東京美術学校で建築や室内装飾を学んだ後、イギリスに留学し、ウィリアム・モリスのアーツアンドクラフト運動に出合っている。帰国後、バーナード・リーチや柳宗悦らと交流し、朝鮮半島の焼き物を知り陶芸の道を志した。

富本憲吉が故郷の安堵村に陶房を構えたのは1913年、憲吉27歳の時であった。

憲吉は安堵村で見つけた土蔵や稲穂かけ、樹木や道などの素朴な風景を陶器に描き出した。青の濃淡だけで表現される染付は、そののどかな風景によく合っている。

日本の原風景ともいえるそれらは、詩人の目をもつ陶工によって、見事に染付けられ、永遠の命を与えられたのだ。

富本憲吉は、後に羊歯や定家葛の写生から生み出した独特の金銀彩の色絵連続模様を完成させ、1955年、日本で最初の人間国宝に認定されている。

しかし私は、東京・京都時代の都会的できらびやかな金銀彩も素晴らしいと思うが、むしろ大和時代、憲吉の初期の染付や無地の白磁壺の方が好きである。

1963年に憲吉が亡くなった後、安堵村の生家とアトリエは富本憲吉記念館として保存され、作品も初期のものを中心に展示されている。

訪れる人もまばらな、その記念館の辺りには、染付に描かれた素朴な風景がわずかに残されている。羊歯に覆われた堀を渡ると、草花が咲きそろう庭に出る。憲吉が好きだった定家葛も小さな白い花を咲かせている。

そこだけ時間が止まってしまったような盆地の真ん中で、私はひとり立ち続けていた。

建築家 野口政司  2006/7.1(土)徳新夕刊より


のだめ カンタービレ

世の中には二種類の人間がいる。

片付けのできる人と、そうでない人である。私は後の方で、どうも整理整頓というのが苦手である。

おまけに本好きで、読みたい本は手元に置いておきたい、それもすぐ手の届くところにと思うので、結局散らかった書庫の中に住んでいるようなものである。

その本の中には
「気がついたら机の上がいっぱいになっている人のために」
とか
「書斎の知的整理術」
など、私のために書かれたようなハウツー本もあるのだが、そんなのに限って多くの中に埋もれて、どこにあるのか分からないのである。

こんな私に、ちっとも気にしないでいいんだよ、と語りかけてくれる本がある。二ノ宮知子さんの人気マンガ ”のだめ カンタービレ”である。

”のだめ”こと野田恵は、音楽大学でピアノを学ぶ女の子、片付けが大嫌いである。同じマンションの隣の部屋に住む千秋真一は、無類の奇麗好きの天才音楽学生だ。

千秋の部屋はヨーロッパ育ちの彼らしくシンプルモダン、無駄な物がなくとてもすっきりしている。そこへのだめが鍋パーティーのためにやぐらこたつを持ち込んだところからストーリーが動きだす。

それまでイス座であったリビングが、たちまちにしてアグラ座に変わる。見る見るうちにのだめの部屋と同じように雑然となっていく千秋の部屋。

囲炉裏からちゃぶ台、そしてやぐらこたつへと、この数百年に及ぶ日本伝統の団らんの装置の存在感はとても大きい。おまけに布団までついている。

”キレイだけど何かが足りない”との親切心で、のだめが持ち込んだやぐらこたつが千秋の心をかき乱していく。

生体反応という言葉がある。何かが足りないというのは生体反応が希薄だということでもあろうか。のだめの部屋は生体反応そのもの。むしろねぐらという言葉の方がふさわしい。

そうか、なるほど。私の片付け下手は、生体反応が強烈なんだ、と”のだめ カンタービレ”を読みながら妙に納得しているのであった。


建築家 野口政司   (2006・6・16  徳新夕刊より)


上野千鶴子の住宅論

どの人も何らかの住宅に住まいしている。それが高層マンション、木造一戸建て、そしてたとえ段ボールハウスであったとしても。すべての人が住まいしているにもかかわらず、これまで「住宅論」は建築家の専売特許であった。

しかし最近になって、文学や社会学の分野から住宅を取り上げる人が出てきた。文学者では藤原智美氏や西川裕子さん。そして、今注目の社会学者、上野千鶴子さんはその旗頭とも言える人だ。

フェミニズムの研究者である上野さんは、父兄長制の研究から近代家族の成立と終焉をたどり、その家族を入れるハコである住宅に今やメスを入れようとしている。ワクを超えることを真骨頂とする上野さんとしては、その越境は自然の流れであろうか。

上野さんは、nLDKをまずやり玉に上げる。戦後(1951年)に公団住宅が考え出したこの基本プランは、半世紀以上にわたって日本の住宅の骨格であった。50年以上持ちこたえている商品コンセプトはめったにない。その賞味期限の過ぎようとしている商品にしがみついている、日本の建築界と消費者に疑問を投げかける。

このnLDKが想定している標準世帯、つまり夫婦と未婚の子どもが一つの家に住むという形は、現在の家族構成の統計では3割台に低下している。かわって増えているのが高齢者の夫婦世帯と単身世帯、それにひとり親世帯だ。

このような家族の多様化にふさわしい住宅のモデルが登場しないのは、何にも増して建築家の怠慢である、と。

そして4つの提案をしている。

1.住宅モデルの多様化、住み手にとっての選択肢の多様化を図る
2.そのモデルに作家、作品主義をもちこまない。家族の拡大、縮小に対応できる汎用性のあるモデルとする
3.住宅に食う、寝る、育てる+生産(工房のようなラボ機能)を加える
4.育児・介護の社会化を組み込んだコモン空間の中に住宅というユニットを考える

ケンカの達人である上野さんは、その極意を「相手にとどめを刺さないこと」と言う。私たち建築家にとって、手ごわい挑発者の登場である。


建築家 野口政司 (徳新夕刊コラム6月1日(木)より)


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